いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせすん
その意訳→
花の色は匂うがごとく美しいが
直に儚く散ってしまう
幸せもひとときの夢、時は無情に流れて行く
悩み苦しむ人生を、今日も越えていこう
浅はかな夢に踊らず、己を失うこともなく──

「色が匂う」という表現に惚れ惚れする。
「色」という文字は、玄奘(西遊記の三蔵法師)が翻訳した般若心経にも表れる。
曰わく「色即是空」
大唐帝国の昔、この言葉は言霊(ことだま)となり、日本に伝わり「いろは歌」になる。
そして日本の風土に育まれ「もののあはれ」という感性となる。
明治の初め、福沢諭吉は数々の洋語を二字熟語に意訳した。
例えば「Free」→自らを以て由とする→「自由」というように。
近代化の基礎となる西洋思想は、こうして言霊となり、日本に浸透した。
戦後、敗戦とともに、日本は極端にアメリカナイズされていく。
もはや意訳もされずに、音を写しただけのカタカナ言葉が横行する。
今や、日本語で表現するよりも、カタカナで表記した方が「ニュアンス」が伝わる(←こんな風に)
そんな時代になってしまった。
カタカナは表音文字。発音をなぞっただけの記号である。
漢字のように、文字の一つ一つに情緒は込められていない。
単純化された記号だから、託される想いも浅くなる。
日本でよく目にするカタカナ言葉───
「セクシー」と「アダルト」
“Sexy”,“Adult”
この言葉を育んだ国では、深い情緒があったはず。
Sexy=男らしさ、女らしさ
男は勇敢で潔く
女は繊細さと母性の強さを合わせ持つ
そして
Adult=人生経験で培われた知識と落ち着き
ところが、カタカナで記号化されると、途端に豊かさを失う
セクシー=アダルト=エロ
“Eroticism”もまた、本来、ギリシャ語を起源とする深い概念を含んだ言葉である。
これらのカタカナ言葉は、日本では言霊になれなかった───
今の日本では、セクシーもアダルトもエロも「即物的に性欲をそそる刺激物」として、てんこ盛りで売られている。
この記事、上記の3つの言葉で検索して見つける人がいることだろう。
きっと、何だこれ!と怒るだろうね。
ただ私には、お手軽に商品化されているカタカナ言葉が、何とも気の毒に思えるのである。
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