子供の頃、つまり昭和40年代、NHK朝の連ドラに、こんなシーンがあった。
青年が母親とアジア(国は覚えていない)のホテルに泊まっている。レストランから、日本の軍歌を歌う声が、騒々しく聞こえてくる。
「他国に来て、なんて非常識な!」青年は歌を止めに行く。
…しかし悄然として戻ってくる。
歌っていたのは、むかし日本軍に徴用された地元の人たちだった。
人間は歌う、辛い時代でも。
青年期に戦争に巻き込まれた人々にとって、軍歌は青春歌となる。
軍歌は戦争を知らない世代が、ふざけて歌うのは気が引ける。だが、時代の鎮魂歌として、残していくべきものとも思う。
例を挙げると
陸軍では『愛馬行』が良い。
苦楽を共にし、共に戦う愛馬。命の盾となってくれた戦の夜、泣きながらマグサを食べさせる場景が素晴らしい。
海軍では『月月火水木金金』
元気いっぱい、溌剌とした歌で、日本版「踊る艦隊」とでも言いたくなる曲だ。
戦中歌謡も聴いた。
『満州娘』は、16才の娘が大好きな王さんのところへ嫁に行くという、幸せいっぱいの曲。
そして『マニラの街かどで』
♪~花のマニラの街 青空高く 喜びは胸に満ち 苦しい夜は明け行く~♪
日本軍は南方各地で次々と勝利し、アジアを西洋列国から解放した。
当初はアジアの希望として大歓迎を受けた。
やがて、各地で専横を極め、アジア諸国の怨差の的となる。
結局、日本政府はアジアの人々を「同朋」と見なしていなかった。「労務者」として使役した。
この戦争で国際語となった言葉
『hibakusha(被爆者)』と
『romusha(労務者)』
「被害者」として、
そして「加害者」として、
日本語は国際語となった。
この時代の歌は殊更明るかったり、情感たっぷりに歌い上げる曲が多い。
しかし、他者を虐げる心の痛みは歌われていない。
私は全共闘世代の後に青春期を迎えた。
少年期にあさま山荘の中継を見せつけられ、政治に口を出すのはいけないことだという空気の中で育った。
大学時代には、学生運動はわずかな埋もれ火を残す程度だった。
「しらけ世代」とか「やさしい世代」と呼ばれた世代だ。
微かな空気は残っていた。
私の地方で、全共闘で最後まで抵抗した人たちを知っている。
映画のプロモーターやパブの主人、住所兼の小さな上映場をやっていたりした。
彼らは学生運動で人生が変わった。「本物」である。
一方で「あー面白かった」という人がいる。学生運動はお祭りで、騒いで無茶やれて楽しかった。今はバリバリの自民党で、選挙の度にはしゃいでいる。
ゲスだなぁ、と思う。
時代を生きる責任を、全く感じていない。
歌はフォークの全盛期。青年たちは与えられる曲ではなく、自分たちの歌を歌っていた。悩む自由はあった。
昭和30年代を懐かしんだり、バブル期を懐かしんだりするTV番組を見ると、私は一抹の不快感を覚える。
バブル期は拝金主義で倫理観が壊れた時代。肩で風切る派手な生活をしていた人は懐かしいだろうが、イナカであんまり影響を受けなかった私には、不潔なイメージしかない。
30年代は全国で公害による健康被害が甚大だった。社会科の授業で、水俣病、イタイタイ病に苦しむ人達の映像を見た。
それがリアルタイムの悲劇だった。
戦時中の特攻や玉砕を考えると、どうにもやり切れない。
国民に「死ね」と命令する国家が、国家と言えるだろうか。
人はとかく、懐古と悲観が好きだ。今はダメだ、昔は良かったという。
人のつながりが模索され、環境に配慮され、政治にロを出しても良く、
何より国家から「死ね」と言われない…
何を悲観する必要があるだろう。
青年たちはこれからも歌を歌っていくだろう。暗くても明るくても。
高齢化社会だから、老人も張り切って歌うがいい。
10年後は分からないが、今の私は取り敢えず
明日のコメが買え、屋根のある家に住み、一人ではなく…
しかも、ライブにいって女の子と握手することまでしている。
とんでもなく幸福な「今」を過ごしているのかも知れない。
後のことは、また考える。
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