結婚6度目 今度は奥さんが逃げた!? -2ページ目

結婚6度目 今度は奥さんが逃げた!?

離婚歴5回。現在、六度目の結婚で妻と別居中!これってヤバい状況では 。。。

ディスコで遊んでいるところを奥さんと彼女に急襲されたボクは、それ以後、自粛するどころか、逆にそれまで以上に外で過ごす時間を増やしていった。

 

その当時、スポーツ用品店主催のテニス大会で司会をしてくれた女子学生との仲は、それが当たり前のように仕事帰りに彼女のマンションに立ち寄る関係になっていたのだが、彼女もまた自身の中に暗く深い闇を抱えていた。

 

ある夜の事だ。

 

フローリング床に直接敷かれた布団に横になりながら、二人で窓の外に輝く月を眺めていた。

 

 

突然、彼女の目から大粒の涙がこぼれ始めたのだ。

 

「どうしたの?」

 

「私ね‥」

 

それだけ言って泣き崩れてしまった彼女の肩を抱きながら、ふと奥さんと三人で暮らしている彼女から、母親の不倫がキッカケで両親が離婚し、残された父親が借金まみれで破産したという話を聞かされたときの事を思い出していた。

 

「私ね、大学の1年生の時に、赤ちゃんを堕してるの。 ‥‥ それで、子どもが産めない身体になっちゃって‥‥ お母さんにも言えないし‥」

 

予感は運悪く的中してしまい、ボクは彼女の抱える闇を共有することになってしまった。

 

 

こうなるとそう簡単には離れられない。(少なくともボクはだが)

 

それからというもの、彼女の部屋を訪れ、胸元に彼女が流す涙を感じるのが日課のようになってしまった。

 

女性にとって、しかも若い女性にとって、「子供が産めない」というのがどれほどの事なのか、当時のボクに分かっていたとは言えないが、ただ彼女が耐え難い痛みを感じていることだけは理解できた。

 

いや、理解していたはずなのだが。。

 

そんな関係がひと月ほど続いたある日、こんな風に過ごしてばかりいてはお互いによくないだろうという事で、二人でディスコに出かけることになった。

 

彼女自身、ディスコで踊るのが好きだと言っていたし、その大人びた雰囲気はディスコがよく似合うだろうと思ったので、ボクの方から気分転換にと誘い出したのだ。

 

ボクたちが踊りに出掛けたディスコは、当時、一番人気のあった店で、仕事やプライベートで何度も利用していた。

 

 

店の奥にこじんまりとしたビップルームがあり、店内は当時ヒットしていたポップスやバラード、ロックなどの洋楽が流れていた。

 

ビップルームという場所の力もあったのか、徐々に彼女の気持ちも和らいでいくように感じられた。

 

そんな時、一人の女性がビップルームに入ってきたのだ。

 

「○○子ちゃん、来てたの?」

 

彼女から、大学の同級生だと紹介されたその女性は、彼女とは違ってキリッとした目ときれいなストレートヘアが魅力の美人で、見るからにスポーツウーマンといった感じの女性だった。

 

せっかくだから一緒に飲もうということになり、ボクはビップ席で美女二人と飲むことになった。

 

そのうちアルコールが回ってくると、「踊ろうよ」と彼女たちから誘ってきた。

 

ダンスフロアに行くと、流行のファッションに身を包んだ若者たちが、音と光の中、自分の世界に入り込んでいた。

 

ボクたち三人も、その熱気の中に身を投じていった。

 

身体を動かしているうちに酔いが回り、いつしかボクは彼女と一緒に来ていることを忘れていた。

 

そして、店内のムードが最高潮に達した頃、当時のディスコの定番、チークタイムが始まった。

 

その時、目の前にいたのが、彼女の同級生だった。

 

 

それまで激しく鳴り響いたいたディスコサウンドが止み、ムードたっぷりのバラードが流れはじめた瞬間、ボクも彼女の同級生もなんの迷いもなくお互いの手をとっていた。

 

