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結婚6度目 今度は奥さんが逃げた!?

離婚歴5回。現在、六度目の結婚で妻と別居中!これってヤバい状況では 。。。

奥さんがオレゴン州に旅立つ半年ほど前だったろうか、ボクは義弟と二人でデータ入力&印刷広告の会社を立ち上げていた。

 

奥さんも、少し前から美大のヌードモデルの仕事を辞めてボクたちの会社でデータ入力の仕事をするようになり、妹も経理として参加していたので、コンプライアンスのコの字もない、家族経営の会社だった。

 

 

この会社、立ち上げた時には、義弟が印刷、ボクがデータ入力を担当して、当時始まったばかりのワープロ入力の仕事をメインにやっていくつもりだったのだ。

 

ボクがワープロ入力を選んだのも、これといった「思い」があったわけではなく、たまたま展示会で知り合った富士通関連の会社の部長さんから、「面白いねえ、ワープロあげるから何か面白い事やってみてよ」と、当時1台150~200万円もするワープロを3台も送りつけられたのがキッカケだったのだ。

 

 

今思えば、この部長さん、それなりに戦略があったのだろう。

 

それから数年後には、ボクを通じた縁で大きな受注を何本も取っていった。

 

まあ、そのあたりはまた機会があればという事で、話を本題に戻すとしよう。

 

 

 

兎に角、そんな事情で、ボクたちの会社は、ただで支給して貰ったワープロを切り口に、いろんな企業に営業をかけていった。

 

 

営業を担当していたのは義弟で、彼はどんな大きな会社でもぶつかっていく度胸とセンスのある男だったので、ボクたちの会社も当時のワープロ人気を背景に、順調に売上を伸ばしていったのだ。

 

 

 

奥さんがオレゴン州に行くにあたって、ボクたちを取りまく環境は、こんな風に大きな変化の只中にあったのだ。

 

 

 

一方義弟は、ボクにとっては運命ともいえる仕事をつかんできていた。

 

それは地元最大のスポーツ用品店の新聞折り込み広告の仕事だった。

 

 

それまでワープロ入力や大学の書籍などを中心にやっていた会社だったので、そんな大きな会社の新聞折り込みなどやった事がない。

 

取りあえず、義弟が持ち帰った仕事の見積りを作ってみたが、その額の大きさに驚いて疑いの気持ちしか湧いてこなかった。

 

「印刷費だけで500万円だぜ?」

 

当時、1ヶ月の売上が200万円にも満たない頃だったから、500万円の印刷代といえば、一発間違えば会社が倒産する金額だ。

 

しかも、一度も経験のない輪転機なのだから。

 

さすがの義弟も少しビビッたのだろう。

 

「止めとく?」

 

と弱きな事を言い出した。まっとうな経営者なら「引く」ところだ。

 

ところが、ワープロがタダで手に入り、売上も順調に伸びたりしていた事から、天狗になっていたボクは、広告マーケットに売って出るチャンスと、その仕事に前のめりになっていった。

 

相手の社長と直接会って受注するかどうか決める事にしたボクは、本店の二階にあった本社を訪問して、社長とお会いさせていただいた。

 

 

そしてまた、その面会がその後のボクの人生を大きく変える事になったのだ。

 

 

本店の印象についてのコメントを求められたボクは、流通業についてなんの知識もなかったが、直感的に思ったままを社長に話した。

 

そのボクのコメントをひどく気に入ってくれたのだろう。

 

社長から新聞折り込み以外の広告についても手伝って欲しいという話をもらった。

 

その日、社長から年間の広告宣伝費が1億円を超えるという話を聞いたばかりだったので、ボクの驚きは言うに及ばないだろう。

 

それからというもの、ボクたちの会社は、従来からの売上に対して、スポーツ用品店の広告売上が半分に達し、急速に広告分野へとシフトしていった。

 

流通業の広告なので、メインは新聞と雑誌。それ以外に、駅や劇場などの広告を制作していた。

 

そのため、仕事を通じてモデルと付き合う機会も増えていった。

 

 

 

そんな時だった。

 

学生時代から通っていた喫茶店で、ある女の子と運命的な出会いをする事になったのだ。

 

