ブログ等に追悼文を記した人も、さぞかし多いことだろう。
私にも健さんについて語りたいことは一杯ある。
逆に語るべき切り口に迷う。
迷った結果、このー点に絞ることにした。
それは、
「健さんにとって、チエミさんの存在とは何だったのか」
ということ――
NHK『クローズアップ現代“人を想う”~映画俳優・高倉健さん~』

「誰かを好きになること(ここでは映画のスタッフ)」で得られるモチベーションの素晴らしさについて、珍しく熱く語る健さん
そして
NHK『プロフェッショナル――仕事の流儀』

遺作となった『あなたへ』の撮影現場
綾瀬はるかさんと雑談する中で、健さんは重い一言を吐露する
――売れれば、人は寄ってくる。でも、その人達は君の幸せのことなど、考えちゃいない――
愛らしく、才能溢れる若い娘に、アドバイスを告げずにいられなかったのだろう。





健さんは1959年、人気絶頂の江利チエミさんと結婚した。仲睦まじい二人の素顔も映像に残っている。
だが、結婚生活は13年目で破局した。
原因は、まるでシェークスピア劇『オセロ』のイヤーゴウのような悪人の画策
江利チエミさんには長年、生き別れだった異父姉がいた。
この人物がチエミさんに取り入り、やがて財産管理まで任されるようになる。
そして億を越えるような借金をチエミさんに被せ、誹謗中傷で健さんとの仲を裂いた。
その動機は――お日さまの下にいる(人気絶頂の)チエミさんが妬ましかったから……
以前、チエミさんの特集番組で、親友の雪村いづみさん――この人は善良さの塊りのような天真爛漫な人である――が語っていた。
「何にも悪いことをしていない人、あんな良い人に、どうしてこんな酷いことが出来るのか……私は初めて、人を憎い!と思った。」
真相を知ったチエミさんは、その時ハワイにいた健さんの元に駆けつけ、土下座して謝ったという。
でも、この二人を以ってしても、一度壊れた関係は修復出来なかった。
チエミさんが45才で急死した時、健さんは報道陣を避け、ひとり手を合わせたという。
そして毎年ひっそりと、墓参りに訪れていた。
チエミさんの親友、いづみさんや中村メイコさんたちに、日頃から言っていたという
「チエミのこと、よろしくお願いします」
これ程に思っていながら、何故復縁出来なかったのか?
愛情とは、一度壊れると、これ程までに取り返せないものなのか?
健さんが「チエミのこと」と、その名を口にする時、その胸に去来する想いとは、何だったのだろう
だから、私は考えた
健さんを讃えて、もし喜んでもらえるとしたら……
それはチエミさんを誉めることなのではないか





私のチエミさんにまつわる最初の記憶は、実写版「サザエさん」
明るい太陽、元気一杯のサザエさんは、チエミさんの当たり役となった。
昼メロで人情家でバイタリティ溢れる肝っ玉かあちゃんの役を演じていたのも記憶している。
チエミさんは、異父姉に陥れられた億を超える借金を、地方廻りの営業で身を粉にして働いて完済した
――気骨の人であると知ったのは、ずっと後。
そして一人暮らしの虚しさを紛らすためにアルコールに依存し、自室で吐瀉物を気管に詰まらせ、45才で急死した。
チエミさんが亡くなった時、ラジオのパーソナリティが言った。
「戦後最高のヒット曲……と敢えて言わせてください。『テネシー・ワルツ』をどうぞ――」
さすがに戦後最高のヒット曲は言い過ぎだろう、と思った。
でも、この人はそう言いたかったのだ。
この人の記憶にあるチエミさんのために――
「日本映画専門チャンネル」で録りためていたDVDから、チエミさんの映像を探してみた――
1956年(二人が出会った頃)の出演映画
日活『ジャズ・オン・パレード1956年 裏町のお転婆娘』

これは孤児院の子ども達を笑顔にするために、コミカルな歌を歌うシーンである。
明るく、希望に満ち溢れたお転婆娘
こういう人だったんだろうな、と思う。
以上、健さんへの追悼として
高倉健さん、お疲れ様でした。
ご冥福をお祈りします。
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