学生の時、同期のヤツが一晩、別荘を借りる段取りをつけたので、同じ教室の仲間十数人で出掛けていった。
冬のニセコである。ニセコというのは、北海道でも屈指のスキーリゾート地で、ゲレンデ数がものすごい。
かき集めた車数台に乗り合わせたが、なにしろオンボロ車ばっかり。
ちょっと細い道に入ると、雪にタイヤを取られて動けない。
その度に車を降りてウオー、と押す。
若い男十数人だ、崖からでも落ちない限り、何とでもなる。
まずはナイターで一滑り。
途中野菜を買おうとしたらスーパーが閉まってる。
雑貨屋さんでジャガイモとニンジンを分けてもらって別荘へ。
ゲロだかカレーだか分からんものを食べて、あとは焼酎。
グラスに入れるツララを取ろうと窓を開けるとフカフカの雪だ。
その内、数人で「いけにえ」を窓から放り出す、という遊びを始める。
落とされた奴は悔しいから、雪まみれで駆け戻って、他の奴を落とす。
その内、公平にジャンケンで決めようとなる。
でも結局みんな飛び込みたいから、順番に飛び込むことになる。
ただ飛び込んでもつまらないから、だんだん裸になる。
ウオー、ウオーと叫んでは次々と雪の中へ飛び込む。
翌日起きたら既に昼過ぎ。
別荘の中をキレイに掃除して(この辺はマジメ)、さあ出掛けようという時はもう夕方。
結局ナイターで滑って帰る。
一泊で来たのにナイトスキーしか出来なかった。
さて、長々と書いてしまったが、つまり何を言いたかったのかというと、
それは
若い男は『バカ』だ!
ということ。
実はコレ、宮沢賢治の思い出
『青春夜行』の話を書く前振りだったのだが、ここまでですっかり長くなってしまった。
本編は次回
若い男はバカだ、というところから~
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宮沢賢治が理想とした「デクノボー」について、考えている。
独身時代(といっても30才頃)、今の妻とふたりで幹事になって、3×3の合コンを企画した。
後で、私が連れて行った男性陣を評して、女どもは言ったらしい。「マジメすぎるね」
婚約時代、待ち合わせの場所に彼女の同僚二人が付いて来た。
私と一言挨拶して、「やさしそうな人ね」と余裕の笑みを浮かべて去っていった。
…後で知った。友人の彼氏に褒める要素がない場合、女どもはこの言葉を使うらしい。
この女性たちにとっては
「マジメでやさしそう」は「デクノボー」とほぼ同じ意味、と言うことになる。ふん!
私が考える「デクノボー」とは「他人を踏みつけにしない人」のことだ。
でも、それだけではニュアンスが足りない。
怠け者までデクノボーと言ってしまうと詰まらない。無気力な人間は有害だ。
デクノボーは「よく働き、かつ自分の取り分以上のものは求めない人」のことだ。
賢治の童話で考えてみた。
『虔十公園林』
虔十は、自然や生命のキラキラした美しさを感じる人だ。
その輝きが嬉しくてアハアハと笑う。
世間の人は、虔十を莫迦だと言う。
虔十は怠けることを知らないから、いくらでも働けた。
でも彼の両親も兄も、決して彼を酷く扱わなかった。
そして彼の一生に一度の願い─痩せ地にスギを植えること─を快く許してやった。
虔十が植えたスギは高さ3mにしかならなかった。
彼は若くして流行り病で死んだ。
村は開発され、自然は次々と減っていった。
でも虔十のスギ林は残された。そして子ども達の遊び場であり続けた。
やがて有志の手により『虔十公園林』の碑が立てられた。
虔十は初めて人から褒められた。
年老いた両親は、彼のために泣いた。
…ここまで書いて気がついた。
「けんじゅう」は「けんじ」を5倍した人だ。
『オツベルと象』
オツベルときたら大したヤツだ。利に敏くて大胆だ。
皆が怖れる象まで騙して、利用する。
成功者だから贅沢する。金儲けは良いことなのだ。
白い象はいい奴だ。やさしい眼は好奇心でキラキラし、人を疑ったりしない。
いいね、楽しいね、といって働く。
でも、どうしようもなく疲れた時は悲嘆する。
「もうだめですサンタマリア」と涙をこぼす。
「友だちに相談しなよ」とお月さまは笑う。
この状況を知った象たちは、大挙して押し寄せる。
この白いコには、友だちがたくさんいるのだ。
オツベルは倒される。救い出された白いコは、ありがとうと微笑む。
結局、このコ、「泣き言」は言ったけど、「恨み言」はひとつも言わなかった。
私はこの白いコが大好きだ。
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独身時代(といっても30才頃)、今の妻とふたりで幹事になって、3×3の合コンを企画した。
後で、私が連れて行った男性陣を評して、女どもは言ったらしい。「マジメすぎるね」
婚約時代、待ち合わせの場所に彼女の同僚二人が付いて来た。
私と一言挨拶して、「やさしそうな人ね」と余裕の笑みを浮かべて去っていった。
…後で知った。友人の彼氏に褒める要素がない場合、女どもはこの言葉を使うらしい。
この女性たちにとっては
「マジメでやさしそう」は「デクノボー」とほぼ同じ意味、と言うことになる。ふん!
