湯ぶね
 「愛の水中花」
      スタジオ空洞
 
少し早く着いたので周りを散歩してみた

というのは

15年前にこの通りを通って

半年くらい撮影スタジオで働いていた事がある

とても懐かしい

家族の話は胸をつく

障害者を持つ家族の話だから尚更だ

愛がないと無理だ

それも愛というのかわからない

これも愛

あれも愛と言うが

または愛じゃなくても良いけど

色々思い起す事がある

それでも人は生きて行ける

時に強くても弱くても

何もなくても

やはり楽しい事に傾けようと

人と会えば楽しい事をしようと

楽しい事が良い

笑える事が良い

ユーモアが必要だ

しかし人は何を求めるのか

愛の水中花の歌のように

ふわふわして

それは手で掴めないんだろう
{26D86322-BE4A-4ADF-A0CE-E420D1375AC6:01}




西瓜糖
「モデル」
         観劇

今 僕は悪い顔をしている

目がギラついている

いつもより足早に

何かを振り切るように

急き立てる用事が特にあるわけじゃなし

出来るだけ早く遠くに行きたい

そうすれば気持ちも落ち着くと思い込んでいる

多分そうなんだろう

画家の家の話

画家が絵を描く姿を見ると単純に

情熱という言葉を思い出す

前回の西瓜糖をタイトルは忘れたが観た後もそうだった

ショックを受けたのだ

今回もそうか

でもこうも思っている

役者の居住まいや台詞に心動かされながら

傍らで

本当に面白いのか

達者な役者と巧みな本と演出で

自分は面白いと思いたいだけなんじゃないのか?

才能の結集を見て

自分にもそれがある風に

わかるわかると思い込みたいだけなのではないだろうかと

狂ってきた

それはなんの為に

だからそこから逃れたいと

早く帰りたい

とても卑屈な天邪鬼がいるのです

ケチをつける訳ではないのだけど

ただ才能や嫉妬や

それが行き着く所に行き着かないで

膨張して

例えば継続中だったとしても

それが一体どうしたと思う事もあった

「だれかいるよ」
{8CED1C73-FDD8-467E-9753-455F8A8D8FCE:01}






























先々週と先週と茨城に行ったり

実家に帰ったりして

書きたい事は山程あるが

今ちょっと映画工房を観て

死ぬ程辛い事が

人をまた少し強くしてと

久しぶりに見た

安藤政信が言ったのかな

好きな舞台を封じて

今の仕事を続けたとする

いやとても続けられない

それは修行みたいなものだ

それが実家から車で20分の所に

紅葉が見れる

秋保温泉という眺めの良い土地があるのだけど

そこに千日餅という新銘菓が売っていて

その名の由来が

お坊さんの荒行で

千日回峰行というのがあり

千日かけて48000kmを踏破するという修行で

それを満行すると大阿闍梨という称号が貰えるのだ

約1300年の歴史の中でたった2人しかいない

その1人がこの秋保の奥にある福聚山

慈眼寺の住職だ

お菓子も美味しいのだが

その由来を読んで

坊さんて何と凄いのかと感動した

何故それをするのかと

そういえば

自分はあまり我慢や辛い事を考えず

楽しい事や面白い事ばかりに飛び込んで

生きてきた

楽しい事は嬉しいが

楽しくない事も

幸せでないような事も

いや幸せになる事を考えてきたけど

そうでなくともいいかなと

少し思ったのだ

生きてるだけで幸せなのではないかなと

考え方で

受け取り方で

どう感じるかというか

そうは言っても

幸せになる事を考えていて

全く諦めていない

紅葉を見てる時はとても美しいと感じたが

撮った写真を帰って見てみたら

何故撮ったのかと不思議に思うくらい冷めていた

そんなもんだ
{1D8E9BBE-83D5-4E9B-83E8-D6E929FA18B1:01}

{C6C59159-18DC-4997-B096-0EAE7592FDA4:01}