まだ婚約者の段階でキスをすることになるとは思ってなかったけど少なくとも私にとっては貴重な体験だったからそれで良いのだろう。
そう思っていたのに悩ましいのは何故かしら?
きっとこの場所では誰も本音を言わないからだろう。
私自身密偵として感情をコントロールする術を身に着けているけど、魑魅魍魎が渦巻く宮廷で生き抜いてきたライザール様はさらにその上を行く方だった。
ライザール様の恋愛観はわからないけど、彼が私に手を出すのはあの中庭でのキスだけになるだろうか。
『ああ・・・そうだ。この続きは結婚するまではお預けだ・・当然だがな』
戻る間際にライザール様にはそう言われてしまったのだ。
むしろ喜ぶべきことなのかもしれなかったが、素直に喜べない自分がいた。
『ふん・・不満そうだな。だが妻に迎える以上私もけじめをつけたい』
私の反応を窺っていたライザール様には釘を刺されてしまった。
もちろん結婚なんてできるはずもないけど、その前に撤収できるかどうかはレイラ様次第だった。
間に合わなければ時間稼ぎに結婚を余儀なくされてしまうだろう。
もしそうなれば私の気持ちに関係なく彼と初夜を迎えなければならなくなる。
そこまでの覚悟が私にあるかというと・・複雑な気分だった。
ライザール様に惹かれているとはいえ心の交流もないまま抱かれなければならないのだと思うと躊躇いを感じた。
それにやっぱり偽物の私が妻になるわけにはいかない。
だって私はきっと・・誰とも深い関係になることなんてできないんだから。
とはいえ依頼を投げ出すわけにもいかない以上今できることは問題を先送りにしてしのぐことだけだった。