「この1年間、どうでしたか?」

 

母校の採用試験、2度目の最終面接で、同じ理事長先生に聞かれた問いである。

きっと、一生忘れないであろう(笑)

 

さて、大学院2年目、非常勤講師1年目のタンジェントは正直人生の中で1、2を争うくらいきつい時間でした。

 

2018年2月現在、タンジェントは35歳となりますが、これまでの人生で苦しい時ベスト3をあげるならば…

 

第3位:母校での教員生活9年目の専任1名4科目&初他大クラス担当

第2位:女子校生活のスタートした頃

第1位:中学3年でいじめられた頃

 

こんな感じになります。やっぱり、「いじめ」って忘れられないですが、それに匹敵するくらいの女子校1年目だったんですね(笑)

 

ただ、そんなことがあったものの、どうにかタンジェントの思いが通じて、女子校の生徒たちとリレーションが築けていけると、逆に女子校ライフを満喫するようになったのも事実です。

今だからこそ言えますが、そんなことを言い訳にして、正直修士論文はおざなりに…なんとか修了させてもらいました。

 

また、現場の経験から、「絶対に先生になろう!」という気持ちが強く芽生えたのも事実で、私立学校を中心に履歴書も出していきました。

そして、その中で母校の採用試験もあったのです。

しかし、この時はよくわからないまま最終試験まで残り、そこで落とされたのです。そこで合格したのは、生涯のメンターとも言える先輩の先生でした。でも、この時はよくわからないまま最終試験までの残ったものの、悔しく、裏切られた気持ちで一杯になりました。

そして、いくつか他の専任や非常勤講師のお話もなんとかいただけたものの、大学の恩師に相談をして、今の女子校でもう一年修行をしなさい!と言われ、そこから母校を見返すために、そして自分が「非正規雇用」から「正規雇用」になるための一年がスタートしました。

 

女子校2年目で決めたことは以下のとおり…

①この1年間で納得のいく採用条件で専任教諭になる!(これは当時、政治経済を教えていて、その教材の新聞に非正規雇用を1年以上続けると正規雇用になりにくというニュアンスの記事があったため、自分で心に誓ったことである)

②そのために、週末は履歴書書き&採用試験に没頭!

③1年目の経験を活かして、女子校での授業をしっかり!!

 

この3つを軸に2年目を送ることとなりました。

2年目は、地理(中学1年特進・普通)2単位×2クラス・現社(高校1年特進)2単位×1クラス・地理(高校1年)4単位×2クラス・日本史(高校3年)3単位×1クラス・政経(高校3年特進)2単位×1クラス=19単位というなかなかハードな状態でしたが、むしろ大学院の勉強もなくなり、こちらに専念できることから修行としては間違いなく良い修行となりました。

 

そして、週末は履歴書を書くのをマストとして、採用状況を随時チェック、とにかくまずは下手な鉄砲も数打ちゃ当たるの精神で履歴書を出していきました。

しかし、そのような中、自分自身がどのような学校で働きたいのかを明確にする必要があると恩師に言われ、考え、悩み、そのうえでいくつかの条件を絞り込みました。

 

①東京都・もしくは神奈川で自宅から通えること

②中高一貫校、もしくは大学付属校で受験にあまりとらわれず授業ができる学校

③経営的に安定している学校

 

これら3つをベースとしながら、少しずつ採用試験を進めていくこととしました。

さて、そんな中痛感したのは、大学院出身など、悲しいかな書類選考は90%くらいの確率で通ること(笑)

 

学部卒、しかもいわゆるGMARCHのワンランク下の出身であったタンジェントは、学部時代に履歴書を出した時には、履歴書でバンバン落とされていました(笑)時代の違いなどもあるかもしれませんが、学歴って怖いなぁ…と痛感した瞬間でした。

 

そして、非常勤講師1年目とは異なり、現場経験も増え、さすがに知識量も多少は増え、二次試験、三次試験と通る確率も増すようになってきました。ただ、なかなか最後までは結果も出ず、いくつか内定ももらいましたが、完全に納得がいくかと言われるとそうでもないという状況のまま、採用試験のピークを終えようとしていました。

正直、ある都内の女子中高に専任教諭でお世話になろう…そう決めていた頃、まさかの知らせがあったのです。

それが、母校が再度専任教諭を公募していると…しかも再度タンジェントの専門の日本史で!!

