年に一度は誕生日バンザイ!
残りの364日は何でもない日バンザイ!
おなじみ『不思議の国のアリス』の3月ウサギと帽子屋のマッド・ティーパーティ
もっとも、発想の由来は
3月ウサギ→発情期で狂ったように飛び跳ねる。
帽子屋→シルクハット作りの職人さんが水銀中毒でブルブル震えている。
…いくらなんでも酷いね。
多かれ少なかれ、児童書には毒が含まれている。子どもが社会で無事に成長するには、ある程度のワクチン(毒の摂取)は必要、ということなのだろう。
とはいえ、作者ドジソンに「良識」自体があったのかは疑わしい。この物語を作った動機はリデル嬢の気を引きたかったから…
ルイス・キャロル(数学者ドジソン教授)が12才のアリス・リデルにプロポーズしたのは有名な話。
さて、それは忘れて
明るいティーパーティの話。
今日は、ルナのヌーカフェに行ってきた。
ヌーカフェ(ヌードルカフェ)ってのは、秋葉原の「えっ!ここ?」と思うようなビルの3階にある。もちろん店内は明るく健康的である。
prediaが所属する事務所のアイドルが日替わりで出勤し、たまにメンバーが登場すると、店内はprediaファンのサロンとなる。
1回3分、とにかくメンバーと話しが出来る。
party(ライブ)の思い出、これからのこと。メンバーの噂話。どの曲が好きか、どの衣装が好きか。そして趣味のこと、愛犬のこと。
カップヌードル(だから「ヌーカフェ」)を食べてもいいのだが、私は大抵コーヒーを注文する。
2回、3回と繰り返すと、お腹がガボガボになる。
…マッド・ティーパーティである。
いい歳をして何をやっているんだ、と思わなくもない。でも、私にとっては心の隙間を埋める、大切な行為なのである。
私にはprediaが必要だ。
ただし
われ、ドジソンにあらず。
さて、
今日のルナは、お母さんに買ってもらった靴のおろしたての日。
「ハッピー見つけ人」のルナには、記念日が多いのだ。
すぐ忘れるかもしれないけどね。
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実はこの一週間、ずっと体調が悪かった。
脳髄が漏れてるのかと思うほど鼻水が出て、頭が重かった。
prediaの対バンライブに行ったら治った。
どうやら興奮が足りなかったらしい。
恋の病は草津の湯でも治らないが、気鬱はprediaで治るのだ。
さて、今日は新衣装という触れ込みだったが、何と全員、レザーパンツだった。
パンツルックは「Dream Of Love」以来2着目。
前回の青パンツに比べると素材が格段にいい。
立派になったな~と妙に感慨深かった。
でも、パンツルックってのは、ヒラヒラの衣装より返って肉感的だから、
ルナもけいたんもセクシーになってしまった
( ̄∇ ̄)
アッキーや玲ちゃんはシックでブランドショップの店員さんみたいだった。
大人ユニットだからね、こんな衣装もありだな。
でもセクシーはほどほどにね。
目のやり場に困るσ(^◇^;)
写真は『Escort me?』のライブ映像から。
この衣装を生で見たのはー回きりである。
黒いチュチュにはどんなコンセプトがあったのだろう?
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脳髄が漏れてるのかと思うほど鼻水が出て、頭が重かった。
prediaの対バンライブに行ったら治った。
どうやら興奮が足りなかったらしい。
恋の病は草津の湯でも治らないが、気鬱はprediaで治るのだ。
さて、今日は新衣装という触れ込みだったが、何と全員、レザーパンツだった。
パンツルックは「Dream Of Love」以来2着目。
前回の青パンツに比べると素材が格段にいい。
立派になったな~と妙に感慨深かった。
でも、パンツルックってのは、ヒラヒラの衣装より返って肉感的だから、
ルナもけいたんもセクシーになってしまった
( ̄∇ ̄)
アッキーや玲ちゃんはシックでブランドショップの店員さんみたいだった。
大人ユニットだからね、こんな衣装もありだな。
でもセクシーはほどほどにね。
目のやり場に困るσ(^◇^;)
写真は『Escort me?』のライブ映像から。
この衣装を生で見たのはー回きりである。
黒いチュチュにはどんなコンセプトがあったのだろう?
