空はどこから/猫の長靴 -170ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

昨日、そして明日7日は
prediaアコースティックライブ。
初めての試みだ。

昨年夏のオールナイトに続いて、ファンには『記念日』となるイベントだ。

メンバー7人が私服で登場。
伴奏はギター2本。
ダンスは封印し、基本形は座ったまま。
歌だけでパフォーマンスする。





るーちゃまが凄かったな~
おしゃれ度が完璧!

このコはとにかく帽子、ボルサリーノが良く似合う。


歌う時の情感溢れる表情はいつものこと。
ソロで歌った時の飛び跳ねる姿がキュートだった。

今更だけど、このコ、まだ若いんだよな~

おしゃれの真価は歳と共に高まるもの。
このコは、この先ますますエレガントになっていくはず。



さて、表情と言えばメグしゃん。

固い表情で背を屈め、片手でリズムを取って懸命に歌う姿。

そして
エンディング『ふたり記念日』では緊張から解き放たれてゆる~い笑顔。

ホント、絵になるコなのである。


↑カメラがなくてスマホで撮影。画質悪い( ̄。 ̄;)



prediaの可能性はまた一つ広がった。

まず、高いビジュアルという皿がある。
個性豊かな食材が並ぶ。
そして味付けにいつもと違うパフォーマンス。

predia、召し上がれ(*´∀`)
という感じ。



スピーカーの大音響は、私の年頃では正直苦手な時がある。
アコースティックは耳に快い。

踊りたい気持ちをセーブして、歌だけで勝負する。
その抑制された感じも良い。
(Eyes 2 Loveでは、ルナとメグしゃんの片手が、微妙に振り付けをなぞっていた)


大人のpredia
抑制されたpredia
いつもと違うpredia

私は満足である。


足りなかったもの?

一杯のワインワイン

飲みながら聴きたかったね。








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愛猫たちと暮らして1年くらい経った頃だろうか

「長靴を履かせたい」
と思った。



『長靴を履いた猫』は言葉をしゃべり、知恵を出す。

うちの子たちにもしゃべらせたい。


‘みる’は抱き上げてキスをしようとすると、前脚を私のあごに突っ張って嫌がった。
「やめろや、おやじぃ~」
と言いたかったのだろう。



猫は人間に甘えているのではない「狩って」いるのだ。
という説がある。

「こんな仕草でこんな鳴き声を出せば、食料をゲット出来る」
ということを知っている。

そして案の定、人間はいそいそと食べ物を献上する。

我々は「狩られている」のだ。



実際、‘みる’がしゃべれたら、文句ばっかり言ってたような気がする。

「エサだよエサ~!
おめぇ俺を餓死させる気だな」
(むかし流行った「シーマン」風)


‘ふぁい’はよく私を座布団代わりにした。
私がソファのオッドマンで足を伸ばしていると、膝の上で「ダンゴ虫」になる。

重みで関節が反って、だんだん膝が痛くなる。
私がジタバタしだすと、後ろ脚を蹴立ててトン、と下りる。

「ふん、役に立たない布団だわ」と言っていたような気がする。

……
……

さて、人間は
「言葉で交流を図っている」

ホント?
言葉で気持ちは伝わってる?

それ以前の問題として
気持ちは自分の中でまとまってる?


私には私がわからない。

自分の思考、意識がまとまっていない。
自分の心の内、伝えたいことが、自分でも分かっていないことに気づく。

ぼう、として生きているだけだ。

自分の気持ちも整理できていないのに、言葉で伝わる訳がない。



私のブログは、混乱の足跡だ。

書き綴っている内に、自分の気持ちが見えてくるかも知れない、と思っている。


それが分かったら「本当の言葉」を発する。



私は長靴が欲しい。

智慧が湧いて、本当の言葉が発せられる長靴。


……
……
……


でもね
そんな「言葉が不自由」な人間たちのために、
神様は言葉以上の、特別な能力を授けてくれている。

それは
「にっこり笑って許し合う」という能力
(○´∀`○)





↑‘ふぁい・みる’1歳の頃。
 特別出演でオバQ (o^^o)







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空はどこから空なのでしょう

両手をグンと伸ばして、微かに届かないところからです



愛猫‘ふぁい’が空に昇って、
書き始めたブログ。

目標の108回になった。




‘ふぁい’も‘みる’も
もう形が無くなってしまったから、愛猫の記事は全て思い出話だ。

でも我が家には、まだ愛猫の写真を飾っていない。

必要ないのだ。

あの子たちは、いる。

私と妻の頭の中に。




私のブログの読者は少ない。
おそらく、頻繁に読んでくださっている方は数名(5名くらい)と思われる。

まずはその方々にお礼を言いたい。

つたない独り言にお付き合いいただき、本当に有り難うございました。



「有り難う」とは「有る」のが「難しい」という意味。
だから、感謝は本気で思うべきもの。

そうすれば、生きてる上での「嫌なこと」と「嬉しいこと」の比率が変わる。

千にひとつの嬉しいことが百にひとつ、十にひとつとなる。

…という意味のことを、二十代後半にノートに書いたことがある。


な~に、言うばっかりで、何にも出来ちゃいない。

私は一生『大人(たいじん)』には成れないだろう。



そして思う
ブログの目標回数を決めたところで、人生の「節目」なんてやって来ない。

おそらく、
節目は自分で決めるものではなく、天賦のものとして突然やってくるのだろう。


だから、私のブログはこれからも続きます。
いつか何かが起きる時まで。


これからも宜しくお願い致します。



ファイミル。







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