後になったわかった事だが、彼女の同級生も相当酔っぱらっていたらしく、自分の中のブレーキが完全に壊れていたのだという。

 

ブレーキの制御が効かなかったというのはボクも同じで、それまで毎夜涙にくれる彼女に寄り添っていた反動のように、目の前にいるクールビューティに抱いた欲情を抑えることができなかった。

 

チークタイムが始まると同時に手を取り合った二人は、バラードの世界に身を任せ、いつしかダンスフロアのど真ん中で踊りながら唇を重ねあっていたのだ。

 

それから数曲、チークタイムのバラードが続いたのだが、ボクたちは一度も唇を離すこともなく、チークタイムが終わって照明が切り替わった時、フロアの真ん中で周囲から奇異のまなざしを集めることになっていた。

 

この様子を見ていた彼女が怒ったのは言うまでもない。

 

 

酔いも手伝って、烈火のごとくに怒りを爆発させた彼女は、手にしていたシャンパンをまだお互いの手をつなぎあっていたボクと彼女の頭にぶちまけたのだ。

 

この瞬間、ボクは、奥さんと一緒に住んでいる彼女に、この同じディスコで頭からビールをかけられたのを思い出した。

 

それと同時に、今日ここに来たのが、彼女に気晴らししてもらおうと思っての事だったことも、思い出していた。

 

なんとも酷い話だが、この時、運命の女神はこんなストーリーがお好みだったようだ。

 

そして、ボクたちの頭にシャンパンをかけた彼女は、そのまま走るようにディスコを出て行ったしまった。

 

この彼女との出会いがまた新たな闇に出会うことになるとは。。。

 

 

ボクは、彼女に濡れた髪を拭くようにとハンカチを渡し、ひとりディスコを後にしたのだった。

話を元に戻そう!

 

 

 

二度目の奥さんから、三人で暮らそうという提案があったことを伝えると、彼女は意外なほどあっさりとOKしてくれた。

 

少なくとも、当時のボクにはそう見えたのだが。

 

 

 

そして、この話は、あっと言う間に具体的に進みはじめ、半月も経たないうちにボクたちは新しい家に引っ越すことになった。

 

 

 

新しい家は、3階建ての一軒家で、

1階にはダイニングキッチンを挟んで2つの洋間があり、

 

2階は5畳ほどのウォークインクローゼットを挟んで

 

和室と洋間

 

 

 

3階には、10畳ほどの洋間と広いベランダがあった。

 

 

ボクは3階の部屋、奥さんは2階の洋間、彼女は和室を選び、

 

ボクたち三人での生活がはじまったのだ。

 

 

 

新しい家では、

 

帰宅するとボクは、先ず2階に上がって、奥さんの部屋に立ち寄り帰宅の挨拶をして、

 

その後、向かいにある彼女の部屋の前で軽く声をかけながら、

 

3階の自分の部屋にあがるという生活をしていた。

 

 

 

ここで鋭い読者の方は、奥さんと彼女へのボクの態度の違いに気がついたのではないかと思うのだが、これには理由があったのだ。

 

 

 

奥さんから三人で暮らすことを提案された時、実はもうひとつ提案というか決めごとを申し入れられていたのだ。

 

それは、家の中では絶対に彼女とセックスあるいはそれに準じるようなことはしない、というものだった。

 

そのため、ボクは奥さんから疑われるのを避けるために、家の中では極力、彼女と二人きりになることを避けるようにしていたのだ。

 

 

 

ボクが純粋に(というのもおかしな話だが)妻妾同居の生活を謳歌(これもおかしな言い方だが)できなかったのには、まだ他にも理由があった。

 

それは、入居に際して、ボクと奥さんと親戚の子の三人で暮らすと偽っていたので、ご近所に対してもその関係を疑われないようにしていたことも、ボクには足かせのようになっていたのだ。

 

こんなことが重なって、ボクと彼女の間には、お互いに距離をおく空気が出来上がってしまった。

 

