ついに奇談を買っちゃった~ふふふニコニコ

言わずと知れた諸星大二郎作品(漫画高いからまだ未読なの~)

 

異端の考古学者稗田礼二郎を演じるのは阿部寛さんです。

内容がかなり特殊で隠れキリシタンものですが、映画「沈黙」とは全然違うから(あっちはあっちで見ましたが涙なしには見れない。壮絶な弾圧に耐えて信仰を貫く人々が描かれた真面目な作品だし。ただキリシタンだというだけであそこまで残酷な仕打ちが人に対してできることが本当に恐ろしい・・)

 

だけどこっちはこっちで誇大解釈ではあるもののラストはちょっとほろりときますよ。

 

かつて神隠し事件にあったヒロイン(大学院生の佐伯里美)が記憶を頼りに舞台となる東北にある隠れキリシタンの里、渡戸村(わたらどむら)へと向かいます。

 

字幕ないから表記は聞き耳です。

 

見覚えのある教会に手がかりを求めて立ち寄った里見は「妖怪は実在すると」発表して(ヒルコの里)学会を追放された異端の考古学者稗田礼二郎に出会います。

 

神父さんの協力を得て教会に残された古いフィルムを観賞するんですけど・・

 

なんか零ってこれ参考にしたのかな~ってくらいイメージが被る・・・

 

フィルムでは渡戸村の住人から村八分になっている「はなれ」と呼ばれる集落の住人の口伝による聖書異伝が判明します。

 

それによるとアダムとイブではない、アダムとジュッセル(字幕ないので空耳ジュスヘルかもしれない)という人物が人類の子孫であり、知恵の木の実を食べたアダムとイブに対し、ジュスヘルは「生命の木の実」を食べたため不老不死になり、地上が人で溢れかえるのを危惧した神が彼らを「インヘルノ」に落とした・・

 

信仰真面目にされいてる方からしたら噴飯ものだけど、あくまでも映画としてみれば面白い解釈だと思いました。

 

しかも「はなれ」の住人は全員7歳児程度の知能しかなく不老不死だったため、ある程度の年齢になると洞窟の奥にある狭間・・インヘルノと呼ばれる穴に引き込まれ延々とうごめいているという・・(映画 ハムナプトラ2とかゲーム零紅い蝶とかでもありましたよね~そんな感じの映像)

 

はなれの住人が7歳児程度なのは近親婚が長く続いたためだと解釈されているけど、実は知恵の実ではなく生命の木の実しか食べなかったから・・らしい。

 

零紅い蝶が参考にしたのでは?と思うのは穴を発見した一行が「ここへはなれの者が来ましたか?」と問う稗田に対し、「穴を指し示しインヘルノ・・」という穴の際に立つ3人の人物。それを見た稗田は聖書に示された3人のヨハネではないかと看破する。(洗礼、使徒、黙示録)

 

神隠しにあった者達は全員7歳(七五三とかもそうだけど7歳までは神の領域という考えからだと思われる)はなれの住人ではなくても時が止まったような特殊な領域に紛れ込んだことで現実世界では失踪者扱いになっていた。

 

ヒロインも子供の頃にこ新吉とともにこの場所を訪れ里見は途中で戻ったが穴に近づいた新吉は行方不明になっていた。

 

穴に落ちた者達は未来永劫苦しむことになるため、ついにはなれの住人だった善次(ゼズス→イエス?)が皆を救うためにカルバリ山で殉教して果て・・3日後に復活を遂げ「キリント」と呼ばれる復活者になりインヘルノに堕ちた者達を引き連れ「パライソ」と呼ばれる天国に導いたけど、重太(ジュダツ→ユダ?)だけはいくら願ってもパライソに召喚されずに地上に残された

 

もし重太が穴に飛び込めばどうなっていたのでしょうかね。

 

教会の神父が「主はただお一人だ」と不快感を示すのも無理はないけど、その手順でなければ永劫に苦しむ彼らを救えないのだと悟った善次の自己犠牲があったからこそ彼らもやっと救われたのはよかったと思います。稗田もまたジュスヘルの子孫を救う「救世主」が必要だったのだと推察。

 

感動したのは静江が主にいなくなった子らを返して欲しい・・と教会で祈りを捧げるシーン。その後新吉君以外の子は無事戻って来たけど人の世界に疲れた新吉君だけは自ら穴に飛び込み他の皆と共に「パライソ」に行ってしまいました。

 

たぶん過疎化が進みはなれもダムに沈むとなり覚悟を決めざるを得なかったんだろうなあ・・(なにせ不老不死だからさ)

 

知恵の木の実を食べた人類と生命の木を食べたジュスヘル(→ルシフェル)の子孫どちらがより幸せなのか・・殺りくに明け暮れる知恵の木の実を食べた我々よりも生命の木の実を食べたジュスヘルの子孫の方が神が望んだ無垢なる者だったのではないか・・と考察する里見でした。

 

この話に出た「はなれ」も結局ダムに沈んじゃうんですよね~だから地図から消えた村ものでもある。わりととんでもない内容だけど面白い作品だと思います。

 

あくまでも稗田礼二郎が独自の解釈で考察しているのでそれが真実かは定かではないし、はなれの住人がどこから来てどこへ消えたのか?重太がなぜパライソへの召喚を拒まれたのかは不明。

 

謎を解く話というわけではないので物足りなさはありますが、稗田が里見に言ったとおり「あの場所で君が見たものが全て」だということでしょう。解釈は人それぞれ。