ジェミルのことは心配だったが、それでもシリーンは迷う気持ちを振り払うようにライザールの元へと向かった。

 

先ほど別れたばかりで彼はまだ余韻を引きずっているのか・・・

 

それとも彼にとってはあの程度の出来事は日常茶飯時の些細なことでしかないのか

 

出たとこ勝負だったが、どうしてももう一度彼と会って確かめたかった。

 

すでにライザールは私室へと戻っていた。

 

婚約者とはいえこのような時間に先触れもなく訪問するのはいけないことだとわかってはいたが、幸い咎められることはなかった。

 

一見すると彼の方は拍子抜けするくらいいつも通りだったが、だがやはり少しだけ眼差しが和らいだ気がしてシリーンを落ち着かなくさせた。

 

「どうした?こんな時間に・・・私になにか用でも?」

 

こちらの様子を窺っていた彼の気配がほんの少し慎重さをはらむものに変わる。

 

着飾った婚約者を前に取る態度ではなかったが、心を見透かされるのが怖くていつも以上に念入りな装いになってしまっていた。

 

デコルテは通常のものだが臍周りに仕込んだヘナタトゥーにはテロメアーナを使っていた。

 

外気に触れると途端に異性を誘惑する効果を発揮できるという呪いのようなものだが、残念ながら女の私には効果が及ばないため実感はなかった。

 

どの程度効果をもたらすのかは個人差があるようだった。

店主様のようにその影響を受けない特殊な方法を心得ている者もいる。

 

ライザール様に効くといいけれど

 

「あの・・・どうしても確かめたいことがあって・・・」

 

それは本当のことだった。

なぜ彼に触れられても平気だったのか確かめなくては。

 

「ほう・・?私にわかることならばいいが。そうだな・・・たとえば先ほどのキスのこととか」

 

こちらの反応をつぶさに観察するライザールの視線とまともに目が合ってしまい、羞恥を感じたシリーンは咄嗟に目を逸らしてしまった。

 

図星だった。密偵として常に心を悟られないように振る舞ってきたが、彼にはすべて見透かされてしまっていて心を覆い隠すのもままならなかった。

 

どれだけ服を着こもうと彼に見つめられたら丸裸にされたような生きた心地がしなかった。

 

でも私だって場数を踏んだ密偵だわ。きっと彼を誘惑してみせる。

そう覚悟を決めた直後だった。

 

いつの間にか傍に来ていたライザールさまに顎をすくわれたかと思ったらいきなりキスされていた。

 

私の葛藤などとうに見透かした彼の誘惑に抗うことはできなかった。

 

それはとてもとても甘くて深いキスだった。

 

――ああ・・・また・・・だわ。やっぱり気持ちいい・・・

 

 

誘惑するのは私のはずなのに。拒まなければと思っても気づいたら彼の思うままだった。

 

けれどそこでふいに彼は突き放すように身を離した。

 

!?

 

「もう遅い・・・今夜は部屋に戻られよ。いくら誘惑しようが私は結婚するまで手を出す気はない」

 

鋼のように一歩も譲らない信念にただひれ伏すしかないのだろうか。

 

だがライザール王の心構えは立派だったが、こちらとしても切実だった。

 

これまで会った男たちは全員私の敵だった。

ライザール様に関してはむしろ私の方が敵愾心をもたれているきらいさえある。

 

だけど彼だけなのだ。私に触れても嫌悪を感じさせない男は

 

だからこのまま引き下がるわけにはいかなかった私は最終手段に打って出た。

 

纏ったチャドルで隠していたタトゥーを晒した。

 

「なっ・・・・お前、これをどこでっ」

 

驚いたことにライザールさまは動揺を見せたものの冷静だった。

 

さすがは王と言ったところか。美人計にも耐性があるようだ。

 

だがやはり彼の怒りを買うのは避けられなくなってしまった。タトゥーが彼に効果を及ぼさない以上私の敗北は確実だった。