その代わりと言ってはなんだが、ボク同様に奥さんから疑われたくなかった彼女が奥さんになついていったこともあって、奥さんと彼女の距離が急速に縮まっていった。

 

 

 

彼女たちの親しげな会話が日常の風景のようになった頃、ボクは奥さんと彼女以外の新しい女性を求めて、またしても外の世界に自分の居場所を探しはじめていた。

 

 

 

偶然の悪戯といえばいいのか、そんなボクの気持ちに応えるかのように、周囲の状況がまた新たな出会いを用意してくれた。

 

当時、すでに取引の始まっていたスポーツ用品店の主催で、地元の有名ホテルのテニスコートを借り切ったテニス大会が開催されたことがあった。

 

 

その司会をしていた女子大生が、奥さんとも彼女とも違う、大人っぽい色気を感じさせる女性で、テニス大会から間もない頃、ボクは彼女と二人だけの特別な時間を持つようになっていた。

 

 

もちろん彼女はボクが既婚者だということくらいは承知していたが、今のようにSNSもない時代のことだから、ボクたちの付き合いは誰にも知られることはなかった。

 

 

こうしてまた、ボクの新しい生活が始まった。

 

ボクは仕事が終わると女子大生のマンションに立ち寄って、それから帰宅するようになったのだが、生活パターンの変化はすぐに奥さんと彼女の不信を買うことになった。

 

 

 

会社帰りに部下を連れてディスコに行ったときの事だ。

 

 

ボクがビールの飲んでいるところに、突然、奥さんと彼女が連れだって現れ、二人同時にビールをぶっかけられたのだ。

 

この時、奥さんも彼女も、ボクがどこの女と一緒かなんてどうでもよく、二人で話しているうちに盛り上がってのことだったのだろう。

 

ボクに向けてビールをぶちまけた二人は、楽しそうに笑いながら帰っていったが、全身びしょ濡れのボクは、しばらくの間、茫然とその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

この事件以来、ボクの「女遊び」は一気に加速し、周囲の人たちを巻き込むほどに際限ないものとなっていったのだ。

1年間の休学を挟んでボクが大学に戻ったのは、

 

入学してから9年目の事だった。

 

この年は、ボクが大学を卒業できる最後の年度だったのだが、残された未取得の単位が40単位近くも残っていた。

 

その中には、体育実習や第一外国語(英語)など、1年生で履修するような科目も多く含まれていた。

 

今になって思い返すと、いい思い出だが、本当にきつい1年だった。

 

体育の実習などは、1年生の子たちと一緒に身体を動かしていたのだから(笑)

 

ただ、さすがに在学9年目ともなると、教授陣から事務員さんまで、殆どの職員たちと顔見知りになっていて、その点ではそれなりに居心地の良い環境になっていた。

 

前期試験の時、英語の試験で教室を間違えて、別の教室で試験を受けてしまったのだが、その日の夜に英語の担当教授から、直接電話があったのには驚いた。

 

 

「今日、試験を受けに来られなかったみたいですが、どうかされましたか?」

 

「はい? 受けましたよ」

 

「そうですか?こちらに解答用紙がなかったので。。」

 

「はい、受けました。○時から○○教室で」

 

「いえ、私の試験は、△時から△△教室ですが。。」

 

私は時間も教室も、まったく別の試験を受けていたようなのだ。

 

受講科目のテキストなど一切購入していなかった私には、試験問題を見ても、それが習った科目なのかそうでないのか、それすら分からなかったのだ。

 

その教授は、日を改めて試験を受けに来るようにと、丁寧に再試験を申し入れてくれ、無事にボクを卒業させてくれた一人だった。

 

卒論指導でも、あまりにも自由すぎるテーマに指導教授が目を丸くする場面が何度もあったが、それでもきちんと卒業させてくれたのだから、大学教授というのも大変な仕事だと思う。

 

ちなみに、卒論のテーマはたしか『手塚治虫のブッダ観』とかなんとか(笑)

 

