「A女子校(以下、A女)の面接に行きなさい」
大学院1年目の冬、教師という道に不安を覚えまくり、就職活動をし始めていたタンジェントに3月のある日、一本の電話がかかってきた。
それは、大学時代からお世話になっていた恩師の教授からであった。
教職系の大学院に在学をしていると、1年目の冬頃から非常勤講師の紹介をもらうようになる。
今の立場(現職教員)になったからこそわかることであるが、毎年冬頃になると次年度の非常勤講師の方の異動が出てくるようになる。
ただ、まだ冬の最初の頃であれば良いが、2月から3月に急きょ非常勤講師の先生がお辞めになることがわかると、採用試験をしてもなかなか応募がこなかったりすることもある。
そういう時に、暇?否、比較的時間のある大学院生は重宝なのかもしれない。もちろん、大学院生も現場経験を積みたいし、そういう意味ではwinwinの関係なのであろう。
私も実は就職活動中に、いくつかの学校の非常勤講師のお話をいただいた。ただ、希望の専門科目が異なっていたり、あまりにブラックでオススメできないと言われたり、コマ数が多すぎたり少なすぎたり、家から遠すぎなどなど、なかなか条件に合うものがなかった。
しかし、そのような時恩師から「A女の面接に行きなさい」と言われて断る理由がなかった。
それは、なぜか?何を隠そう、中学時代の卒業文集に10年後女子中の教員、20年後女子高の教員という夢を書いていたからである(笑)
まさか半分冗談で書いたことが実現するのか、しかも正直言って女子校なんてそうそう経験できることではない!いやー、淡い幻想を頂きつつ、面接を受けに行ったのである。
しかし、このことがある意味タンジェントの教員人生を左右するターニングポイントだということも知らずに…
A女は大学の先輩の先生おふたりも非常勤講師として勤務をしており、ある意味困ったら、恩師を通じて、「良い人がいない?」と言われるようなお付き合いのある学校であった。
元々は旧制女学校であったが、その後スケバン的な学校になり、私が勤務した頃は正直生徒数もかなり少なく、偏差値もかなり低い…さまざまなコースを設置して生き残っている学校であった。あまり詳しくは書けないが、その後はある学校法人に買収されて、いまでは共学校になっている。
そんな学校のある意味最も苦しい時期に、私は非常勤講師として勤務することとなる。
実は急きょ非常勤講師の先生がお辞めになってそれが年度末に起こるような場合は、公募を出すことなく、このようなカタチでいわゆるコネで紹介されることが多い。
また、後にわかることだが、私に声がかかったのも実は色々あった。前任の非常勤講師の先生がふたりいたのだが、実はふたりとも生徒と恋愛関係になり、辞めたのである。そこで、決してそういうことにもなりそうにないイケメンではない(笑)、タンジェントに白羽の矢が立ったのである。
採用してからしばらくして、教科の懇親会があったが、その際に教科の主任の先生から以下のように言われたことをいまだに覚えている。
「本当にタンジェントさんを採用して正解だったわよ!だって、絶対にタンジェントさんなら生徒と変な関係になりそうもないからね。」と。
さて、面接も無事終了したものの、なんと教科は「高3政治経済(2単位×4クラス)、高1現代社会(2単位×1クラス)、中1地理(2単位×1クラス)=合計12単位」という私の専門である日本史ではなかった。加えてタンジェントは高校時代、倫理を選択していたため、政治経済を授業で受けたことがなかった。しかし、免許を取得している以上、そんなことを言ってはいられない。
自分自身の中学、高校時代のノートを引っぱり出し、また参考書を大量購入し、大学院の同期の現職の先生方に助けてもらいながら、なんとか授業準備を進めていった。
そして、華やかな女子校ライフが待っているはずであったのだが…
いやー、嫌われた(笑)もう、恐ろしいくらい(泣)
高3政治経済の2クラスには、ある意味トラウマになるくらい…
なぜなのか?それは、私が決して舐められてはいけないと、いわゆる「偉そうに」教員として彼女たちに対峙した。
他のクラスはまだそうでもなかったが、それでもこの2クラスの生徒には4月中、完全に嫌われた。
例えば、パターンAといって、全員で寝るとか、パターンBといって全員で携帯を出されるとか、全員がいなくなるとか…もう辛かった。
そして、面と向かって「あいつ嫌だ」「あの先生の授業つまらない」「なんで前の先生が辞めてあんなやつがきたの?」と言われる始末。
正直、死にたくなりました。でも、どうにか他のクラスとは関係性もあり、また高1の現代社会のクラスとは非常に良好な関係を保てたため、4月はこのクラスのおかげでどうにか非常勤講師を務められたといっても過言ではない。
そして、ようやくゴールデンウィークが来た時に、私は5/3,4,5の3日間、別々の友人にお願いをして3日間呑みまくった。そして、たくさん話を聞いてもらった。そして、最悪非常勤講師を辞めようと思っていることも…。
しかし、タンジェントにプライドもある!まだ、続けてみよう。5月に入ると体育祭もあり、そこはボランティアで手伝いにいったが、その時にも散々生徒から嫌味を言われた。
もう嫌だ。なんでこんなに言われなきゃいけないのか?どうせ、彼女たちは勉強もあまり好きではないし、彼女たちが悪いんだ!
