空はどこから/猫の長靴 -159ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

学級委員長って、昔は優等生だった。
成績優秀で皆の模範?
ふん。

私が高校生の辺りから、だんだん時代が変わってきた。
学級委員長(更には生徒会長)は、愛嬌のあるお人好しが選ばれるようになった。


委員長はみんなのまとめ役。
でも、そうそう完璧にこなせるもんじゃない。
ならば、ミスも許せちゃうお人好し。
皆が支えたくなるような、ちょっと頼りないくらいがいい。


prediaの学級委員長=リーダーはテルミンである。
以前は「ヘッド」と呼んでいた。ダイヤモンドヘッドから名前を取ったが、族みたいに聞こえるから止めたらしい。


テルミンは一見、クールビューティである。
prediaを知って、しばらくはそう思っていた。

でも、やがて気がついた。
ビューティには違いないが、クールではない。

中身が「おにゃのこ(女の子)」なのである。

…因みに「おにゃのこ」という言葉も、テルミンのブログで初めて知った。

そして、メンバーのブログの中で、このコの記事が一番、支離滅裂だったりする。



一昨年の船上クリスマスパーティ。
その直前、テルミンはブログで体調不良を訴えていた。
偏頭痛が激しくて熱があるという──

そして突然のアメンバー限定記事。
タイトルが「原因は原因は原因は」
心配でたまらず、慌ててアメンバー申請をした。

パーティ当日の深夜である。

やっとの事で開いた記事に書いてあったのは…

ハンター×ハンターのキャラが好きで好きで熱が出る~と延々書き綴った後、締めの言葉が──
「ぶひ」

ぶひって、なんだよぉ~!
(*`Д´*)



これ以降、テルミンが「クールビューティ」という線は完全に切れた。


実際、インターネット番組「あっと~」でも、
オールナイトイベントでも、
先日のアコースティックライブでも、
トーク中のテルミンは、
とにかく…ゆるい。

時として、テンパった顔で子どものように膝を緩め、「だあ~」とした表情で座っていたりする。


ところが、元々レースクィーンでモデルだから、引き締まると美女である。
特に「You slipped away」の冒頭、しゅっと頭を振り立ててウォーキングする姿は美しい。

先日の渋谷AXでは軽やかな身のこなしが印象的だった。
真紅の衣装で舞い踊る姿は、水槽で跳ねる金魚のようだった。

美しく華やか、でも
すぐにテンパって気が抜ける。

メンバーの中で、このコが一番、キャラを読めない。

そこで先日、ルナに
「テルミンってどんなコ?」と尋ねてみたら、
「不思議なコだよ」

答えになってないぞー( ̄。 ̄;)

でも、いろんな引き出しを持っていて、話してて飽きないコではあるらしい。


結局、私のテルミン観は
真面目でちょっと抜けてて、みんなで支えたくなっちゃう。
今風の「委員長キャラ」なのである。



TV『新進気鋭』での印象的なカット。
この表情を色っぽいと見るか、あどけないと見るかは
♪あなたのお望み通り~ いつでも~♪


今日、5月21日はテルミン、26オの誕生日。

華麗な美女にして、愛すべき「おにゃのこ」
テルミンに乾杯!o(^-^)o






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♪あわてんぼうで さびしがり~

 間抜けなことも するけれど

 おべっか ごますり 大嫌い

 むやみに 尻尾は 振るものか♪


昭和40年代のTVマンガ(アニメ)『のらくろ』の主題歌である。


アニメの主題歌がヒットチャートを駆け上がったのは、杏里さんの『キャッツ・アイ』が初めであろう。
それまではホントに子どもの歌だった。
だが、名曲も多い。だから40年以上経っても私の記憶にある。


この『のらくろ』の主題歌、凛々しくて好きだ。

慌て者で寂しがりで、基本ドジっ子だけど、気持ちに卑しさがない。むしろ無駄なくらい生真面目だったりする。

そういう人、いるよね。

例えば、ほら↓

prediaの「のらくろ」ならぬ「のらしろ」

いつもブログでは鼻に指を突っ込んだりして、ふざけるのに、いざ「変顔」をリクエストすると恥ずかしがってやらない。
やっと撮ったのがこれ。

失敗写真かと思ってたけど、今見ると何となく「のらくろ」に似ている。



(画像はHP「のらくろの街・誕生!」より)



原作は言わずと知れた戦前の軍隊漫画。

アニメでは、時代に合わせて原作にないヒロインを登場させた。
従軍看護婦のミコちゃん。
(画像は見つからなかった)

エンディング曲
♪アイアイ愛するアイアイアイ
 アイアイ綺麗な薔薇の花
 でも薔薇よりも 薔薇よりも
 可愛いミコちゃんに アイアイアイ♪
 
これをちらりと見た戦中派の父は、
こんなの「のらくろ」じゃない、
と吐き捨てるように言った。

でもこのミコちゃんが滅法チャーミングで(言い方が古いね)私は大好きだった。

夢にまで出てきた。
鈍足の私がリレーで転んで、ミコちゃんが駆け寄ってくれる…という夢(汗)

