若山牧水は日向の国、坪谷に生まれた。
生地には若山牧水記念館がある。
生家も保存されている
先月、宮崎県に行ったが、仕事中だったので、外から写真を撮っただけ。
これだけでは、あまりに曲がないので、道の駅で地元の本を買ってみた。
牧水かるた百首鑑賞本
地元では、情操教育として牧水の歌でカルタを作り、子ども達に遊ばせているらしい。
いいことだね。
きれいな日本語は、まず触れさせ、飲み込ませてしまえばいい。
意味なんて後から付いて来る。
むかし覚えたフレーズが、ある時ふと、心に浮かんでくる。
情操を涵養するって、そういうことだ。
この本、帰りの飛行機内で一気に読めてしまった。
以下、気になった歌を数首ほど
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「幾山河 越えさり行かば寂しさの
終(は)てなむ国ぞ 今日も旅ゆく」
──これは有名な歌で、よく国語の教科書に載っている。
しかし、私は好きではない。
この歌には風景も音も匂いも感じない。
牧水の歌には「さびしい・かなしい」が頻繁に出てくる。
何がそんなにかなしいんだろうと思う。
裕福な家に育ち、功を成し遂げ、家族は円満。
世の中で何より悲しいのは「貧困」だ。
食べられないことが一番辛いのだ。
生活苦と無縁の人に「悲しい」を連発されてもねぇ
……などと思ってしまうのは、私に詩情が足りないせいであろう。
『白鳥は哀しからずや 空の青 海のあをにも染まずただよふ』
──この歌も、よく教科書に載っている。
これは好きだ。
景色がある。潮の匂いがする。
空の青さ、海の碧さ、そして鳥の白さが目に沁みる。
「地(つち)踏めど 草鞋(わらじ)声なし山ざくら 咲きなむとする山の静けさ」
──目の次は耳だ。
ワラジでひたひたと歩く静けさを「声」と聞いた。
私も仕事柄、よく地下足袋で山道を歩いた。
クワで掘っただけの、身体の幅ほどの簡易な歩道だ。
足の裏に伝わる土の軟らかさ、
枯れ葉を踏む音、季節の匂い。
なるほど、「声」か…
「石越ゆる 水のまろみを眺めつつ こころかなしも秋の渓間に」
──これは驚いた。
水の表面張力……形に沿って包むように盛り上がる……
その「水の有り様」を「丸み」と表現した。
確かに
河底をなぞり、岩を乗り越えて流れる水は「丸い」
「おもひやる かのうす青き峡(かひ)のおくに われのうまれし朝のさびしさ」
──牧水の文章によれば
「縁側に坐っていた母が急に産気づいて『ことんと音をさせて』(自分を)生んだ」という
己の誕生を静寂なイメージで表現したかったのだろう。
でも、きっと
そんな穏やかなものじゃなかったと思うよ。
男は出産の苦しさを知らないから、生命の誕生を描いても、どこか寓話的になる。
小説家、深沢七郎は書いている。
「私は屁と同じ作用で生まれてきた」
幻想小説家、夢野久作はもっと非道い
「胎児よ胎児 なぜ動く
母親の心がわかって怖ろしいのか」
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私の場合
人並み以上に小柄な母は、私を4,000グラムで産んだ。
さぞ、難産だったことだろう。
そして私は、町のベビーコンクールで優勝した。
私は「完璧」な赤ちゃんだった。
不摂生が祟って腎臓を病み、身体にメスを入れた時、母がぼそりと言った。
「傷ひとつなく産んでやったのに……」
だから、私は思っている
──私は「ことん」と生まれたのでも、「屁」のように生まれたのでもない。
一生懸命、産んでもらった。
今日、帰省を終えて関東に戻った。
夕刻の風はいくらか涼しさを増したようだ。
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フラミンゴ・ヨガ
がにまたのポーズ
ファイミル・アイコンのモデル
サフォーク君
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TVアニメ『ジャングル大帝』
人間の言葉を話せる白い獅子、レオは訴える。
「動物と人間が共存できる日、それは世界中から動物園がなくなる日──」
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動物園で最もよく見かける光景、それは動物が尻を向けて寝ている姿───
こんなのや
こんなの
人間なんて相手にしたくないのだ。
なぜ、こんなヤツらの見せ物にならなきゃいけないのだ。
でも……
木登りできるスペースがあるだけ、少しはマシ?