 

悩みました。正直、受けるべきかどうかを…もちろん、母校に戻りたい気持ちはありました。でも、一度フラれた身。

そして、悔しさどころかその気持ちはある意味恨みにまで変わっていました。

ただ、そんな時恩師に相談をしたところ、一蹴されました。「そんなの受ける以外の選択肢があるの?」と。

恥も外聞もない、自分がそこで働きたいのであれば、一度フラれたくらいなんだと。

 

そこからは、恥を捨て、受験をしました。受験番号は「001」つまり、一番最初に書類を出したのです。

書類選考は通りました。筆記試験も、一問いまだに覚えているなんとも性格が悪い問題が出されましたが、なんとかクリア。

模擬授業もこのテーマなら、この題材を扱うしかない!と自分の中ではある意味渾身の題材でクリアしました。

そして、またもや最終面接まで残りました。が、しかし!!!!!!!!!!!!!!

またもや、最終面接にはもうひとりが残っていたのです。しかも、実はその人はタンジェントがよく知る人物…。

最終面接の控え室で、タンジェントは緊張どころか怒りにふるえました。

 

「人の人生をなんだと思っているんだ!!!これで、またタンジェントをここで落とすのか!!!タンジェントは当て馬なんだろうなと。」

 

緊張しいのタンジェントで、これまで面接で緊張したことは何度となくありますが、怒りの気持ちでマックスとなったのは35歳の今になっても、この時だけでした。

 

さて、そんな怒りマックスで臨んだ面接で、理事長先生が開口一番、口にしたのが、

冒頭の「この1年間、どうでしたか?」でした。

 

まぁ、怒りを通り越して、呆れましたよね(笑)そして、むしろそんな状況だったので、ある意味最もリラックスした状態で面接を受けられたのかもしれません。

そして、タンジェントは本音で答えました。

 

「ものすごくきつい一年でした。まさか最終で落とされるとは思わず…ただ、当時はむしろなぜ最終試験まで残ったかわかりませんでした。でも、今ならわかります。」

 

「それは、なぜですか?」

 

「今であれば、母校の力になれると思うからです。それだけの努力をこの1年でしてきましたので。だから、今では1年前に落としていただいたことを感謝しています」

 

このようなやりとりをしたことを覚えています。実に偉そうですよね(笑)

 

そして、もうあとは神のみぞ知る…結果を待つだけでした。

翌日、その結果が届きました。1年前は、普通郵便、今回は速達…もしかしたら!?

封を切る瞬間、心拍数は200を超えていたんじゃないかと思います。

 

その用紙を見た時、飛び上がりました。そう、採用されたんです。

しかも後日、色々あって、ふたりとも採用されていました。

 

でも、この採用は女子校との別れを意味することでした。

そこから、今度は私は女子校の生徒と別れるための時間を過ごすこととなりました。

生徒には、もちろん、次年度からいなくなることは言えません。でも、引き継ぎの準備をしなくてはいけません。

3学期の約3カ月、自分が自分でないような、目の前の生徒に嘘をついているような感覚に襲われました。

 

ただ、これも通らなくていけない道…と覚悟をして、過ごしましたが。

 

結局、辞めることを告げずに女子校を去ることになったのです。

しかし、その後、女子校の生徒がタンジェントのことを訪ねてきてくれたり、SNSで連絡をくれたり…

タンジェントにとっては教員人生の土台をつくらせてもらった女子校生活。

タンジェントが願うこと、それは彼女たちが幸せな生活を送ってもらっているということ。

女子校のみんな、本当にどうもありがとう。

 

そして、ここからタンジェントは母校に帰ることとなります。

 

さて、次回は母校の教員生活1年目。まさかの1年目から担任を受け持つことに!?キーワードは合唱コン(笑)