私が考える「デクノボー」とは「他人を踏みつけにしない人」のことだ。
でも、それだけではニュアンスが足りない。
怠け者までデクノボーと言ってしまうと詰まらない。無気力な人間は有害だ。
デクノボーは「よく働き、かつ自分の取り分以上のものは求めない人」のことだ。
賢治の童話で考えてみた。
『虔十公園林』
虔十は、自然や生命のキラキラした美しさを感じる人だ。
その輝きが嬉しくてアハアハと笑う。
世間の人は、虔十を莫迦だと言う。
虔十は怠けることを知らないから、いくらでも働けた。
でも彼の両親も兄も、決して彼を酷く扱わなかった。
そして彼の一生に一度の願い─痩せ地にスギを植えること─を快く許してやった。
虔十が植えたスギは高さ3mにしかならなかった。
彼は若くして流行り病で死んだ。
村は開発され、自然は次々と減っていった。
でも虔十のスギ林は残された。そして子ども達の遊び場であり続けた。
やがて有志の手により『虔十公園林』の碑が立てられた。
虔十は初めて人から褒められた。
年老いた両親は、彼のために泣いた。
…ここまで書いて気がついた。
「けんじゅう」は「けんじ」を5倍した人だ。
『オツベルと象』
オツベルときたら大したヤツだ。利に敏くて大胆だ。
皆が怖れる象まで騙して、利用する。
成功者だから贅沢する。金儲けは良いことなのだ。
白い象はいい奴だ。やさしい眼は好奇心でキラキラし、人を疑ったりしない。
いいね、楽しいね、といって働く。
でも、どうしようもなく疲れた時は悲嘆する。
「もうだめですサンタマリア」と涙をこぼす。
「友だちに相談しなよ」とお月さまは笑う。
この状況を知った象たちは、大挙して押し寄せる。
この白いコには、友だちがたくさんいるのだ。
オツベルは倒される。救い出された白いコは、ありがとうと微笑む。
結局、このコ、「泣き言」は言ったけど、「恨み言」はひとつも言わなかった。
私はこの白いコが大好きだ。
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子どもの頃、とにかく『雨ニモマケズ』が好きだった。小学生で暗誦していた。
もっとも、岩手の小学校では普通に子どもたちに覚えさせるらしい。
良いことだね。
取り合えず頭に入れておけば、必要な時、言葉になって出てくる。
この詩、冒頭のリズム感はもちろん好きだけど、最後がイイ
誉められも苦にもされない
「デクノボー」
誉められても
「キット、オダテラレテルダケダ」
と疑う私としては、誉められないのはトモカクとして、
「苦ニサレナイ」は難しい。
岩手に移った時、「羅須地人協会」は当然、訪れるものと思っていた。
でも、なかなか行けなかった。
好き過ぎて行けないのである。
「下ノ畑二居リマス 賢治」
あの黒板、あれを見て何の感慨も起きなかったら、どうしよう…
マイナス思考だなぁ
そして、関東に引っ越すことが決まり、あわてて出かけることになる。
羅須地人協会は、賢治が農村に住み、自ら農業をやっていた時の住居。
賢治の趣味で珍しい名前がついているが、要するに一軒家だ。
今は花巻農業高校の敷地内に移築されている。
一度日曜日に行ったら入れなかった。
休みを取って再度出かけた。
引越しの数日前、ラストチャンスだった。
建物のカギは教務掛にあるという。
校舎に入ってその旨を伝えると
「はいっ」とカギを貸してくれた。
あまりの呆気なさに驚いた。
「賢治の家で悪いことをするヤツなんか、いないに極まってる」
そんな感じだった。
玄関に入ると、二階へ上がる階段があった。
「老朽化により立入禁止」と書いてある。
上がってみたい、とチラリ思った、上がらなかった、悪いことはしないことになっている。
リビングに入った。
