「雨漏路(うろじ)より 無漏地(むろじ)にいたる 一休み
雨降らば降れ 風吹かば吹け」
一休さんの名前の由来となった歌である。
一休さんが生きた室町中期は人心の荒んだ時代だったらしい。
南北朝の動乱から応仁の乱。
権力者たちは野合離散を繰り返し、もはや語るべき正義もなかった。
…なんだ、今と変わんないじゃん、と思うだろうが、当時は命のやり取りである。
庶民の生活はすぐに困窮し、餓死者が溢れた。
一休さんはもの凄く真面目な坊さんだった。
とことん思い詰めて、ポテンシャルはそのままで風狂な坊さんになった。
正月、竿の先に骸骨をぶら下げて「ご用心、ご用心」と言ってねり歩いた。
ー休さん、それはあんまり…と周りから言われたがガンとして止めなかった。
これ風狂の例
この世で一番長い文字を書いてみろ、と言われ、
よっしゃと大きな筆を持って、だーっと真っ直ぐな棒を引き、最後にちょんと払った。
これが一番長い「し」の字。
これ、トンチの例。
ある金持ちが馬の掛け軸を持ってきて「これは大層高価な絵だから、賛を書いて欲しい」と依頼した。
賛というのは、絵の添え書きで、有名人に書いて貰うと値が上がる。
ー休さんは「馬じゃげな」と書いた。
怒った金持ちはその絵を蓮如上人(浄土真宗の名僧)に持って行った。
蓮如さんは「そうじゃげな」と書いた。
これ、俗物を懲らしめるの例。
以下、私の素人意見──
一休さんは、時代にカンフル剤を打とうとした人だと思う。
一休さんの逸話(トンチ話)は単なる滑稽話ではない。
真摯に一生懸命、奇抜な事をやった。
小さな価値観、俗世の塵にまみれると、目先の事しか見えなくなる。
一休さんは、いわばトンカチを持ち歩いて、世俗の垢にまみれ、心が小さく凝り固まった人々の頭を叩いて廻った。
ただ、かなり強烈だ。
先の骸骨の例など、何故、ことさらにそんな事をしなければならないのか分からない。
正月くらい穏やかに過ごしていいじゃん、と思う。
道徳観の破壊も凄い。
「美女の淫水を啜る」って、坊さんがそこまで書かなくても…
などと言うと、頭をトンカチで叩かれるのだろう。
「親死に、子死に、孫が死に」
は、ある長者がお目出度い言葉を所望した時に書いた。
「縁起でもない」と怒る長者に言った。
「長幼の順に死ぬ、こんな目出度いことがあろうか!」
……
……
私は唯一の親孝行として「親より先には死なないようにしよう」と思っている。
今、妻の父が死にかけている。
90才に近いから、まあ大往生である。
肝臓病の毒が脳に廻って、錯乱が始まっているらしい。
どういう感情で、これを受け入れればいいのか、戸惑っている。
いずれあること、親が先で良かった。という意識はある。
…やっぱり、仏教ネタ、特に生死の話題は難しい。
ここまで書いてみて、ー休さんには何かしらの違和感を持つ。
騒がし過ぎるのだ。
……
……
これは私の身近であったこと。
ある家で、痴呆状態の老父が死んだ。
弔いに駆けつけた親戚たちの前で、その家の主婦は「よかった、よかった」と大喜びしていた。
これはもう、「人の心」ではない。
この主婦はその後、老いてから実の娘に同様の扱いを受けた。
癌で長く苦しんだ老母の通夜。
集まった子供と配偶者たちは、思い出を語り、笑いさざめいた。
老母の写真は、その様子を笑顔で見下ろしている。
こんな弔いがいい。
……
……
良寛さんは、江戸期の名僧。
でも、何で有名なのかが良く分からない。
俗世を生きる知恵がなくて、商人の家業をしくじり、出家した。
歌を詠み、子どもたちと鞠付きをして遊んだ。
夜、自分の庵に泥棒が入り、手当たり次第に持ち出そうとしているのを黙って見てた。
最後に「茶碗を忘れてるぞ」と声をかけた。
何にも無くなった部屋で、外を眺めて一句詠んだ。
「盗人(ぬすびと)に 取り残されし 窓の月」
家業をついだ弟から、「素行の悪い息子に意見してくれ」と頼まれて、久しぶりに生家を訪れた。
でも良寛さんに説教など出来るはずもなく、今日は言おう、明日は言おうと思っている内、帰る日となってしまった。
旅支度の良寛さんの草鞋の紐を結ぼうと、甥っ子が屈み込んだ。
その時、良寛さんは一粒、涙をこぼした。
その涙が甥の手元に落ちた。
それを見て、甥は全てを悟り、改心した。
良寛さんの辞世の句
「散る桜 残る桜も 散る桜」
う~ん
なんだか、良寛さんの話は心に沁みる。
私は「動」のー休さんより、「静」の良寛さんに、より深くシンパシーを感じるタチのようだ。
Android携帯からの投稿
