みなさん、中学校時代はどんな思い出がありますか?
タンジェントは、ものすごく楽しい思い出&ものすごく辛い思い出、両方が詰まっています。
しかも、1年生、2年生、3年生とそれぞれの学年で両極端ですので、正直紐解きたくない思い出もありますが、つれづれなるままに自己開示をしてゆきたいと思います。
【中1~部活×いじり×ヒエラルキー~】
中学校といえば、いよいよ部活がはじまります。この「部活」という組織については、いずれ別の機会でおおいに語りたいと考えておりますが、当時中学校=部活に入部することが当然でした。また、なんとなく文化部より運動部、なんていうイメージもあり、タンジェントは小学校から通っていたスイミングスクールの経験を活かして、水泳部を一つの候補に考えていました。本当は大好きな野球をやってみたかったんですが、キャッチボールが苦手(笑)、そして何より数年前にその中学校の野球部が問題を起こしたため廃部になってしまい、ある意味消去法での水泳部でした。
しかし、困ったことにタンジェントの中学校の水泳部はかなりの強豪チーム、どうしようかなぁと迷いつつも、水泳部の活動している屋内プールに行こうとした時、そこで柔道部の先輩につかりました。
タンジェントの通っていた小学校と中学校は隣にあり、先輩たちもよく知っている人たちが多かったんです。
そんな時、身体だけは大きかったタンジェント、しかも当時は学校の先生か父親の仕事を見ていて警察官を目指していたため、ある意味怖い先輩達の勧誘を断れなかったこともありますが、そこで柔道部に入部することとなりました。
これが、ある意味人生の一つのターニングポイントになったかなぁと思います。
さて、中学校になると別の小学校からも生徒が通ってきますよね。タンジェントの中学校にも3つの小学校から生徒が進学してきましたが、やはり文化が異なり、それはそれで苦労することになりました。
そんな中、小学校時代ある意味中心的存在だったタンジェントですが、中学校では教室内ヒエラルキーに悩まされることになります。他の小学校から進学して友だちには比較的元気な生徒が多く、いじりと称して叩かれたり蹴られたり…最初は軽いものがどんどんエスカレートし、タンジェントも全身にあざができるくらいでした。
スイミングスクールにも通っていたため、上半身に青あざをつくられているのが見られるのが嫌で、スイミングスクールを休んだこともあります。今考えれば、あれはただの暴力です。そして、それを当時の中学校の先生も一緒になって笑ってみていました。
私は自分がやられたら、多少はやり返せるほうだったので、まだなんとかなりましたが、それでもその青あざを見ていた母は心配し、また友だちもたくさん声をかけてくれました。
しかし、私はあえて言いますが、それらを知っていた先生たちが見て見ぬふりをするどころか一緒に楽しんでいた…こんな先生たちにはなりたくない、そういう思いで今もいっぱいです。
【中2~ハッピー×ハッピー×ハッピー~】
さて、いじりという名の暴力を受けていた中1のタンジェントですが、それでもそれは特定の友人(2名ほど)からでしたので、それ以外は比較的平穏無事に過ごしていました。また、柔道部をはじめたこともあり、その特定の友人からのいじりも徐々になくなってきました。
そんな中、クラス替えがありました。合計4クラスでしたが、中2の時は本当にクラスに恵まれました。
クラスで不登校になりかけたクラスメートをどうにかしようとみんなで悩んだり考えたり、また普段の授業も行事も、何もかもがみんなでやろうという、分け隔てないチームワーク溢れるクラスだったと思います。
部活もメインとなり、私自身も柔道部の部長となりました。と、言っても強かったというよりも、人数が少なく、また比較的まとめることが好きだったというある意味消去法での選出だったとは思いますが…
しかし、中2で思ったのは、やはり担任の先生のクラス経営によって大きくそのクラスが変わる、またそれによって生徒たちの日々の生活も大きく変わるんだなということでした。そして、最後に暗黒の中3が待っていました…
【中3~無視×仲間×受験~】
その日は突然やってきました。中1の時に散々いじりと称して暴力をしてきたSくん、彼とまた同じクラスになりました。
彼は、今度は中2の頃、クラスの誰かを無視するということを流行らせ、他のクラスの雰囲気を壊していました。
その彼とは、中1以降は比較的距離感を保ってつきあっていたため、特に大きなこともなく、それなりの関係で付き合っていました。
ただ、標的になるまでは…
きっかけは些細なことでした。そのSくんが好きな女子生徒とただ仲良く話していただけ、それだけで「タンジェントを無視しろ!」指令がクラスに出ました。今思うと、そんなSくんに従う友だちもどうかと思いましたが、当時は自分の身を守るためというのもあったんでしょう、クラスの大半から無視の日々が始まりました。また、それをサポートするスネ夫的な存在であるUくん、彼が周りに無視することを強要してゆきました。
特に男子からは、いわゆる空気として扱われ、ただそれでもいじめと認定されないように、殴ったり蹴られたりはされない、むしろ何も反撃できない状態が3カ月くらい続きました。
30代半ばになる今でも、これまでの人生を振り返って一番辛い時期でした。それだけ、人間は無視されたりすることが辛く悲しいことなんだと、はじめて知りました。
しかし、そういう状況でも、そのSくんに見つからないように声をかけてくれる仲間、一緒に登下校してくれる仲間、何より女子の何人かはSくんをむしろ注意してくれて、それでなんとか救われました。そして、何より自分自身が絶対に学校を休まない、そんな思いがあったから、SくんもUくんもそのうち飽きて、また別の標的を見つけていきました。
正直、今はSくんにもUくんにもなんら気持ちはありません。私だって、似たようなことはしたことありますし、人間であればきっと誰しもが加害者になり、被害者になる経験はあると思います。
ただ、私が言いたいのは、実はSくんやUくんがそのような行為をしていたことを、先生たちは知っていたことです。そして、何もしなかったことです。比較的タンジェントはレジリエンス(ストレス耐性)が高いほうです。また、どうにか助けてくれる仲間もいました。ただ、そうではない人もたくさんいます。そういう人が同じ行為をされたのなら…きっと学校に来ていないどころか、自分の命を絶っていたかもしれません。
SくんやUくんがきっかけに無視をされ、事実学校に来なくなった友だちもいました。
しかし、それを気づきながら動かなかった先生たち…同じ立場になったからこそ、言わせてもらいます。
「あなたたちは何のために先生をやっているんですか?と。」
そして、タンジェントは元々公立志望でしたが、そういった人間関係のしがらみから解放されたい、また自分自身が私立向きの性格であるという自己分析、また何より先生か警察官になるためには大学に進学したい、そういったことから大学付属校を視野に入れ、最終的に推薦で合格することとなりました。
ただ、これも紆余曲折あります。本当は第一志望であった高校の推薦基準に最後の三者面談で①ポイント成績が足りなくなってしまいました。ある意味言い訳に聞こえるかもしれませんが、中3の2学期にそういった無視にあっていたため、成績はやはり下降気味でした。
でも、その直前に進路変更した学校にいまは10年も働いています…なんの因果か(笑)
さて、こんな中学時代を過ごしたタンジェントですが、先生か警察官になるという思いが、「先生」と固まったのが高校時代でした。
そんな高校時代のお話は次回つれづれなるままにお送りします。