ボクたちが出会うことになったこの喫茶店は、美人ママが経営する店で、美人の女子大生を10名近くローテーションで働かせていて、今思えば喫茶店というよりキャバクラのような店だった。

 

 

もちろん、料金はドリンクやフード代だけだし、女の子たちになんのノルマもなかったので、その意味では極めて健全な喫茶店だったのだが。。

 

 

で、学生時代以来、久しぶりにそのお店を訪れたボクが出会ったのが、広末涼子似の美人だったのだ。

 

 

 

その頃、奥さんがオレゴン州に出かけて一人暮らしをしていたボクは、奥さんが言い残した「私がいない間に、彼女とかできたりしてね」という言葉を思い出して、なぜか「絶対、彼女にしよう!」と、逆に、奥さんが帰ってくるまでに彼女をつくらなくちゃ!!と、奥さんの期待に応える事への妙な期待感を抱いていた。

 

 

広告のモデルをやってもらえないかと彼女にバイトの話を持ち掛けたボクは、親しくしていた美人ママをも巻き込んで、彼女にモデルを引き受けさせる事に成功した。

 

もうここからはトントン拍子!! 彼女と男女の関係になるのに、それほど時間はかからなかった。

 

 

ただ、二人の関係を続けていくには、彼女には大きな問題があった。

 

 

というのも、彼女は、両親の離婚がキッカケで、「お兄ちゃん」を頼って家を出てきてしまい、その「お兄ちゃん」の紹介で、その喫茶店に住み込みで働いていたのだ。

 

美人ママと旦那さんは、責任をもって彼女を預かる立場にあったので、未成年の彼女が自分の行動を勝手に決めることができなかったのだ。

 

どうしても彼女と付き合いたかったボクは、彼女に小さなマンションを用意することにして、喫茶店のアルバイトを辞めて独立できるように、ボクの会社でデータ入力の仕事をするようにと、「お兄ちゃん」を説得した。

 

その後、美人ママ、旦那さん、お兄ちゃん、彼女、ボクの5人で話し合いの場を持ったが、最終的には「お兄ちゃん」の意見が通って、彼女は自由に動ける身になったのだ。

 

 

そんな時だった。

 

 

奥さんが成田空港に着いたと電話があったのは。。。

二度目の結婚からしばらくして、奥さんがオレゴン州へと旅立った。

 

 

その数ヶ月前には、「東京へ行ってくる」と書置きを残して出掛けたきり、戻って来たのが3ヶ月後だったという「事件」があったばかりだったので、もうさほど驚きもしなかったが。

 

ただ、出掛けるにあたって旅費が足らないという事で、数十万円くらいのお金を出してあげた記憶がある。

 

記憶がある、という曖昧な表現をしたのは、正直、この当時の記憶があまりはっきりとしていないからだ。

 

卒業までに9年を要したが、やっとのことで大学を卒業して、妹の旦那と一緒に会社を立ち上げたばかりで、ほとんど家にいなかったのではないかと思うのだが、とにかく、奥さんと一緒に食事をした記憶すらないのだ。

 

ただひとつだけ、旅立つ前に奥さんが、「私がいない間に、彼女とかできたりしてね」と、どこか意味深な言い方をしたところだけが、はっきりと思いだされるのだ。

 

まあ、なんとも都合のいい記憶だこと(笑)

 

それから半年。

 

ある日、会社で仕事をしていると、半年ぶりに奥さんから電話があった。

 

 

「今、成田に着いたんだけど。お金がなかったの、どうしよう?」

 

 

思わず、あんたねえ!とツッコミたくなったが、それよりもとりあえずなんとかしなければと、当時、仕事の関係で付き合いのあったホリディ・インの支配人に頼んで、東京駅前のホリディ・インを予約していただき、ついでに、成田から東京駅までのタクシー代もお貸しいただいた。

 

今考えれば、なんとも失礼極まりない話ではあるが、その支配人は快く引き受けてくださった。

 

 

その日の夜、無事にホテルにチェックインしたという報告の電話がかかってきた。

 

 

「じゃあ、明日の朝、一番の新幹線で帰るね」

 

