東京圧勝 招致成功の決め手は | anniniのブログ

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2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市が、東京に決まりました。
東京の招致委員会はどのようにして2回目の開催を勝ち取ったのか。
スポーツニュース部の丸山祐樹記者が解説します。
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先頭に立って招致委員会を率いてきた竹田恒和理事長は、「どう表現していいか分からないほどうれしい。この喜びを何年も待っていた」と話し、その目には涙の跡がありました。
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当初は6つの都市が立候補していた2020年のオリンピックとパラリンピックの招致レースですが、去年5月のIOCの理事会で、東京とトルコのイスタンブール、スペインのマドリードの3都市に絞られました。
ライバルのマドリードが、失業率25%を越える厳しい経済状況にあえぎ、イスタンブールも、反政府デモや隣国シリアの内戦が懸念されるなか、ことし夏ごろには、安全で確実な大会の開催を訴えてきた東京が有利だという声が聞かれるようになりました。
しかし、招致活動終盤になって、マドリードに勢いが出始めます。
7月のプレゼンテーションでは、スペインのフェリペ皇太子が初めて登壇してIOC委員の感情に訴えるスピーチをしたほか、今回のIOC総会の会場にもいち早く入って、精力的にIOC委員と個別の会談を重ねていきました。
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また、かつて多くのIOC委員に抜群の影響力を持った故サマランチ会長の息子のサマランチジュニア委員も、父親の人脈をフルに使って積極的なロビー活動を展開しました。
一方で、マドリードとは対照的に、東京は先月末から、福島第一原子力発電所の汚染水の問題が表面化して国際的な懸念が広がり、最大の強みとしてきた「安全、確実」の部分が揺らぎ始めました。
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ホテルでニュースを見たIOC委員からも、「東京は大丈夫か」と心配する声が寄せられるようになり、招致委員会や国内の競技団体の幹部の間では、「マドリードに票を奪われている」「イスタンブールの動きが見えないのが不気味だ」「固められる票は固めているので、まだ有利だとは思う」などと情勢を分析する声が、終始、飛び交っていました。
招致委員会の幹部も汚染水の問題による影響を推し量ることができず、多くの人が「東京とマドリードの接戦」と読んでいました。

イスタンブールは最後に底力
一方で、イスタンブールは、反政府デモが国内で広がったうえ、国内の大勢の選手のドーピング違反が次々と発覚したことなどから、IOC総会が開かれるブエノスアイレスに入ってきたころには、勢いは失われているとみられていました。
実はイスタンブールは、当初、最大の有力候補でした。
アジアとヨーロッパの2大陸の懸け橋の大会という分かりやすい理念を掲げ、イスラム圏で初、中東地域で初となる開催を目指しました。
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最近のオリンピックでは、2008年の北京大会や2016年のリオデジャネイロ大会など、経済成長が著しく、過去に開催の経験がない国の都市が多く選ばれてきたという傾向も、イスタンブールを後押ししました。
好調な経済に支えられた豊富な資金力をバックに大勢のコンサルタントを雇ってロビー活動を続けていました。
終盤には大きく劣勢が伝えられましたが、「1回目だけは投票してほしい」とIOC委員の同情を引く作戦で支持を訴えた結果、1回目で26票を集めて、最終投票まで持ち込む底力を見せました。

混戦の中、東京のプレゼンテーションが決め手に
3都市共に明確な決め手がなく、招致レースが混戦となるなか、勝敗を分けたのは、最後のプレゼンテーションでした。
東京は冒頭で、高円宮妃の久子さまがIOCの震災支援に対して感謝の気持ちを述べられました。
さらに震災の被災地の宮城県気仙沼市出身で、パラリンピックに3大会連続で出場した佐藤真海選手が登壇し、かつて病気で右足の膝から下を失ったときも、おととし、ふるさとが被災したときも自分はスポーツに救われてきたという経験を基に、「スポーツの力のすばらしさを世界中に広げたい」と訴えました。
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そのうえで汚染水の問題については、安倍総理大臣が、WHO=世界保健機関の国際的な基準を持ち出すなどして、「健康問題は今もこれからも全く問題がないことを約束する」と具体的に力強く答えました。
最初に聞き手の感情に訴えたうえで、課題には技術的に答えるという効果的なプレゼンテーションでIOC委員の心をつかみ、あるアジアの委員は「私は東京から信頼を買った」と評価していました。
イスタンブールと争った決選投票の結果は、60対36の圧勝。
東京の招致委員会も予想しないほどの大差で、ヨーロッパのベテラン委員も「東京がこんなに強いとは思わなかった」と話すほどでした。
前回、失敗した2016年大会の招致を含めて6年にわたって続いてきた東京の活動は、最後の票差以上に3つの都市が激しく競り合ったなかでつかんだ勝利でした。