しっかり者でそつが無くて暖かい、そんなコいるよね…

いた↓

prediaの「のらしろ」と「ミコちゃん」



このアニメ、挿入歌も良かった。

♪どこからボクは来たのかな
 生まれた所がわからない

 いつも元気なボクだって
 涙を流す夜もある

 のらくろ のらくろ
 のらくろは 泣くもんか~♪


当時のアニメには、子どもに伝えたい情感があった。
切々と歌われるこの曲には、おちゃらけの奥に潜む哀感がある。


のらくろは「野良犬黒吉」を縮めた名前。

原作者、田河水泡は戦後も「のらくろ」を書き続けた。舞台を軍隊から市井に変えて。

書き続けながらも、早くから、結末は決めていたという。

それは…
のらくろの結婚。

野良犬黒吉が、家庭を持ち「のら」じゃなくなる──


↑田河水泡夫人のエッセイ本


戦争漫画だから、殺伐としたシーンも多い。しかし田河水泡の胸中にはヒューマニズムが息づいている。

例えば…猛犬連隊(のらくろ達)が猛獣狩りをする。そして猛獣たちから説教される。
「お前たちは遊んでるつもりでも、俺たちは命を失うんだ」



のらくろは、その後もう一度アニメ化されている。
『のらくろクン』…これはのらくろの孫が主役のドタバタアニメで、かつてのブル連隊長までボケ老人みたいなノーテンキキャラで登場して、ドン引きした。
もはや野良犬が懸命に生きる、という哀感はない。

余談だが、当時販売されたオモチャ「のらくろロック」は出来が良かった。
のらくろクンの人形が、声を掛けると腰をクネクネさせて踊る、というもの。

当時のバラエティ番組(確か、森光子さんの特番だったと思う)
居酒屋のカウンターを模したセットに男の子が二人座っている。収録後のご褒美を目ざとく見つけてしまい、先にもらってニコニコしている。
それが、一体づつの「のらくろロック」
後から入って来た父親が「お前たち、ちゃんとお礼は言ったのか」と、しつけに厳しいところを見せた。
このお父さんが、昨年亡くなった中村勘三郎さん。子どもたちは今の勘九郎さんと七之助さん。

▷▷▷▷▷

今後も時を経て、のらくろブームは再燃するかも知れない。
だが、戦争を背景にした孤児の物語は、もはや世相に合うものとはならないだろう。

しかし、日本人が愛する「気の良い慌て者」の伝統は、田河水泡からお弟子さんへと引き継がれた。
そして半世紀を超え、日本の国民性を象徴する名キャラクターとなっている。

田河水泡の弟子、長谷川町子…
つまり、「サザエさん」である。


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今日はルナのヌーカフェの日。
私は「あわてんぼうでさびしがり」の顔を見に行くつもり──








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義父の祀りが終わった。

私はあと何回、この儀式を経験するのだろう。
そして自分は何回目になるのだろう。


空に立ち昇る黒い煙は、いつも私にとっての「告別~肉体が無くなること」の象徴だった。
だが、今回の火葬場には煙突がなかった。





牛乳が大好きだった父の骨は見事に太かった。
ギャートルズみたいだった。

それを親類の男性たち(私を含む)が骨つぼの中でゴリゴリと砕いた。
せっかく形の残ったものを壊してしまう。私はこの作業が苦手である。

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遺骨を持ち帰って、斎場でお別れ会。
終戦直後の同期の友人から老後の趣味の友人まで、お年寄りばかり。

葬儀の主催は子どもである。
だが、子どもは親の人生のほとんどを知らない。
ましてや心情をや。

子どもは自分がどのくらい愛されたか、という一つの尺度(それも主観的な)でしか見ることが出来ない。


後方から、ロをピチャピチャならす音が聞こえた。カフカの「異邦人」の1シーンを思い出した。



老人たちに混じって、兄嫁と姪っ子が参列した。
姪っ子…つまり「さっちゃん」
私がprediaを応援するキッカケとなったコである。
すっかり落ち着いた美人になっていて驚いた。(アッキーのひとつ年上である)


妻の友人が3人列席してくれた。
妻の気持ちが晴れることを期待して、式後の会席まで引き止めた。
その内のひとりは、私のブログを読んでくれていた。
「昨日の事件の結末はどうなったんですか?」と聞かれた。
どうにも、ただあのまんま。
ドラマのような謎解きも解説もなく、現実の事件は未消化のまま流れていく。
人生は合点のいかないことばかり。

▷▷▷▷▷

著名人ではない父の人生を総括する者はいない。
葬儀は惜しむ声で溢れる。

サッチャー元首相は、死んでも魔女呼ばわりされた。
一部の団体が「死」を喜んでいる喧騒がニュースに流れていた。

日本人は死んだら仏になる。
死者に鞭打つ精神風土はない。
有り難いことだ。

ニューオーリンズでは、墓地でしめやかな葬儀を終えた後、聖者の行進を賑やかに演奏し、踊りながら帰って行くという。
同じ西洋でも、これは良い。

私は踊りたくはないが、おめでたいという意識はある。

「親死に、子死に、孫が死に」
(一休さん)
順番通り。

しかも精力の最後の一滴までを搾り出して生き切った。

避けられない「死」であってみれば、これはやはり「おめでたい」の部類であろう。

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私はこれにて関東に戻る。
妻は残務処理で札幌に残る(誰にも起こる死に対して、その後の事務処理は実に煩雑である)


ブログの自粛期間はこれにて終了する。

次回は久しぶりにprediaネタを書くつもり。
はしゃぎ過ぎない程度にね。






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