「わかったよ。ところで、彼女できたよ」

 

「うっそー、凄いじゃん」

 

とても夫婦の会話とは思えないような会話の後、電話を切った。

 

 

 

その時、ボクの中に、翌日の修羅場を想像するひとかけらの不安もなく、いつも通りの眠りについたのだ。

 

本人たちの意志とは関係なく始まったボクの二度目となる結婚は、その不謹慎な始まり方に引き寄せられた訳でもないのだろうが、波乱に満ちたものとなっていった。
 
結婚しても美大のヌードモデルを続けていた彼女は、ある時、大学で知り合った女子大生の友達を家に連れてきた。
 
 
音楽にも興味があったので、当時、ボクがやっていた音楽活動にスタッフの一人として参加してもらう事になり、奥さんとは関係なく、仕事にプライベートに時間を共にする機会が増えていった。
 
おそらく、奥さんはボクと彼女の関係に気づいていたのだと思う。
 
ある日、奥さんから、彼女を加えた3人でセックスしてみない?と持ち掛けられた。
 
奥さんが東京でどんな時間を過ごしてきたかを聞いていたボクは、彼女の提案にさほど驚きを感じなかった。
 
それどころか、彼女の提案がとても刺激的に思えて、深く考えもしないで「いいね」と返事をしていた。
 
勿論、こんな事はボクと奥さんが同意しただけでは成立しないので、彼女の同意が絶対条件であったのだが、こちらも驚くほどあっさりと、「してみたい」と同意が得られたのだ。
 
その数日後、ボクたち3人は、裸になってひとつベッドに横たわっていた。
 
 
ただ、ボクたち3人の間で、こうした時間を持ったのは、この時が最初で最後であった。
 
その後は、ボクと奥さん、そしてボクと彼女は、それぞれの時間を過ごし、その関係は、ボクが音楽活動をしている間、続いていく事になった。
 
彼女は、ボクがプロデュースしていたロックバンドのスタッフとして、メンバーの化粧等を手伝うために、各地のライブにも同行していたのだが、その移動用のバンの後部でコトにおよんだりと、お互いの求めるままに身体を重ねていった。
 
この当時、ボクの女性関係はますますひどい状態になっていて、面倒をみていたバンドの女性ボーカルやバンドのメンバーの彼女、自分で経営していたバーの常連客など、まったく無節操に関係を持っていた。
 
それぞれの女性たちは、自分以外に特定の相手がいる事くらいは気がついていたのだろうが、ロックバンドのプロデューサーという立場が、そんなめちゃくちゃな女性関係を当たり前のように感じさせていたらしく、誰ひとりとしてボクの行為を非難する女性はいなかった。
 
 
そんな暮らしが1年ほど続いた頃、奥さんが今度はアメリカのオレゴンに行くと言い出した。
 
オレゴンにはインドの宗教家の作り上げた「修行道場」があり、そこに行くのだという。
 
奥さんが日本を離れたのは、それから間もなくの事だった。
 
妻と弟が一緒に暮らすようになって半年が過ぎた頃、
 
ボクも、弟の元カノの彼女と一緒に暮らすようになっていた。
 
別れた妻も、彼女が弟の元カノだと知っていたし、
 
妹も妹の彼氏も、みなすべての事情を知っていた。
 
そのせいもあったかも知れないが、
 
ボクたち6人は、まるで初めから1つの家族であったかのうような感じで、
 
一緒に暮らしはじめた。
 
 
ボクは彼女と暮らし始めた頃、音楽スタジオのアルバイトをしていて、
 
地元のロックバンドのプロデュースのような事もしていた。
 
それもあって、アルバイトの時間以外も、ほとんど家にいる事はなく、
 
バンドの子たちと過ごす時間が多くなっていた。
 
 
それに加えて、
 
新しいメンバーの勧誘や引き抜きなどに関わって、男と女の関係になる事も少なくなかった。
 
当時、彼女は美大でヌードモデルのような事をしており、実家からの仕送りに加えてそれなりの収入があったと思う。
 
ボクも、弟と妹の面倒をみなければという建前もあって、実家からかなりの額の仕送りをもらっていたし、アルバイトの収入も少なくはなかったので、それなりに羽振りのいい生活をしていた。
 
