寝台車の変遷。 | ぽっぽやいそじの「ひとりっぷダイアリー」

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日本では長距離移動する際の交通手段が長らく鉄道であったこともあって、区間によっては2夜行を要し、車内にいるだけで2泊3日が経ってしまうこともありました。一般庶民は固い座席に座って行きましたが、多少なりとも裕福な人は寝台車を使っていました。


それが大衆化して来たのは戦後の話で、三等寝台車が復活したのが大きかったと聞きます。ただ寝台車とはいえそこは三等車、寝台は蚕棚のごとき三段式で上中下段の空間も少なく、さらに当初は冷房もなく、まさに寝て過ごすためだけのスペースだったようです。


そこへ颯爽と登場して来たのが20系と呼ばれる寝台車のグループです。東京~博多間を結ぶ特急「あさかぜ」に投入された同車は全車冷房完備ということもあって「走るホテル」とも呼ばれ、大好評を博しました。


しかし20系は編成の一端に電源車を連結して走る方式だったため編成の分割には適さず、寝台の幅も10系など旧型と変わらない52cmのため、改善が要望されるようになります。


そこで登場したのが14系と呼ばれるグループ。これは床下にディーゼルエンジンを搭載した発電装置のある車両を組み込んで編成の分割に対応し、さらに寝台の幅も70cmに拡大した系列で、東京~長崎・佐世保を結ぶ特急「さくら」や、同じく東京~熊本・長崎を結ぶ「みずほ」などに使われました。ただ客室の床下に火気を扱うディーゼルエンジンが搭載されているため火災の際の安全性が疑問視され、次の24系に移行して行くことになります。


24系は再び20系と同じ集中電源方式に戻りましたが、今度は三段寝台の上下方向の狭さが問題になります。


そこへ登場したのが改良型の24系25形。B寝台が三段式から二段式になり、居住性が飛躍的に向上しました。


そしてこれを分割可能なように分散電源方式にした14系15形が登場して、国鉄時代の寝台車はこれで完成形を見ることになります。