良く写真で見ていた部屋だ。
真ん中に火鉢、質素な丸イスが数脚、そして大きな黒板…
賢治はここで、教え子や農民たちに新しい農業技術を教え、芸術(生きる喜び)を語り、レコードを聴いた。
そして、セロを弾いた…ゴーシュみたいに。
震えた。ついにここに来た、と思った。
ここに立つために、自分は岩手(イーハトーブ)に越してきたのだ。
小学生で『雨ニモマケズ』を知って、40年近く温めていた夢。
人生の目的の一つを果たしたような気がした。
…泣いた。
賢治は教師時代、教え子たちのために、歌を作った。
その歌は今も花巻農高で歌い継がれている。
学校の敷地内は、自然が豊かで川も流れていた。
生徒たちは健康的で、礼儀正しく、可愛かった。
その歌…
『精神歌』
♪日は君臨し 輝きは
白金の雨 注ぎたり
我等は黒き 土に伏し
まことの草の 種まけり♪
そして私はこののち、
「まことの草」とは何か?
考え続けることとなる
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もっとも、岩手の小学校では普通に子どもたちに覚えさせるらしい。
良いことだね。
取り合えず頭に入れておけば、必要な時、言葉になって出てくる。
この詩、冒頭のリズム感はもちろん好きだけど、最後がイイ
誉められも苦にもされない
「デクノボー」
誉められても
「キット、オダテラレテルダケダ」
と疑う私としては、誉められないのはトモカクとして、
「苦ニサレナイ」は難しい。
岩手に移った時、「羅須地人協会」は当然、訪れるものと思っていた。
でも、なかなか行けなかった。
好き過ぎて行けないのである。
「下ノ畑二居リマス 賢治」
あの黒板、あれを見て何の感慨も起きなかったら、どうしよう…
マイナス思考だなぁ
そして、関東に引っ越すことが決まり、あわてて出かけることになる。
羅須地人協会は、賢治が農村に住み、自ら農業をやっていた時の住居。
賢治の趣味で珍しい名前がついているが、要するに一軒家だ。
今は花巻農業高校の敷地内に移築されている。
一度日曜日に行ったら入れなかった。
休みを取って再度出かけた。
引越しの数日前、ラストチャンスだった。
建物のカギは教務掛にあるという。
校舎に入ってその旨を伝えると
「はいっ」とカギを貸してくれた。
あまりの呆気なさに驚いた。
「賢治の家で悪いことをするヤツなんか、いないに極まってる」
そんな感じだった。
玄関に入ると、二階へ上がる階段があった。
「老朽化により立入禁止」と書いてある。
上がってみたい、とチラリ思った、上がらなかった、悪いことはしないことになっている。
リビングに入った。
良く写真で見ていた部屋だ。
真ん中に火鉢、質素な丸イスが数脚、そして大きな黒板…
賢治はここで、教え子や農民たちに新しい農業技術を教え、芸術(生きる喜び)を語り、レコードを聴いた。
そして、セロを弾いた…ゴーシュみたいに。
震えた。ついにここに来た、と思った。
ここに立つために、自分は岩手(イーハトーブ)に越してきたのだ。
小学生で『雨ニモマケズ』を知って、40年近く温めていた夢。
人生の目的の一つを果たしたような気がした。
…泣いた。
賢治は教師時代、教え子たちのために、歌を作った。
その歌は今も花巻農高で歌い継がれている。
学校の敷地内は、自然が豊かで川も流れていた。
生徒たちは健康的で、礼儀正しく、可愛かった。
その歌…
『精神歌』
♪日は君臨し 輝きは
白金の雨 注ぎたり
我等は黒き 土に伏し
まことの草の 種まけり♪
そして私はこののち、
「まことの草」とは何か?
考え続けることとなる
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