そんな時だった。
 
ある日、アルバイトを終えて家に帰ると、テーブルの上に一枚の書置きを残して、彼女が家を出ていったのだ。
 
 
「ごめんね、しばらく東京に行ってきます」
 
しかし、このしばらくが3ヶ月にも及ぶとは、思ってもみなかった事だった。
 
ただ、ボクの彼女に対する気持ちは、女性に対するそれとはかなり違っていたので、こうした突飛な行動も含めて、ある意味、愛すべき人として受け入れていたのだ。
 
これは、後で分かった事だが、彼女は東京にいる間、彼女なりの冒険をしていたらしい。
 
ジョージ秋山の事務所に勝手に入り込んで、ジョージ秋山を驚かせた話や、ボク以外の男とセックスをしてみたかったのだが、相手が入ってきた途端、「やった!」と相手を突き飛ばしてしまった話など。ボクも面白がって聞いていた。
 
そして、3ヶ月ほどして彼女が帰ってきたのだが、ボクたちの生活は、まるでその3ヶ月がなかったかのように、それまでと変わらなかったのだ。
 
そんな頃、実家の父から、ボクと彼女の結婚を勧める話があった。
 
というのも、将来、ボクに家業を継いで欲しいと考えていた父にとって、彼女と結婚する事は、高名な布教使だった彼女の祖父と縁戚になる事でもあり、渡りに船のような話だったのだと思う。
 
元々、ボクも彼女も、結婚などという事はまるで考えてもいなかったので、逆に、それでお互いの両親が納得し安心できるのならと、深く考えもしないで、その話に乗る事にしたのだ。
 
 
結婚式は、ボクの実家であげたのだが、文金高島田をまとった彼女がピースサインをしながら入場してきたシーンが、いまだにはっきりと記憶に残っている。
 
こうしてボクは2度目の結婚をした。
義母が来て妻と話した事で、逆に、妻とボクの離婚が決定的になった。
 
それまで、妻と弟が同じ部屋で寝起きしている事が、ある意味で日常になりつつあったボクは、お互いの関係について考える事を放棄していたのだ。
 
考える事を放棄したというより、過去を放棄したと言った方がより近いかもしれない。
 
いずれにしても、今ある状況の中で生きていくほかないと、目の前の一点だけを見据えていたのだ。
 
ところが、義母が来た事で状況が一変した。
 
それは、義母にとって娘の行為は、「けだもの」のそれであり、とてもそのまま許しておけるような事ではなかったからだ。
 
義母の強い意志によって、妻は実家に帰る事になり、その後、実家で開かれた家族会議で、友人のいる東京へ行くことになったのだ。
 
 
当時、京都に住んでいたボクたちにとって、東京はあまりにも遠く、義母の登場まで当たり前のカップルのような生活を許されていた弟にとっては、このような別れはまるで考えもしなかった結果だったのだろう。
 
ただ、泣きくれる弟を見ていて、なぜかボクは、この「間違った状況」を元に戻すのは自分しかいないのだと思い込んでいった。
 
東京に行った妻の後を追って、ボクは一人で東京を目指した。
 
 
妻の友人のアパートに着くと、そこには一人で風邪をひいて寝込んでいる妻がいた。
 
ボクは、「弟のところに帰ろう」と言っただけで、妻を背負うと黙って駅まで歩いた。
 
その頃、弟は父と母から事情を聞かれるために実家に戻っていたのだが、妻が東京に行ってしまった事に大変なショックを受けていたのだ。
 
ボクが妻を実家に連れ帰った時、父は、「お前、大変な事をしてくれたな」と言って、すぐにでも妻を東京に連れ帰れと意見した。
 
 
しかし、妻と弟を一緒にする事に大儀のようなものを感じていたボクは、「二人が好き合ってるなら、それでいいじゃないのか」と、父と母を説得したのだ。
 
妻の実家には、父と母とボクが口添えをする形で話をして、妻の姉二人にもなんとか納得してもらう事ができた。
 
こうしてボクたちは、妻と弟が一緒になる道を歩き出したのだ。