昨夜、ついに愛猫が枕許に現れた。
それはアメンバー記事に記した。
しかし、明るい話でもないので、読むのは特にお勧めしない。
さて、今回は過去に詠んだ猫川柳。
記録は散逸しているので、記憶からひとつまみ。
「十六の 瞳が詰まる かごの中」
…手の平に乗るような8匹の子猫。
連れ帰って、衣類カゴに納めた。
身を寄せ合って眠りについたので、上からタオルを掛けた。
か細い鳴き声が聞こえた。
タオルをめくると
16の大きな瞳がまっすぐに私を見上げていた。
「猫の手は にゃあんの役にも 立ちません」
…台風でアパートの屋根が飛んだ。穴のあいた天井から空が見えた。
猫(ふぁい・みる)がいてはホテルにも行けず、部屋にテントを張って一晩過ごした。
翌日、数十キロ離れた同じ大家のアパートに向かったが、約束の場所に鍵はなかった。
車の中に待機。暗い夜空に雨は降り続いている。
後部座席に閉じ込めたゲージの中から、尾を引くような猫の鳴き声。
切ない…実に切なかった。
猫は愛らしい生き物だが、苦しい時にはCheerUpしてくれない。
むしろ哀しみを掻き立てる。
「しっぽ立て パパをお供に パトロール」
…ふぁいも老猫の域に入った。
交通事故や猫エイズで失なっては堪らないので、家から出さないことにした。
みるは雨戸を蹴破ってでも屋外脱出を企てるヤツだったが、
ふぁいは女のコだからそんな乱暴はしない。
ただ、パトロールはした。
パパを見上げてニャアと鳴く
ついて来いという訳だ。
廊下の角やドアの縁に、顔をこすりつけてニオイづけをする。
最後にエサ皿の前に戻ってニャアと鳴く
ひと仕事したから、ご飯をよこせという訳だ。
パパは両手を後ろに組んで、ヘイヘイと付いていく。
「愛猫は パパのお膝で だんご虫」
…猫は人間をご主人とは思っていない。
せいぜい使用人、あるいは温かい肉布団である。
私がうつ伏せで本を読んでいると、必ずといっていい程、背中に乗ってきた。
ソファで横座りしていると、ふくらはぎに乗ってきた。
足一本の上でバランスを取るのは難しかろうと思うのだけど、「私の権利」と言わんばかりに、香箱座りで澄ましていた。
私はふぁい・みると暮らすようになってから、ほとんど夜遊びをしていない。
だって、つまらないじゃないか!
外で飲んでも猫はいない。
家に帰れば猫が膝に乗ってくる。
「猫の背に ナムアミダブツと 言ってみる」
…猫の後ろ頭は無防備で、何ともマヌケである。
ピンと頭を弾いてみたくなる。
でも、老猫の後ろ姿は愛おしい。
仏性とはこういうものか、と思う。
子猫のうちは可愛いが、老いると愛情が薄れる…と思ったら大間違い。
時を経る程に、連れ添った老猫は、愛しい、愛しい、愛しい。
大儀そうな身のこなし、たるんだ毛皮、ハゲかかった耳元…
「ありがとう、一緒に生きてくれて」
と、拝みたくなる。
以上、お粗末さまでした。
はい、だんご虫
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