突然ですが、

私の自己紹介をさせて頂こうと思います!



私は、雪の降るとても寒い日に生まれました。

父は明るく優しい人です。

母はおばあちゃん云く、すごく優しくて、か弱い人だったようです。


私には母と過ごした記憶がありません。

私が2歳の頃に、母は産後うつになり自殺しました。


記憶はないのですが、潜在意識には深い傷を負ったと思います。

幼い私は、「母に嫌われた!私の何かがダメだったから、母に嫌われてこんな事になったんだ」って感じたのかもしれません。


そして拒絶の傷が出来ました。


それからは、拒絶されるのが怖いので、

人から拒絶されないために、

たくさんの自分ルールを作り、

自分を見張り、縛り生きてきた私がいました。


私が4歳の頃、父は再婚しました。

新しいお母さんは、ちゃんと育てないといけないという思いが強かったのか、とにかく厳しく私を育ててくれました。私は、お母さんからの愛を感じとることが出来ず寂しい幼少期を送りました。


小学校でも小4くらいまで、仲のいいお友達がいなかったように思います。

拒絶されるのが怖いから、思うように行動出来なくて、ますます拒絶を感じる。

家でも、学校でも1人ぼっちでした。


幸い小学校5、6年と中学校は友達に恵まれて、

私なりにそれなりに楽しく過ごせていました。


ですが、高1の時に両親が離婚しました。

学校から家に帰ると母親と妹の姿がなく、まるで夜逃げのように居なくなっていました。

あの部屋を見た時に感じた感覚は今でも忘れられません。

全身の力が抜けていき、心にポッカリと穴が開くような感覚でした。虚無感というんでしょうか?


今思うと、2歳の頃の実母との別れの記憶を再体験していたんだと思います。

その時に、自分の感情を感じたり、吐き出せたら良かったのですが…。

私は、感情に蓋をして我慢して生きることを選びました。

きっと、父だけには拒絶されたくないから、

物分かりのいい、いい子でいなきゃって思いが働いたのかもしれません。


この出来事があってからは、私の拒絶の傷は更に深くなっていったように思います。


高校、専門学校では人に拒絶されるのがますます怖くて、人に心を開けない、深く関係を作れないという感じで…。

そんな中でも、いつも1人は心を許せる友人がいてくれました。

大きなイジメを受けたこともないですし。

私は人に恵まれているんだと思います。


社会人になり、15年程看護師として働いていました。同僚に恵まれていたために、なんとか働き続けることが出来ました。


ですが、かなり無理をしていたようで…

度々頭痛が起きるのでロキソニンは常備。

産後には、子育てのストレスも加わり喘息を発症するという状態で、体は悲鳴をあげていました。


2人目の子どもが産まれ、その子が保育園に行っては度々流行り病をもらってくるんです。

コロナには2回かかりました💦


看病のたびに、仕事を休まねばならず。

同僚に迷惑をかける状態に耐えられなくなり、

すっぱりと仕事を辞めました。



そして私には、自分と向き合うための沢山の時間が出来ました。

仕事を辞めることに対してかなり悩みましたが、辞めて良かったです。

今となってみると、私へのギフトだったのかなぁ?って思えます。


それからは外側に向いていた意識を可能な限り内側に向けて過ごせました。

自分の傷や観念に向き合うことで癒されてきたのか、

自然と自分のやりたい事も、見つかりました。


今はヒプノセラピストになるべく、

ヒプノセラピーの勉強中です。



そしてインナーチャイルドの声を聴くこと、これは私のライフワークなんだと思います。


私にはこどもの時に誰にも言えずに飲み込んだ沢山の声があります。

私は、これからも幼い私の声を聴いて、寄り添い続けていきます。



今回、自己紹介文を書いてみて良かったです。

自分の人生をこんなにも客観的にみれるようになっていたことに気付けました。


もしも、読んで下さった方がいらしたら、

こんな面白みもない話にお付き合い下さり

本当にありがとうございました😊