ともあれ、卒業必要単位の3分の1近くも残したまま臨んだ9年目の大学生活は、それなりに面白く、それまでのロックづけの日々をリセットするには十分な時間をボクに与えてくれたのだ。

 

 

そして、なんとか無事に大学を卒業することができたボクは、義弟と知人と三人で小さな個人事務所を設立した。

 

 

この事務所は、知人のやろうとしていた出版事業に、印刷業として関わっていこうと立ち上げたものだったのだが、結局、彼の本を1冊製作しただけでボクたち二人が抜けて終わりを迎えた。

 

この後、ワープロと出会い、スタッフと出会いしながら、新しい会社の原型を作り上げていったのだ。

少し話は戻るけど、

 

ボクと二度目の奥さんは、結婚式の後、弟や妹たちと6人で住んでいた民家を出て、2LDKのマンションに引っ越しをした。

 

 

もちろん、奥さんの両親には、弟と前の奥さんが不倫をしていた事は伏せていたが、分かっていて一緒に住まわせていたと言われる事だけは避けたかった両親の希望もあって、ボクたちが引っ越すことになったのだ。

 

件の美大生との三人プレイなどは、このマンションでの出来事だ。

 

そういえばこのマンションでは、契約をすませて引っ越す前にも、とあるバンドのボーカルの女の子を連れ込んだりしていた。

 

まあ、ある意味、この部屋は、引っ越す前からケチがついていたようなものだったのだろう。

 

引っ越してからも、この部屋ではトラブル続きとなったのだから。

 

ただ、部屋には南側に面して大きな窓があり、日中は一日中、太陽の光が降り注ぐ、とてもいい環境だったのだが。

 

 

 

 

 

この頃、奥さんは美大でヌードモデルをしていたし、ボクは大学はほったらかしでバンド関係の活動に精を出していた。

 

 

バンドの活動と言っても、素人バンドのプロデュースなので、ライブではたいした収入にはならなかった。

 

そのため、カウンターバーのようなつくりの小さな飲み屋を開業して、ライブの後、ファンの子たちとお店で打ち上げをしたりして稼いでいた。

 

 

当時としては、破格の機材を揃えていたので、いつも資金繰りで頭を悩ませていたのだ。

 

それでも、プロデュースという意味では、それなりに先進的な取り組みをしていた。

 

まだ一般にビデオ機材など普及していなかった頃だったが、知り合いの会社が経営するディスコを借りて、バンドのプロモーションビデオを制作したり、道路交通法を無視して公道上にドラムセットを組んでライブを演出した撮影を行ったりしていたのだ。

 

 

思い返すに、ボクは、この頃が人生の中で一番楽しんでいたんじゃないだろうか。

 

地下3階にあるレストランを深夜だけ借りて、そこでバンドの練習をしていた事もあった。

 

バーカウンターに座って酒を飲みながら詩を書き、すぐにその場でギターが曲をつけ、ドラムとベースはフロアで音合わせをしながら待っていた。

 

 

まるで、ロックスターの生活の一瞬を切り取ったような、そんな時間の中にいたのだ。

 

すべてが順調にいっているように思えていた時、バンドのメンバー同士の違和が原因で、突然の解散を迎えた。

 

このバンドの解散は、ボクにとってはかなりショックな出来事だった。

 

このつまらない日常を脱出する事ができる唯一の道が、このバンドの成功だと思っていたからだ。

 

メンバー一人ひとりを自分で口説いて集め、自分の描いた音とビジュアルを併せ持ったバンドだった。

 

それだけに解散のショックは大きく、これがキッカケとなってボクは音楽の世界から完全に身を引く事にしたのだ。

 

 

 

そして奥さんはというと、美大のヌードモデルを止めて、瞑想グループのグルに会うためにインドに渡たり、半年ほどインドに滞在したあと日本に戻ってきた。

 

 

思えば、この時、すでにボクと彼女の人生は、決して交わらない平行線をたどり始めていたのだろう。

 

それからしばらくして、ボクは放り出していた大学に戻っていた。

帰国した翌日、奥さんは朝一番の新幹線で帰京した。

 

