猫じゃ猫じゃ~ 野生の力 | 空はどこから/猫の長靴

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

夏目漱石の『吾が輩は猫である』
初めて読んだのが中学生。
その連載第2回。

苦沙弥先生が猫を膝に乗せて年賀状を見ている。
猫が踊っている絵が描かれていて
「猫じゃ猫じゃ」と書いてある。
苦沙弥先生、はてなと首を傾げる。
名もない猫が、人間観察の小説を書いてブレイクしていた、ってことを知らない体だ。

「猫じゃ猫じゃ」ってどんな曲だろう、とずっと疑問に思っていた。

学生の頃、時代劇(多分、暴れん坊将軍)の再放送を見ていたら、居酒屋の宴会シーンで唄われていた。
店の女将が三味線の伴奏で「猫じゃ猫じゃ」を賑やかに唄い、町人達が手首を曲げて猫のポーズで踊っている。

ああ~、これかぁ~!
と感慨深かった。


その後、端唄にハマった時期を経て、数年前に梅吉姐さんのCDで、ついにこの曲をゲットした。
でも、違っていた。
声がキレイ過ぎる。上品過ぎるのだ。


この曲はむしろ濁声で、蓮っ葉に唄うのがいい。


ねこじゃ
ねこじゃと仰いますが(チョイト)
猫が
猫が下駄履いて 
絞りの浴衣で来るものか


歌詞の意味は諸説あるようだが、私はこう解釈している。
猫は芸者の隠語──

芸者を猫じゃと莫迦にすんない!
猫がこんなに粋に澄ましているものか!



さて、吾が家の「猫じゃ」
あっき と けいた

名前は瞳のキレイな女のコにあやかったのに、今だに懐かない。

生まれたのが4月(推定)、確保したのが9月。
もう5ヶ月も暮らしているのに、
私の目を見て後ずさりするとはどういう事だ?


猫ブログが途絶えていたのは、その理由に尽きる。
進展がないのだ。
生後数ヶ月で染み込んだ、「野良猫根性」とは、斯くも根深いものなのか。



エサやり場にしているので、ゲージには入る。
私が近づくと逃げる。



かつて、ふぁい・みるは捨てられてすぐ見つけたから、野良の経験がなかった。
今思うと、どんなに扱いやすかったことか。

あき・けいはゴミ箱を漁り、発泡スチロールをかじり、靴に小便をかける。
呑気な けいたは、それでも見えるところで寝そべったりするが、
あっきはほとんど姿を見ない。まさに「家庭内野良」


甘かったな~、こんなに信頼されないとは。
愛情って……我慢とか、辛抱とか、いろんな苦い思いを含んだものだったんだなぁ



実はこの記事、前半部分だけ書いて、トピック待ちをしていた物。

そして……

あっきがダウンした。

一昨日、ゴムチューブを吐いて、以後、エサが食べられなくなった。

昨夜は一晩中吐き続けた。
エサを一粒、口元に持っていっても、飲み込めずにポタリと落としてしまう。
精気がみるみる褪せていく。


私はこれまで、「野生」の生命力は強靭だと思っていた。
野良猫は何でも漁って悪食し、当たればゲエゲエ吐くけれど、やがてケロッと回復するのだと……

違う
悪食の末、身体を壊せば呆気なく死んでいく。
命は粗末に消えていく、それが野良の世界なのだろう。


あっきは衰弱に向かっている。
放っておいたら死ぬ。
だいたい、ゴムチューブを飲み込むとは何て莫迦な奴だ。
そして、ドジった奴から死んでいく。



寝不足の私たちは、今日あっきを病院に連れて行った。
朝一番で出掛けるはずが、カゴのジッパーを壊して脱走し、昼ごろになった。

さすがに絶食で時間が経つと、もう逃げるのも億劫になったのだろう。
結局はカゴの底にへばりついてグッタリしている。
私があっきの身体に触れられるのはこんな時だけだ。


腹の毛を剃られ、エコーの診断を受ける。
仰向けで足を上下に伸ばされ、猫にあるまじき姿で横たわっている。
パニックにならないよう、その顔を手で覆う。

異物は見つからなかった。
胃から上にはない、十二指腸から下は、判別しきれない。
液溜まりがある。
その陰に、上にも下にも行き場を失った異物が隠れているかもしれない。

脱水症状が出ているので、点滴した。
明日、もう一度検査する。
何かが見つかれば開腹手術になる。
あるいは、このまま投薬だけで快癒に向かうのかもしれない。

いずれにせよ、今回で死ぬことはないだろう。
この子はもはや『家猫』なのだ。



壁際に潜むあっき




スケーターを襲うけいた









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