特ハと呼ばれる車両群。 | ぽっぽやいそじの「ひとりっぷダイアリー」

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昨日は二等車について書きましたが、実は庶民が乗る三等車にも特別仕様の車両があったのはご存知でしょうか?



戦前~戦後間もなくまで、国鉄の主要な列車と言えば急行が当たり前で、その更に上の種別である特急(特別急行)列車は東海道・山陽本線にしか設定されておらず、文字通り特別な存在の、最高峰の列車でした。となれば、例え三等車といえど普通列車と同じレベルというワケにも行かないのは自明で、三等車としては最高レベルの車両が用意されていました。それがスハ44系と呼ばれる車両群で、スハ44・スハフ43・スハニ35と称する客車で形成されていました。一般型客車の広窓に対し、座席に合わせた狭窓が外観上の特徴になっています。


車内はロマンスシートと称される一方向固定の2人掛けの座席が835mmピッチで並んでいます。現在のJRの特急車両のリクライニングシートはピッチが1000mm前後あるのが一般的で、それから見るとかなり狭い感じですが、航空機飛行機のエコノミークラスや観光バスバスのシートピッチが860~880mm前後ということを考えると、当時の日本人の体格も合わせて考えれば意外と狭くなかったのかも知れません。ちなみに座席が一方向固定になっていたのは、当時の特急は最後部に一等展望車が連結されている関係で折り返しの際に編成全体を転向させる必要があったため、座席の向きを変える必要がなかったからです。



そして何より、特急の座席には例え三等車といえども枕部分には白布が掛けられていて、やはり特別な列車であることを主張していました。これらの車両は特別急行用の仕様ということから、「特ハ」と呼ばれることもあったようです。


ちなみにこのグループの車両のうち、緩急車であるスハフ43形の2・3号車は大井川鐵道に現存しており、SLやEL牽引で新金谷~千頭間を走っています。


現在は当時の座席を向かい合わせに固定した状態で使用しています。これは特急運用から退いた後に四国に渡り、普通列車に運用されていた時代に改造されたものだったと思います。

特急運用当時とは少し雰囲気が変わってしまいましたが、座席そのものは特急時代のままなので、かつての栄華を楽しみに乗るのも悪くないと思います。