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本来は夏の話題、でも待ちきれないから書いてしまう。
賢治は20才の時、文学仲間と同人誌『アザリア』を立ち上げた。
よほど気が高揚したのだろう。会を発足した夜、仲間4人で深夜、盛岡から雫石(しずくいし)まで歩いた。
これを追体験しようというのが『賢治青春夜行』というイベント。
高校生から高齢者まで、老若男女約30人が『青春夜行』のノボリを先頭に深夜のナイトハイク。
盛岡市街・夕顔瀬橋から雫石町の河原・春木場まで。
6時間で20キロ、それ程無理な行程ではない。
時は7月、河べりではホタルも飛んでいる。
途中、前九年(そのままの地名も残っている)の役の逸話を聞いたり、土饅頭が残っている一里塚の説明を受けたり。
夜明け頃には、恒例となっている有志さんからの振る舞いコーヒー。
原則、旧秋田街道を辿ることになっているから、細い路地を通ったり、国道を歩いたり。
で、賢治の追体験になったのか?
う~ん
当時の秋田街道は国内屈指と言われた悪路。賢治たちもぬかるみが酷くて途中、草地を歩いたりしている。
今は舗装道路を歩いている。
そして、明るい。
閉口したのは自販機の明るさで、星明かりどころじゃなく、自販機明かりの中を歩いている。
そして史跡、一里塚の説明を受けた場所の背景は、林立するラブホテルのネオン…
では、つまらなかったのか?
それが、
すっごく楽しかった!
賢治を好きな人たちが集まって、夜通しで「賢治大好きイベント」をするのである。
嬉しくないはずがない。
考えてみれば、もとは20才の若者が酔狂でやったナイトハイク。
賢治たち自身も「馬鹿旅行」と言っている。
それを後世の老若男女がマネしてる。ノボリを立てて。
好きじゃなきゃ出来ない、好きだからやってる。
清六さんは賢治の弟で、人生のほとんどを賢治の遺稿の復元と出版に費やした人だ。
その清六さんが、賢治のことを聞かれ
「普通の人でしたよ」
と答えている。
私は思うのである。
もし、賢治が私の仲間たちと一緒に冬のニセコに行っていたら「ウオー、ウオー」と叫んで雪に飛び込んでいたかも知れない。
そして帰りの車の中で「馬鹿だなぁ俺たち」と言っていたかも知れない。
岩手に住み、イーハトーブの空気を吸って、私の賢治観は豊かになった。
偉人「宮沢賢治」よりも
「石っこ賢さん」…奇矯で多才で懸命で、そして自然の事象が愉しくて、アハアハと笑っている…そんな賢治に、たまらない親しみを感じる。
早朝、春木場の河原に立つ(この地名には貧しい林業者たちの故事がある)心地よい疲労感…
今日、賢さんのマネ、しちゃったよ。
《おまけ》
賢治の足跡を辿るイベントは、もう一つある。
5月、賢治は小岩井駅に降り、小岩井農場に向かい、途中雨で引き返した。
その様子は長編詩『小岩井農場』に浮き立つような言葉で描かれている。
追体験、したいです。
農場は丘の上にあるから、距離は短いがなかなかしんどい。
当時最先端だった西洋風建物。その面影が今も残っていて嬉しい。
賢治の詩碑がゴール。
花を捧げ、皆で『精神歌』を歌う。
この詩碑を建立した時、セレモニーでこんな小芝居をやったとか
「ここへ詩碑立ててもいいかあ。」
遠くの林から「いいぞお。」
~これ、童話『狼森と笊森、盗森』のパロディだぜ!
