遅くに訪ねてきたシリーンに頼まれ大浴場にて彼女の身を飾るヘナタトゥーを落としたばかりである。
しかしその最中にシリーンは睡魔に抗えずに寝てしまい、オイル片手にライザールは途方にくれることになった。
「おい、シリーン?・・なんだ本当に寝てしまったのか」
そっと肩に触れてみたがシリーンが相変わらず目覚める気配はなかった。
女の身で密偵をしているのだ。よほど張りつめていたのだろうか。
緋色のアイシャドウをひいたはっと目を奪われる様な妖艶な眼差しも今は閉じられ、眠るその顔はむしろあどけないものだった。
――シリーンッ
「こいつめ、私を放って寝てしまうとは」
ヘナタトゥーを失った無防備な白い背中を晒したままの無垢な寝姿につい魔が差しそうになってしまう。
密偵として侮られたくないからか奔放に振る舞ってはいたが、シリーンが男を知らないのは明らかだった。
そう思えば大切な女だからこそ怖がらせないように自重してきた。
さて、どうしたものかと思ったのも束の間不埒な思考はすぐに霧散することになった。
――眠いな
毎夜遅くまで会議の準備に追われる身には限界だった。
だが、そうはいってもこんな機会はめったにないものであることはライザールもわかっていた。
顎に手をやり逡巡したライザールは手にしたオイルの瓶とシリーンを交互に見比べた後、その口元に笑みを浮かべた。
「許せよ、シリーン。私のせめてものわがままを叶えてもらうぞ」
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翌朝
心地よい眠りから目覚めたシリーンはふと違和感を覚えた。
ライザール様!?
気づけばそこはなぜかライザールの寝台で、すぐ隣りで穏やかな寝息をたてて眠る彼の腕の中だったからである。
一晩中逞しいその胸板に顔をうずめて寝ていたのかと思えば羞恥を覚えた。
微かに動揺していたシリーンだったが、眼前のライザールの寝顔にふと惹かれた。
よほど疲れていたのだろう。身じろいでも目覚める気配はない。
精悍な寝顔を見ていたら愛しさが募ってしまいシリーンはその引き結ばれた唇にそっと口づけた。
――ふふ、なんだか可愛い
口紅をつけてしまったかも、と拭おうと思ったがライザールの唇に紅がついた痕跡はなかった。
反射的に自分の唇に触れてみたが指先にはやはり口紅がつくことはなかった。
眠っているうちに取れてしまったのかもしれない。
夕べは化粧も落とさずに寝てしまったが、できるならば彼が目覚めぬうちに身支度はすませておきたかった。
だが逞しい腕に抱きとめられているせいかやはり身動きはかなわなかった。
どちらかといえば体温の高いシリーンに対し、冷やりとしたライザールの素肌は心地よいもので互いが抱き枕になったような状況にあらためて頬が火照ってしまう。
――もうライザールさまったら
どうやら彼は寝る時は服を着ない主義らしい。シリーンの方はと言うと夕べ身に着けていた黒のビキニ姿のままだった。
おそらくヘナタトゥーを取るためのオイルマッサージをされている最中に寝てしまい、ここまで彼が運んでくれたようだ。
用心深そうな彼がそこまで信頼してくれたのかと思えば嬉しかった。
こんな近くで無防備な彼の寝顔を見られる機会などそうはないだろう。
緩くくせのついた巻いた前髪を指先でそっといじったシリーンはふと気づいてしまった。
ライザールの口元が微妙にほころんでいるのだ。
寝たふりをしてこちらの反応を楽しんでいたらしい。
「ライザールさまったら・・・寝たふりするなんて」
言った途端目覚めた彼に唇を奪われた。
――あっ
再会してから度々こうして口づけをかわした。
合わせた胸から互いの鼓動が重なり甘い吐息が重なる。
体温を増す身体から力が抜けそうになった時、ゆっくりと唇が離れて行った。
けっして一線を越えようとはしない理性的な彼に翻弄されてしまい、全てを見透かされている気がしてシリーンは気恥ずかしさを覚えた。
「おはよう、シリーン・・・よく眠れたか?」
先ほどシリーンがしたように優しく髪をすくライザールの顔には疲労の影はもはやなくて安堵を覚えながら頷くと彼が屈託のない笑みで応えてくれた。
「それはよかった。私も久しぶりによく眠れたよ。お前のおかげだな」
額を突き合わせるように囁くライザールとの間に漂うのは濃密なエロスではなくもっと穏やかで温かなものだった。
「私も。あの、夕べは重かったでしょう?お手間をかけてしまったみたい」
あのまま寝落ちしてしまったのは不覚だったが、満更でもなさそうなライザールの顔を見ていたらこれでよかったのかもとも思う。
「ははは、気にすることはない。お前を抱きあげることくらい容易いことだ」
爽やかに笑う彼の顔はやはり屈託なくて、ルトの面影が重なりシリーンの胸は一層高鳴った。
「さあ、そろそろ起きなくっちゃ。今日も忙しいのでしょ?」
早朝のため辺りはまだ静まり返っていたが、人目につかぬうちに部屋に引き上げた方がよいのは明らかだった。
名残惜しみながら身を離すと、やんわりと腕を掴まれ再度唇を奪われた。
短くキスを交わしたライザールは残念そうに言った。
「ああ・・・今日は一日中会議だ。かまってやれなくてすまないな」
彼は王で私は密偵、互いに忙しい身であればいたしかたないことだった。
だからこそこんな穏やかなひと時を過ごせたことはより一層貴重なのだが。
「ううん、いいの。私こそ一緒に過ごせて嬉しかったわ・・・またね、ライザールさま」
彼が持ち帰ってくれていた衣装を身に着けたシリーンは、穏やかな心地で彼の部屋を辞した。
そうして私室へと戻ってきたシリーンだったが、別れ際のライザールのどこか面白がるような態度がふと気にかかった。
天蓋付きの寝台に身を投げ出し手鏡を覗きこんだ時、その意味深な態度の理由がわかった。
―――!?
「・・・・まあ」
手鏡にうつる顔はすっかりすっぴんだったのである。
