山崎まさよし 物議醸したライブで謝罪、チケット払い戻しへ「当初予定していた内容と異なる公演」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
シンガーソングライターの山崎まさよしがライブであまり歌を歌わず、トーク中心の構成にしたことがファンの間で物議を醸し、チケット払い戻しとなった件が話題だ。この騒動を見て、思い当たることがないだろうか。そう、けいちょんと真逆にして同じことをやっているのだ。
歌や演奏を求められている山崎まさよしが、歌を歌わずトークを垂れ流す。お笑いを求められているけいちょんがお笑いをやらず歌を垂れ流す。そしてファンが怒ったというところまで同じだ。唯一違うのは、けいちょんフェスはチケットの払い戻しには至らなかった。この山崎まさよしの騒動に鈴木紗理奈がコメントしている。
鈴木紗理奈、ライブで物議の山崎まさよしは「エンタメに消化しきれなかった」 - サンスポ
「ライブって同じことが行われないことに価値がある。あまり歌いたくないなりにすごい面白いトークやったり、お客さんが満足してたら問題なかったと思うんですけど、歌いたくないっていうのをエンタメに消化しきれなかった。エンタメとして成立してなかったからファンが怒った」
「人間がやっていることなので、歌いたくないっていうのも生きてる中であると思う。そうなった時に、そういう見せ方を山崎さんがエンタメに落とし込めなかったのがもったいないなと思いますね」
まずこのコメントについてチェックをかけると、「歌いたくないっていうのも生きてる中であると思う」というのはわからなくもないのだが、だったら人様から金を取ってライブをやるなと言う話なのではないだろうか。あるいはトーク中心のライブにしたいのであれば、事前にトークライブにするとアナウンスするべきだった。そもそも需要に対する供給ができていないので、エンタメに落とし込めるとかそういう話ではないと思うのだ。
そして鈴木紗理奈のコメントをけいちょんに当てはめると、
「あまりイジられたくないなりにすごい上手い歌やったり、お客さんが満足してたら問題なかったと思うんですけど、イジられたくないっていうのをエンタメに消化しきれなかった」
「人間がやっていることなので、イジられたくないっていうのも生きてる中であると思う。そうなった時に、そういう見せ方をけいちょんがエンタメに落とし込めなかったのがもったいないなと思いますね」
となる。
「そういう見せ方」つまり、歌手活動をけいちょんがエンタメに落とし込めなかったのがもったいない、というのはよくわかる。以前、「お笑い芸人が音楽活動をやる上で、一番の見どころはパフォーマンスではなくて、プロセス」と述べたが(「やるなら本格的に」参照)、例えば鈴木紗理奈が主導した音楽ユニット「さりけい」は、当時は自分も普通に楽しんで見ていた。なぜならプロセスが面白かったからである。鈴木紗理奈が歌詞に込めたメッセージも響くものがあった。
けいちょんの歌手活動も、やり方次第では視聴者も楽しめるものになったはずだが、け'zについてはプロセスが弱かったのだ。けいちょんフェスはイベントとして低級だし(「けいちょんフェス」への提言 参照)、ピアノ弾き語りに至ってはプロセスこそ良かったものの(「いずれ放置される電子ピアノ」参照)、その成果は会場に来た人と配信を購入した人だけが見れるという消化不良な状態で終わってしまった。
山崎まさよしはけいちょんの歌を聴いてみて欲しい。ファンがトークを延々と聞かされるのはけいちょんの歌を延々と聞かされる辛さと同じであると。そしてけいちょんは山崎まさよしのこの騒動を我が事として捉えて、いかに自分が顰蹙を買っているのかということを理解し、今後の歌手活動についてよくよく考え直して欲しい。