長塚節(たかし)の農民小説『土』
学生の頃、読んだ。
貧しい農民の生活を淡々と描いていた。
文庫本一冊なのに、やけに長く感じた。挫折しかけたが気力で読み切った。
「あとがき」に漱石が文章を寄せていた。
「自分の娘たちが年頃になり、贅沢をしたい遊びたいと言い出したら、長塚節の『土』を読ませる」
「世の中には、面白くなくても読んでおくべき本があるのだ」
ひっくり返った。さすが漱石。ここまで読んでよかった。
3月11日、私は東京のオフィスにいた。
ヘルメットを被って皆で駐車場に非難した。
総務の女の子が、片手に社長印の入った小箱を持っていた。
「サラリーマンのカガミ!」と皆で褒めた。
妻と愛猫が無事なことはメールで確認が取れていた。
帰宅を諦めた連中はコンビニでカップラーメンやアルコールを買い込んだ。
帰宅組は社用車を動員して方向毎に乗り合わせることになった。
千葉方面の一台目。まず女性を乗せて地理に明るい奴を運転手につける、と数えると、まだ一人乗れる。
先輩と「先に乗りなさい」「いえ、○○さんより先に乗れません」と譲り合っていると、
私たちの前を脇目もふらず通り過ぎ、女性よりも先に車に乗り込んだ年配の男がいた。
私たちは驚かなかった。それは日頃の姿から想像できる、その人らしい行動だったからだ。
家に着くまで6時間。
しかしそれは、行列をなして歩いている人たちより遥かに快適であった。
「何だか申し訳ないね」
私たちは車の中で話し合った。
それが私の被災体験。パロディのように軽い。
岩手に住んでいた頃からの知り合いは皆、無事だった。電気、水道が止まったのは難儀したようだが、元々山仕事系なので、津波の被害にあった人はいなかった。
岩手のアンテナショップ「いわて銀河プラザ」は銀座の、歌舞伎座の斜め向かいにある。
ここに来た時は、よくジャジャ麺を買っていた。
店が再開したと知り、募金に行った。
休憩コーナーには分厚い「避難者名簿」が何冊も置かれていた。
その名簿を食い入るように眺め、ページをめくる人たちがいた。
それが、私が初めて眼前で見た「被災の現実」だった。
テレビを始めとする各種メディアが、被災された方々の
今なお安定しない生活
疲れていく心の内
を伝えている。
それらの情報を見るか見ないかは人それぞれだ。
しかし、私は漱石の言葉を思い出す。
世の中には
「見たいか見たくないか」ではなく、
「見なければならないもの」がある。
無関心は「消極的な暴力」なのだ。
今日、銀座で小さな写真展を訪れた。
都会のおしゃれなビルの最上階でひっそりと開催されていた。
瓦礫の中、被災地(陸前高田)の人々の素直な表情を映し出す写真たち。
それは無関心を装う都会(銀座)に似つかわしくなく…だからこそ逆に、似つかわしいとも思えた。
こんな風に日本中(世界中)のあらゆる場所に、震災の記憶が静かに深く染み渡っていけば良い。
私は「忘れない上手な方法」とは何か、考えている。
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