潜在能力を生かしてほしいだけ | けいちょんチャンネル雑感

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けいちょんチャンネルは、「けいちょんがやりたいことをやるのが良い」という方針のようだ。一貫してそのように断言し、実行するのならばそれでもいいのだが、一方で「マジギレけいちょん」でけいちょんが述べていた「(けいちょんチャンネルを)みんなで作りましょう」という発言は、「けいちょんがやりたいことをやる」と同義にはならない。

「みんなで作る」がなにを意味するのかが曖昧だが、「視聴者の望むことを実現する」という解釈で正しいのだろうか。このところ視聴者から批判や諫言のコメントが殺到しているが、批判や諫言も「視聴者の望むこと」の1つの形と言えると思う。批判や諫言を安易にアンチと切り捨てる向きがあるが、批判や諫言コメントをする人々の多くは別にけいちょんに敵対しているのではなく、けいちょんに”期待”しているからこそコメントしているのだ。

けいちょんチャンネルならやってくれるんじゃないか、こんなもんじゃないはずだ、もっとすごいチャンネルになってほしい、そういった期待の表れが批判や諫言コメントなのだが、けいちょんのコメントへの対応を見るとそれは伝わっていない、あるいは知ったことではないということらしい。

けいちょんチャンネルには潜在能力があると思っている視聴者は多い。しかし、「けいちょんがやりたいことをやる」を選択してしまうことでその潜在能力が発揮されないことがある。料理に例えるとわかりやすいが、醤油という調味料は使い勝手が良い。しかし醤油だけを飲む人などいないし、食材に対して醤油を使う場合の量も重要だ。そういう適材適所をわきまえないと潜在能力は発揮されない。そして「けいちょんがやりたいことをやる」という考え方は適材適所、潜在能力など考慮しないという考え方に近づいていく。

批判コメントに対して、「嫌なら見るな」「余計なお世話」「アンチは去れ」と排除をしたがる人がいる。しかし、それは「醤油が嫌いなら醤油は使うな」と言われているような感覚になるのだ。そうではない。醤油の使い方を間違っている人に対して、それは違うぞ!と言いたいだけなのだ。せっかく潜在能力があるのに、それではもったいないではないか、という反応としての批判や諫言なのである。