会議中は各国の王子たちも利用できる場所だったが、時間が時間なためか熱気でけぶる大浴場に人影はなかった。
灼熱の砂漠の国シャナーサ王国において潤沢なオアシスともいうべき水をたたえた大浴場はもっとも王宮らしい場所だった。
王の婚約者であるシリーンもこの場所を使う許可を得ていたが、他国の王子と遭遇して面倒に巻き込まれたくなかったので自室で身を清めていた。
「広いわね・・貸切りなんて贅沢だわ。前から来てみたかったの」
王になって長いライザールには実感がわかないかもしれないが、身を浸せるほどの湯を浴びれる機会はそうはない。庶民はみな蒸し風呂を使用するのが一般的だった。
興味津々な様子の無邪気なシリーンの姿を微笑ましく思いながらライザールは案内するように腕を引く。
「なんだ・・そんなことならいつでも貸切りにしてやるぞ」
王の権限を使えば容易いことだった。
「だめよ、そんなことしては。特別扱いしないでっていってるでしょ?」
遠慮深く聡明なシリーンの態度を好ましく感じながらライザールも頷く。
「そうだったな。・・それで?お前のタトゥーを落とせばいいのだろう?オイルを貸してみろ」
ビキニ姿でタオルを引いたタイルの床に仰向けに横たわったシリーンから渡されたオイルの瓶の封を開けたライザールはトロリとした蜂蜜色のオイルをゆっくりとシリーンの腹に垂らした。仄かなじゃ香の香が鼻腔をくすぐる。
「ひゃっ・・・なんだか変な感じ」
「こら、じっとしてろ」
たらりと垂れるオイルをライザールの大きな掌が伸ばしながら柔肌を揉むように馴染ませるとみるみるタトゥーは溶けていく。
くすぐったさに身をよじるシリーンの反応に気をよくしながらライザールは根気よくタトゥーを落としていった。
両肩、デコルテ、臍周り、執念深いほどの意匠をこらしたタトゥーは忌々しかったがこうしてシリーンと触れ合う口実だと思えば悪い気はしなかった。
だが内股に描かれたタトゥーを目にしたライザールの眉がかすかにしかめられた。
――あの男、こんな場所までっ
「・・・許せんな。二度と他の男に触らせるんじゃないぞ」
彼女の柔肌に他の男が触れたのだと思えば腹立たしくてならなかった。
もっともシリーンにしてみれば些細なことである。最初こそくすぐったくてならなかったがすぐに慣れてしまったし真剣にタトゥーを施す店主の姿にプロフェッショナルな職人気質こそ感じ入ったもののそれ以上の感慨はなかったからだ。
だからライザールの嫉妬はシリーンにとって意外なものだった。
(ライザールさまったら、意外と嫉妬深い方だったのね)
だがライザールの気持ちを汲めばわからぬ話でもなかったのでシリーンは早々に降参することにした。
「は~い。わかりました」
確約はできなかったがせっかく二人きりの甘い夜である。深刻な事態にしたくなかったので軽い口調で答えると、ライザールもまた不承不承頷いた。
それにしてもである。
ごく自然な慣れた仕草ではあったが、考えてみれば脚を開き男性に内股を撫でられているのかと思えば遅ればせながら羞恥を感じてしまったシリーンはそっとライザールを窺った。
だがまだ怒り足りないのかぶすっとした面持ちのライザールからは艶っぽい気配はなく黙々と手を動かしているだけだった。
ときめいているのが自分だけなのだと思えばなんだか落胆を覚えた。
まるで店主の気配を抹殺するかのように徹底的にタトゥーの痕跡を拭い取りひと仕事を終えた満足感を覚えながら顔を上げたライザールはやっとつまらなそうに顔をそむけたシリーンに気づき「おや?」とばかりに眉をしかめた。
どうやら夢中になりすぎてシリーンをほったらかしていたことに遅ればせながら気づいたライザールはばつの悪さを感じていた。
(俺としたことが・・なにをやっているんだか)
「その・・・すまなかったな」
こほんと咳払いの後潔く謝るライザールをちらりと見やったシリーンも苦笑を浮かべながら謝罪を受け入れた。二人きりになれる時間は貴重なのだから。
「ね、次は背中をお願い。自分じゃ届かなくて」
うつ伏せになりながらさりげなくビキニを外された遮るもののなくなったシリーンのすべすべの背中を眩しげにライザールは見つめた。
「ああっ・・・私に任せておけ」
思わず扇情的な姿に見とれてしまっていたようだ。思えばこうしてシリーンの素肌に触れるのは初めてだった。つまらぬ嫉妬に駆られて台無しにすることはない。
だからより心を込めて彼女のタトゥーを落とす。彼女のしがらみを取り除き憂いから解放したかったからだ。
「うん・・・お願いね」
ライザールの気配が変わったのを敏感に察知したのかシリーンもまたリラックスした様子でそれに応える。
じゃ香のアロマオイルを塗り込むライザールの大きくて少しヒヤリとする優しい掌の感触が火照った素肌に心地よかった。
あまりにも心地よくてついうとうとしてしまう。
沈黙が苦ではなかったからライザールもまた気づくのが遅れてしまったがいつの間にかシリーンは眠りに誘われたようだった。
「シリーン?なんだ眠ってしまったのか・・・子供みたいなやつだな」
苦笑を浮かべながらも満更でもない様子で気持ちよさそうに無防備に眠るシリーンの寝顔を見守るライザールの眼差しは優しいものだった。
「・・・・ん・・・・ルト」
!
思いがけず寝言で名を呼ばれたライザールの顔に浮かぶのはあまりにも無垢なものだった。
無性にこみ上げる愛しさに惹かれるままにシリーンの額にそっと唇を押し付けたライザールの顔は王のそれではなく元来の彼の表情(もの)だった。
