Fagiale ~僕らの街には夢がある~ -49ページ目

未来に・・・・

僕は、ファジアーノに出会って色んな言葉に刺激を受けました。

その中の1つ。

あれは、ファジアーノが中国リーグ昇格を決めた日。藤井一昌という選手が次のような言葉を発しました。




『僕がJリーグでプレーできるのは、難しいかもしれない。それでも、自分達の子どもや孫がJリーグでプレーできれば良いと思う。だから、その基盤をつくれればと思います。』



僕は、ファジアーノ岡山FCに関わる多くの人達から同じような言葉を聞いたことがあります。

自分達のためだけでなく、岡山の為に、子どもたちの為に・・・・・




ある選手は次のようなことを言いました。



『それを作ってくれた先輩がいたからこそ現在がある。次に繋がる人達のために、今やっている人が頑張れば未来へと繋がる』




今、僕たちの行動がきっと未来に続きます。

伊藤琢矢って選手

伊藤琢矢選手は、ファジアーノ岡山のDFで背番号4をつけています。

2006年の途中から、ファジアーノに加入しました。以後の活躍は言うまでもなく・・・・。
今年は、副キャプテンです。
ファジアーノサッカースクールでも、コーチとして子どもたちに慕われています。



いきなりですが、正直に書きます。

彼の入団を知った時、素直に喜べなかった自分がいます。





なぜなら、彼が背番号4をつけたからです。
まだ、僕には2006年の『背番号4』は、丸山というイメージがありました。

JFLからきたけど、どこまでやれるの?みたいな疑った目で見てました。
伊藤さん、ごめんなさい。



そんな、彼は神崎山のセントラル戦で素晴らしいプレーをし、勝利に貢献します。彼の試合中の言葉に震えました。
試合後、『伊藤はファジアーノの選手になりました』と僕は仲間に言った覚えがあります。


そして、アウェーでフジタとの戦い。
ファジアーノは、負けました。

しかし、その日、【4】が見せてくれた姿 に、僕は思いました。

『ファジアーノには、伊藤琢矢が必要だ!』






ファジアーノが挑んだ地域決勝最終日、出場停止の藤井一昌からキャプテンマークを受け取った伊藤は、いつも以上に熱い気持ちでプレーしていました。

試合は、同点のままPK戦になります。
キッカーとして立った伊藤の蹴ったボールは、無情にもゴールネットを揺らすことは、できませんでした。

そして、ファジアーノ岡山のJFL昇格はなりませんでした。

試合後、サポーター席に歩いてくる選手たちは感情を抑えることはできてませんでした。
サポーターからは、次々に選手たちに言葉をかけます。

「ありがとう」

「来年がんばろー」

「まだ終わってねーから」


その瞬間、泣き崩れた男がいました。ベンチコートのフードを深くかぶった男は、泣いてました。

彼の名を呼ぶ声が発せられます。
彼の感情は、最高潮になり全てが溢れていました。


もう立つことさえできなくなった伊藤は、一昌に支えられながら歩いてロッカーに戻っていきました。


『イトー来年も共に戦おうー』


僕は、心から叫びました。









人一倍、共に戦った仲間を思っているから、今年の伊藤琢矢は、全てを賭けて戦うでしょう。

そして、僕は、彼の涙をこれから先も忘れません。



憧れ

今年に入って、TMなどを見に行くと、家族連れや子ども達の姿を多く見ることができます。

昨年と大きく違う点だと思います。

先日おこなわれた、愛媛FCとのTMにも多くの子ども達が見にきていました。

その中には、選手のユニホームに似たものを着ている子ども達がいました。



スクールの子ども達です。




「シゲコーチ」

「セキコーチ」

「イトゥーリオー」

「カトーコーチ」

そんな声が、試合中とんでいました。


教えてもらっているコーチを応援したいと子どもたちは、必死に声を出したり拍手していました。

それを見ていたクラブの人は、感動していました。
僕も、感動しました。


子ども達にとって、選手は憧れであり、コーチなのです。

先日もクラブハウスには、数年前に梁圭史コーチにサッカー教室で教えてもらっていた子どもたちが訪ねて来ていました。



子どもたちに夢を!


コーチたちは、今日も子どもたちにサッカーの面白さを教えています。