「私が夏休みを利用して始めて国へ帰った時、両親の死に断えた私の住居(すまい)には、新らしい主人として、叔父(おじ)夫婦が入れ代って住んでいました。これは私が東京へ出る前からの約束でした。たった一人取り残された私が家にいない以上、そうでもするより外(ほか)に仕方がなかったのです。
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叔父はその頃(ころ)市にある色々な会社に関係していたようです。業務の都合からいえば、今までの居宅(きょたく)に寐起(ねおき)する方が、二里(り)も隔(へだた)った私の家に移るより遥(はる)かに便利だといって笑いました。これは私の父母が亡くなった後(あと)、どう邸(やしき)を始末して、私が東京へ出るかという相談の時、叔父の口を洩(も)れた言葉であります。私の家は旧(ふる)い歴史を有(も)っているので、少しはその界隈(かいわい)で人に知られていました。あなたの郷里でも同じ事だろうと思いますが、田舎(いなか)では由緒(ゆいしょ)のある家を、相続人があるのに壊(こわ)したり売ったりするのは大事件です。今の私ならその位の事は何とも思いませんが、その頃はまだ子供でしたから、東京へは出たし、家(うち)はそのままにして置かなければならず、甚(はなは)だ所置に苦しんだのです。