「留年」

 

正直、聞き覚えがあまり良くない言葉ですよね。

 

タンジェントは、一年目から担任を持ち、悪戦苦闘もしつつも、充実した教員生活を送っていました。

しかし、そう甘くはない!

共に一年目を過ごした生徒たちとそのまま3年間を過ごすはずが、なんと学年が上がることができずに留年をして、また一年生を受け持つことになったのでした。今思えば、よくあること…しかしながら、その時のタンジェントは若かった。

タンジェントは完全に一年目のことを引きずりながら、二年目を過ごすことになってしまったのでした。

そして、それが目の前の生徒にとって、大変申し訳ないことをしてしまう、ある意味後悔の一年となってしまったのでした。

 

タンジェントは、4月の当初から「なんで二年生に上がることができなかったんだろう…」その思いでいっぱいでした。

これまでの次年度の校務分掌や学年の発表時において、唯一校務分掌表を持つ手が震えたのはその時だけでした。

 

そして、そんな気持ちで担任をすれば、当然それは生徒に伝わるものですよね。生徒との関係は優れず、自分の中でもどうしても昨年度のクラスとさまざまな面で比較をして、「なんで今年のクラスは○○ができないんだろう…?」そんな嫌な感情を抱くようになってしまいました。

 

そして、その年3つの大きな苦い思い出がありました。

 

①生徒をいじって、完全に関係が崩壊:私が少しでも生徒と関係を築こうとして、生徒のことをいじっていました。今思えば、ただのおごりです。もちろん、今だって生徒とふざけたりすることはあります。しかし、その年の生徒へのいじりは、あきらかに調子に乗ってやりすぎていました。そして、ある女子生徒からは完全に壁をつくられました。ただ、私もその女子生徒には当初から苦手意識があり、その悪循環からクラスが荒れていきました。また、別の女子生徒にはあるあだ名をつけたところ、それが2年後になって、クレームとして学校に報告があり、完全に生徒との信頼関係は崩れていました。さらに、クラスの男子生徒にはあまり注意ができず、もうクラスはある意味無法地帯と化していたといえると思います。なぜ、そうなったのか…やはり今考えてみても明らかに目の前の生徒を見ることができず、前年度の生徒のことばかりが頭にあったため、目の前のクラス経営をきちんとできなかった…本当に恥ずかしいことをしたなと思います。

 

②生徒を紙で叩いて保護者からクレーム:これはある体育行事の時でした。女子生徒と話していたタンジェントでしたが、ある女子生徒がタンジェントに向かっていわゆるため口で話をしてきました。そこで、タンジェントは手に持っていたプログラム(紙)で頭を叩きながら、「敬語を使いなさい!」そう注意をしました。正直、プログラム(紙)で叩いたのは、女子生徒だったからこそ直接手で触れないほうが良い、そして注意の意味も込めて、いわゆるはたきながら注意しても良いだろう…そう思ってタンジェントとしてはなんら普通のことだと思いながら、その場を過ごしていました。しかし、その夜その女子生徒の保護者から電話がありました。

内容は「娘に体罰をしただろう!」というものでした。タンジェントは驚きのあまり、正直なんのことかわからずどう対応をすれば良いかもわかりませんでした。しかし、話を聞いていくと…

「何もしていない女子生徒のことを、タンジェントが急に頭を殴った」という内容となっていました。

そこから約30分間、保護者の方の怒りを受け、ようやくおさまってきたところで、タンジェントは事情を説明しました。今だから言いますが、その保護者の方は明らかに飲酒をされていました。そして、事情を説明すると、どうも女子生徒の話とは異なることがわかってきて、最後にはなんとか矛を収めてもらえました。

しかし、これは恐ろしいことだなぁと。女子生徒とのリレーションが築けていなかった、また保護者からの信頼も得ることができていなかった、そしてこういう事態になってしまうんだと。

 

③丙午で保護者を傷つける:クラスとうまくいかないタンジェントにとって、ある意味居場所は授業だけでした。しかし、その授業でも苦い思い出がありました。授業で丙午の話を扱い、ちょうどある女子生徒の保護者に丙午のお母様がいることがわかりました。そこで、タンジェントはまたも調子に乗り、なんとなくその丙午で生まれた女性の話をおもしろおかしく説明してしまいました。

しかし、その翌日そのクラスの担任の先生からその保護者の方がタンジェントと話したいといっていると言われ、嫌な予感がしました。

すると、その女子生徒がその日の夕食時にお母様に丙午の話をしてくれたそうなんです。それだけ聞くと、授業のことを早速活かしてくれたととらえることもできますが、そのタンジェントがおもしろおかしく話をしたことをそのまま話してくれたのです。

そして、私自身非常に軽率でしたが、丙午に生まれた女性が嫌な思いをしたことがある、そこまで頭が回らず、そのお母様はそれについて私にきちんとした説明を求めたのでした。

電話でお話をしたそのお母様は、私にきちんと注意をしてくれ、なおかつ丙午に生まれた女性の苦悩、そして決して丙午のことを扱うのが悪いのではなく、一教師としてきちんと次世代に伝えてほしいと言っていただきました。

私がこれまでの教員生活で、保護者からの電話で泣いたのははじめてでした。

 

このようにタンジェントの二年目の教員生活はある意味「2年目のジンクス」と言えるくらい、まぁ失敗の連続でした。

部活でも一年で柔道部を干され、野球部の顧問として何をやったら良いかわからない、クラスもうまくいかない、授業ですらも…

正直毎日のように泣きたくなる思いで一杯でした。

そして、タンジェントも徐々に目の前の生徒を第一にできるようになった頃、合唱コンクールがありました。

もちろん、クラスはまとまっていない。完全にタンジェントのせいです。そして、そんな中、タンジェントはまたも前年度のクラスと比較して、

「君たちでは優勝なんかできない!優勝したら、坊主でも何でもしてやる!」とタンカを切りました。

 

しかし、彼らは本当に悔しかったんでしょう。信頼関係をまともに築けていない担任からそんなことを言われて、彼らは発起してくれました。そして、なんとかれらは優勝をしました。

私は心の底からうれしく、そして何より自分に対して恥ずかしい気持ちで一杯になりました。

合唱コンクールを終えて、残り約2カ月は、ようやく目の前のクラスのことをきちんと考えて、生徒と向き合うことができました。

 

タンジェントにとって、この2年目は正直後悔の一年間です。しかし、このクラスの生徒たちのおかげで目を覚ますことができました。

本当にありがとうございます。そして、本当にごめんなさい。

 

さて、タンジェントはここからこの学年と2年、3年と一緒に過ごしていくことになります。

そして、ある意味リベンジの機会をもらったタンジェントはここから改めて「目の前の生徒」を第一に教員生活を再スタートさせることになります。