そもそも、動物園は誰のためにあるのか?
(種の保護、学術的意義は除く)
人間のためか、動物のためか?
そりゃ人間でしょ?
人間のお客さんのために作ったんだから。
第一、入園料を稼がなきゃ経営が成り立たない。
ならば、お客さまを呼び込むために見せ物を派手にしなきゃ
↓
とは、考えていない。
旭山動物園を見ていて、そう思う。
全ては私の想像である。
旭山動物園のポリシー、
それは、
人間に面白く見せる事ではない
動物たちがいかに面白く暮らせるかだ。
動物園はそこに暮らす動物たちのものだ。
それを感じたのは、この2点
カバ園の隣に小さなスペ一スでカラスのコーナー。
殺処分になりかけたカラスを保護している。
誰がここまで来てカラスなんか見たがるものか。
でも、敢えて展示する。
カラスも生態系の大事な一員だと知らしめるためだ。
それは客寄せの価値とは別の価値だ。
そして
滅多に人の来ない奥まった一角。
大型草食動物の展示館を建設中だ。
そこに見学窓───覗けば、工事に勤しむ人間の姿が見える。
これはシャレでやっているのか?
違う。
動物たちの行動展示をするのなら、当然「人間」の行動展示もあっていいよね。
だっておんなじ「動物」だもの。
旭山動物園は、日本最多の入場者数がありながら、なぜか滑稽なほど質素である。
その気になればいくらでも金儲けができるはず。
施設もバンバン増やせばいい。
かつての遊具跡地だろう、まだ空きスペースはいくらもある。
しかし、もし成功に酔ってしまったら、
お金を稼ぐことを優先したら……
この動物園はポリシーを失い、
「動物の園」になろうとすることを、忘れてしまうのかも知れない。
それにしても……
年間パスポート1,000円って!?
もっと貰おうよ
価値と釣り合わなさすぎる。
Android携帯からの投稿
ど~ん!あざらし~
どど~ん!もう一丁!
と言うわけで、旭山動物園に行って来た。
私が子どもの頃は、広いだけの動物園だった。
子ども達の目的は、動物よりも、むしろ併設されていた遊園地。
このメインストリートの脇に大きなペンギンのプールがあった。
それは水色のペンキが塗られた浅いプールで、人間は柵越しに見下ろしていた。
それが今や
ぎゅ~ん!
空、飛んでる。
私にとっての旭山動物園の記憶は三十数年前で途切れていた。
それがいつの間にか、夢の動物園へと変貌した。
このペンギン、冬には園内を散歩するんだぜ。
しゃがんで見てたら、目の前50センチをトコトコ通り過ぎるんだ。
こういうヤツらが
旭山動物園の「行動展示」
動物園の常識を変えた。
そこは動物が、これまでの監獄式の陳列と違い、
その動物らしく行動出来るよう、工夫をこらされた場所───
だから、動物たちも、無理に人間の見せ物になる必要はない。
白熊館のアザラシドーム
アザラシは氷の下から頭を出したところを白熊に襲われる。
それを追体験しようという仕掛け。
列に並んで入ってみた。
結果───
白熊は無関心。
遠くにお尻が見えただけ
それでいいのだ
何でも人間さまの思い通りになると思ったら大間違い。
もし、ドームの周りにエサを撒いたら、白熊が寄ってきてお客は大喜びかも知れない。
でも、それをやったら、動物園は単なる見せ物小屋となる。
私の幼少期、動物と遊具とどっちがメインか分からないような施設、閉園の危機に喘いでいた動物園が、何故これほどの支持を得られることとなったのか?
ここを訪ねて、私なりに感じた、この動物園のポリシー
それは次回に───
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