ちょうど会社の始業時間で、データ入力の在宅さんと仕事の打ち合わせに入る前だったので、社内にはボクと義弟、妹、女性社員の4人しかいなかった。

 

会社のドアを開けるなり、奥さんは見た事もないようなテンションで、彼女の怒りを部屋の中で爆発させた。

 

 

あれはまさに爆発だった。

 

机の上にあるものを、片っ端から床に投げ飛ばし、電話機やFAXまで放り投げたのだ。

 

あっけにとられて見ていたボクたちをよそに、部屋の中を荒らすだけ荒らし終わった奥さんは、ふっと我に返ったように部屋を出て行ってしまった。

 

奥さんが帰国するのを知っていたのはボクだけだったから、みんなの驚きは大変なものだったと思うが、ただ一人家族以外の女性社員が手際よく部屋を片付けはじめたのを見て、義弟も妹も我に返ったようだった。

 

 

この頃、喫茶店から引き取ってきた彼女は、ワンルームの部屋を借りて、そこで初めてのひとり暮らしを始めたばかりだった。

 

その為、ボクは会社の仕事が終わると、真っすぐに家に帰って夕食を済ませ、それから彼女の部屋に行くという、かなり変わった生活をしていた。

 

 

と言うのも、奥さんがすべてを知っていたので、会社から直接彼女のところへ行くというのが、どうにも気がひけたのだ。

 

帰国初日に会社で大暴れしたとはいえ、「彼女でもつくったら」的な言い方をして、ある意味、浮気を肯定、いや推奨したのは奥さんだったのだから、その奥さんを差し置いて彼女のところにいくというのは、どうも筋が違う気がしていたのだ。

 

まあ、今にして思えば、どこにも筋なんてないのだが。

 

とにかく、そんな風にして1週間くらいが経った頃、奥さんから、ボクが彼女の部屋に行くのはどうにもいい気がしないから、行くのを止めて欲しいという申し入れがあった。

 

しかし、彼女にもボクにも、もう元の状態には戻れない経緯も理由もあったのだが、まだこの時、奥さんはその事を知らなかったのだ。

 

 

その翌日、会社の昼休みに近くの喫茶店で話をしようと、奥さんと二人で出かけた。

 

 

テーブルに向かい合って腰をかけ、注文したドリンクを待っていると、突然、奥さんが自分のコップをつかんでボクの頭からぶちまけたのだ。

 

 

全身ずぶ濡れになったボクは、一瞬、嫌な予感がして自分のコップに視線を落としかけたその時、奥さんの手がボクのコップにさっと伸びて、ボクは二杯目の水を今度も頭から被ることになった。

 

全身をずぶ濡れにされた事よりも、他のお客の前でこんな醜態を演じた事の方がずっと気になっていたボクは、とにかく平静を装い、テーブルの上にあったおしぼりを手にとった。

 

濡れた頭や顔を拭きながら奥さんの方を見ると、奥さんがニタッと笑みを浮かべてこちらを見返していた。

 

 

「あのさ、別れられないんやったら、一緒に住もうか?」

 

一瞬、話の意味が理解できなかったボクに

 

「三人で一緒に住んだらどうなん?」

 

この時、いまさら彼女を放り出すこともできないし、かと言って奥さんと別れることも考えていなかったボクは、ほとんど考えもなしに、

 

「いいよ、そうしようか」

 

と答えていた。

 

この時はまるで頭になかったが、これはいわゆる『妻妾同居』ってやつだ。

 

正妻とお妾さんと、一緒に暮らすのだから。

 

このニッポンで、こんな事がまかり通っていたのは明治時代の初めまでで、昭和の時代に許されることではない事くらい、少し冷静になればボクにも理解できる事だった。

 

しかし、この話は、ボクが持ち出した事ではない。

 

あくまでも、奥さんの方から言い出したのだから、と。

 

ボクの中では、その程度の単純な計算しかなかったのだ。