そうやって、うまくいかないことを生徒のせいにしようとしていた。ただ、そんな時ゴールデンウィーク中にタンジェントのやけ酒に付き合ってくれた友人の言葉を思い出した。
「いっそ、何が嫌なのか、きちんと生徒に聞いてみた?」と。
そう、よく考えていたらしっかりと面と向かって彼女たちに聞いたことはなかった。そして、もちろん生徒たちに自分の思いをきちんと伝えたこともなかった。
そこで、同じ教科の先生方に相談をしたうえで、授業を一度やらずに、彼女たちの思いを聞き、自分の思いをきちんと伝える授業をその2クラスで実施した。それが、彼女たちとの関係性を大きく変えることとなる。
「もっと私たちに必要な授業をしてほしい」「もっと偉そうにしないで、普通に話せる先生になってほしい」
そう、彼女たちはこういうことを望んでいたのである。そして、私の思いもきちんと聞いてくれた。「正直、きつかった。苦しかったと。」
すると、そこから私も彼女たちも変わった。少しでも彼女たちに必要な内容を、彼女たちのペースで授業をする。彼女たちも、それまでの毛嫌いな姿勢とは打って変わって、協力的な姿勢になってくれた。そうすると、授業外でも質問にきたり、さまざまな相談をしてくれるようになった。
そう、それまで彼女たちとの壁を作っていたのは私自身だったのである。私のほうが壁を作っていれば、彼女たちが壁を作るのは当然である。ただ、それを全て相手のせいにして、自分本位で物事を考えていたから、うまくいかなかったのである。
そこからは、どんどん彼女たちとのリレーションが構築できていった。
また、私も彼女たちのために授業をつくることが心から楽しくなり、寝る間も惜しんで、教材研究に励んだ。
2学期のタンジェントの誕生日には、なんと1番辛い状況だったクラスの生徒から、1番温かいお祝いをしてもらった。
そして、彼女たちが卒業する際にはこういう言葉をかけてもらった。
「タンジェント先生、本当にごめんなさい。最初私たちの態度、最低だったよね。勝手に嫌な先生と決めつけて、嫌な態度をとってごめんなさい」と。
本当にうれしかった。いや、感謝しかない。タンジェントがもし1年目に彼女たちと出会っていなければ、今のようなタンジェントはいない。
本当の意味で、生徒に寄り添うことのできる教師にはなれなかっただろう。
この1年目の経験が、タンジェントの教師としての根幹となっている。
さて、大学院2年目であるから、修論や就職活動はどうだったのか?実は、完全におろそかになっていた。
修論もいまでは世間に出せないくらい、恥ずかしい内容でどうにか卒業をさせてもらい、就職活動もそこまで本気ではやっていなかった。
もちろん、いくつか内定もいただいたが、条件面であまり良くなく、辞退することとなった。
そして、実は母校の採用試験で最終試験まで残ったが、紆余曲折ありなんと最終で落とされた。
そのようなわけで、タンジェントは大学院を卒業して、翌年もA女子で勤務することとなった。
2年目のA女子ライフ、そしてタンジェントの就職活動については次回つれづれなるままに書き連ねます。