「大丈夫か・・?」

 

ライザール様は優しかったけれど、本物の婚約者でもなく恋人でもないからこんな時どうしたらいいのかわからなくなる。

 

甘えたいけどそれもはばかられて、身の程をわきまえない女だと思われるのもつらくて途方にくれてしまうのだ。

 

仕事中だったのにこんなことしてしまった気まずさもあって。

 

密偵としても女としても中途半端なことが苦しかったけど、それでも今の私にとって彼と過ごせるひと時は貴重なものだった。

 

彼は私の名前すら知らないのだから。私こそ都合の良い名もなき女だった。

 

「すまない・・・慣れていないお前にこんなことをするべきじゃなかった。だが我慢できなかった。これが欲望なのかそれ以外なのか自分でもわからない」

 

 

男の本音なんて聞きたくはなかったけれど、でも私同様ライザール様もやはり葛藤されているのだと思うと少しだけ気持ちが和らぐ。

 

「わかります。私もこんなことは初めでだし・・ダメですね私達」

 

気持ちがわからなくて肉体の欲求に従ってしまったことに後悔はなかったけれど、流されてばかりだと理性がそれを許さないことに気づかされる。

 

「仕事に戻りますね。初日ですから頑張らないと」

 

気持ちを切り替えるしかない。

 

「ああ・・私もそうしよう。使用人だって立派な仕事だから頑張るといい」

 

 

「はい、それでは失礼いたしますライザール様」

 

身なりを整え片づけた私は盆を持ちライザール様を残して退出する。

 

廊下も人払いされていてホッとしてしまう。

 

好奇の視線にさらされる一方、王を慮り見て見ぬふりをされるのもまた宮中のならわしだった。

 

本当に不思議なところだわ宮中って

 

知り合いが居ないのがせめてものことだった。

店主様にすら『喪失』してしまったことは言えなかったし。

王の戯れの慰み者であることはやはり知られたくなかった。