あと、小岩井農場にはね、明治時代の木製サイロ(家畜の飼料を保存する塔)があるんだよ。
しかも、上部に空気穴があって、小鳥が出入りしてる。
↓ほれ
《最後に》
私が岩手に住んでいた1年ちょっとは、「雫石と宮沢賢治を語る会」の幹事、関さんが役場を定年退職する前後に当たる。
これからも参加させて下さいと言ってる矢先に転居となり、ご挨拶も出来なかった。
イベントが末永く続くことをお祈りします。
いずれ夫婦ふたりで、また参加させていただきます。
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賢治は20才の時、文学仲間と同人誌『アザリア』を立ち上げた。
よほど気が高揚したのだろう。会を発足した夜、仲間4人で深夜、盛岡から雫石(しずくいし)まで歩いた。
これを追体験しようというのが『賢治青春夜行』というイベント。
高校生から高齢者まで、老若男女約30人が『青春夜行』のノボリを先頭に深夜のナイトハイク。
盛岡市街・夕顔瀬橋から雫石町の河原・春木場まで。
6時間で20キロ、それ程無理な行程ではない。
時は7月、河べりではホタルも飛んでいる。
途中、前九年(そのままの地名も残っている)の役の逸話を聞いたり、土饅頭が残っている一里塚の説明を受けたり。
夜明け頃には、恒例となっている有志さんからの振る舞いコーヒー。
原則、旧秋田街道を辿ることになっているから、細い路地を通ったり、国道を歩いたり。
で、賢治の追体験になったのか?
う~ん
当時の秋田街道は国内屈指と言われた悪路。賢治たちもぬかるみが酷くて途中、草地を歩いたりしている。
今は舗装道路を歩いている。
そして、明るい。
閉口したのは自販機の明るさで、星明かりどころじゃなく、自販機明かりの中を歩いている。
そして史跡、一里塚の説明を受けた場所の背景は、林立するラブホテルのネオン…
では、つまらなかったのか?
それが、
すっごく楽しかった!
賢治を好きな人たちが集まって、夜通しで「賢治大好きイベント」をするのである。
嬉しくないはずがない。
考えてみれば、もとは20才の若者が酔狂でやったナイトハイク。
賢治たち自身も「馬鹿旅行」と言っている。
それを後世の老若男女がマネしてる。ノボリを立てて。
好きじゃなきゃ出来ない、好きだからやってる。
清六さんは賢治の弟で、人生のほとんどを賢治の遺稿の復元と出版に費やした人だ。
その清六さんが、賢治のことを聞かれ
「普通の人でしたよ」
と答えている。
私は思うのである。
もし、賢治が私の仲間たちと一緒に冬のニセコに行っていたら「ウオー、ウオー」と叫んで雪に飛び込んでいたかも知れない。
そして帰りの車の中で「馬鹿だなぁ俺たち」と言っていたかも知れない。
岩手に住み、イーハトーブの空気を吸って、私の賢治観は豊かになった。
偉人「宮沢賢治」よりも
「石っこ賢さん」…奇矯で多才で懸命で、そして自然の事象が愉しくて、アハアハと笑っている…そんな賢治に、たまらない親しみを感じる。
早朝、春木場の河原に立つ(この地名には貧しい林業者たちの故事がある)心地よい疲労感…
今日、賢さんのマネ、しちゃったよ。
《おまけ》
賢治の足跡を辿るイベントは、もう一つある。
5月、賢治は小岩井駅に降り、小岩井農場に向かい、途中雨で引き返した。
その様子は長編詩『小岩井農場』に浮き立つような言葉で描かれている。
追体験、したいです。
農場は丘の上にあるから、距離は短いがなかなかしんどい。
当時最先端だった西洋風建物。その面影が今も残っていて嬉しい。
賢治の詩碑がゴール。
花を捧げ、皆で『精神歌』を歌う。
この詩碑を建立した時、セレモニーでこんな小芝居をやったとか
「ここへ詩碑立ててもいいかあ。」
遠くの林から「いいぞお。」
~これ、童話『狼森と笊森、盗森』のパロディだぜ!
あと、小岩井農場にはね、明治時代の木製サイロ(家畜の飼料を保存する塔)があるんだよ。
しかも、上部に空気穴があって、小鳥が出入りしてる。
↓ほれ
《最後に》
私が岩手に住んでいた1年ちょっとは、「雫石と宮沢賢治を語る会」の幹事、関さんが役場を定年退職する前後に当たる。
これからも参加させて下さいと言ってる矢先に転居となり、ご挨拶も出来なかった。
イベントが末永く続くことをお祈りします。
いずれ夫婦ふたりで、また参加させていただきます。
Android携帯からの投稿




