空はどこから/猫の長靴 -188ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

私が中学生の時、
エリザベス女王が訪日し、その記念番組として日曜洋画劇場で、
映画『オセロウ』が放送された。

シェークスピア四大悲劇のーつ。
この映画は舞台での上演をそのまま収録したもので、オセロウ役に名優ローレンス・オリビエ。

ヒロイン、デスデモーナはマギー・スミス…あの『ハリーポッター』の猫先生。
英国の気品溢れる名女優は、この頃、水もしたたる美女だった。


以来、私はこの悲劇の大ファンになった。
今もシェークスピアの中で、ダントツで好きである。

『オセロウ』には、亡霊も超常現象も出てこない。
ただ、人間の憎悪と嫉妬と愚かさが、きりきりと揉み込むように絶望を紡ぎ出していく。

主人公オセロウは、中年の軍人でマジメ一筋の無骨者。しかもムーア人(黒人)。
それが清純無垢な貴族の令嬢デスデモーナに熱愛され、彼女の親の反対を押し切って結婚する。

この辺の展開、地味なモテナイ君にはたまらない。

その後、悪人の讒言で妻に浮気の疑惑を抱き、やがて嫉妬に狂い出す。この苦しみ方が壮絶である。

モテナイ君は免疫がない分、恋愛については嫉妬深いのである。
う~ん、分かる。胸が痛い。



…でも、やがて気づいた。
私が共感しているのは、オセロウではない…
惹かれているのは、この悲劇の元凶、極悪人のイアーゴウ。


シェークスピア劇の悪人と言えば、リチャード3世とイアーゴウが双璧だが、
リチャードが王位を奪おうという野心の悪人なのに対し、
イアーゴウは損得抜き。オセロウを陥れたいだけという、純粋な悪人!
…「純粋な悪人」って(^0^;)

何故これほどオセロウを憎悪するのか、モノローグで語られるが、大した理由はなく、ただ世をスネてるとしか思えない。

だが、彼は卒然と決意する。

「よし、悪人になってやる!」

それから先は迷いなし。
ひたすらに悪業三昧!
もちろん、最後まで改心なんかしない。

こんなことに加担するヤツはいないから、周囲の人間全部を騙し、利用し、孤独にストイックにオセロウを追い詰める。

オセロウはイアーゴウを疑わない。
そりゃそーだ、憎まれる心当たりがない。
手もなく騙され、傷ついていく姿は、カチカチ山のタヌキとウサギ。


だが、
悲惨で救いようのない結末をみて、それでもなお、胸の奥に一点のカタルシスを覚えるのは何故だろう。


それは、
自分の胸の奥にも、イアーゴウがいるからである。


おそらく、
人それぞれ、大きさは違っていても、
胸の奥で黒真珠のように抱え込んだイアーゴウ=「悪意」がいる。

偽善者ファイミルの胸の奥にも当然いる。
ダークサイドの黒ファイミルが。
そいつがイアーゴウに共鳴している。

↓こういうヤツ



つまり、
悲劇『オセロウ』を観る快楽は、胸の奥に隠していた、
おのれの暗部を覗き見る快楽なのである。



ちなみに、シェークスピアを読むなら、旺文社文庫が一番だった。(もう絶版だけど)



挿絵として舞台の写真が掲載されていて、注釈も多かった。
この本に使われているのが、正にローレンス、マギー版のオセロウである。













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今回のブログは深作欣二監督の遺作、
映画『バトルロワイアル』の話。
深作ファンには不興を買うかも知れません。でも間違いなく、好意で書いています。



さて、私は残酷シーンは苦手である。スプラッタなんて論外!
だいたい、人が殺されるのを見て、なんで楽しいんだろうと思う。

だから、『バトルロワイアル』を観に行くのは、なかなかの気力が必要だった。

では、何故観たかったのか。
主役が藤原(竜也)君、(前田)亜季ちゃんだったから。
このふたり、私達夫婦は抜群に好きなのである。


殺人シーンがエグかったら最後まで観れないかも、と恐る恐る…
が、面白かった!

というより、むしろ爽やかだった。
若い役者さん達が生き生きしていた。
青春映画、と言ったら深作ファンは怒るだろうか。

メイキングビデオも買った。
メイキングは本編より更に面白かった!
…さすがに怒られるな。




深作欣二がオーディションで一クラス分の若手俳優を集める。

迫力ある群集シーンはどうやって練り上げるのか、感情はどのように作り込むのか、若者たちは演技の真髄を身体に叩き込まれていく。

たまに逆らうヤツがいる
「昨日言ったことと違います!」
大監督は怒らない
「一晩で変わることもあるよ、あんただってあるだろ?」

時に予想外の映像が撮れることもある
「いいぞ~やれやれ!」
とご満悦だ。


巨匠、深作欣二が楽しんでいる。
支配することを楽しんでいるんじゃない。
若者と「一緒に」映画を撮ることを楽しんでいる。


深作は中学時代、
学徒動員で爆撃跡の遺体を拾い集めて焼いた、へドを吐きながら。「何が聖戦だ!」
そして敗戦と同時に、手のひらを返したような民主主義。


大人の言うことなんか、
みんな嘘っぱちじゃないか!


そして深作欣二は映画界に入り、極上の映画…事実ではないが人間をえぐり出す世界…を作り続けた。

最後に若者たちと極上の交流をした。


若者たちは、今後の役者人生の中で、誇りを持って言うだろう。

「自分は深作学校で学びました」と。











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『レ・ミゼラブル』をやっと見た。



結論から言って、私はこの映画が好きではない。


ドラマとは、人を泣かせたり笑わせたり、あるいは笑わせたり泣かせたりするもの。
緊張と緩和が必要。

この映画には抜きがない。
笑いどころ(可笑しさ、愛嬌)がない。

本来、それを担うはずの宿屋の亭主と女房が、あまりに醜悪でむしろ嫌悪を感じる。
…この二人にコミカルを感じる人は良いかも知れないが。



そして「死」の扱いが雑である。

古今東西、ドラマ展開で良く見られるのは、
主役の恋のライバルが突然死んでしまう(主人公が振るという冷たいことをしなくて済む)、というご都合主義。

そして善玉(今回は無垢な子供)に非業の死を遂げさせて観客を泣かそうと言うお涙頂戴主義だ。

その手のドラマは、見ていて何となく分かる。「こいつそろそろ死ぬな」と。

ストーリーの都合で、安易に登場人物を死なせるドラマは、嫌いである。


この映画、誰でも知っている原作をベースにしているから、どのように端折っても観客はついていけるのだろうが、それにしても脇が甘い。

一切れのパンを盗むという貧困の極致にいた主人公が、神父に出会って悔悟してからは、全く貧乏していない。
着の身着のままの逃亡をしながらである。
これ、変だよね。


今回、私が特に辛口になってしまうのは、ミュージカル好きだから。
軽快に楽しめる曲が欲しかったのである。
いかに重厚な作品だったとしても。



余談として、一つ面白かったこと。
コゼット役のコが桜子に似ていた。
あのコの顔立ちって洋風だよね?
 





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