私の提案は少なからずシリーンを動揺させてしまったようだった。
少しも彼女の表情の変化を見逃さないように注意深く反応を窺う。
私は彼女を傷つけたくないし、彼女が望まないことをさせる気はない。
だが彼女は驚きこそしたもののそのスファレライトのごとき瞳に輝きが満ちるのがわかり安堵した。
好奇心の強い彼女に満足しながら私は彼女を抱き寄せその艶やかな唇を奪った。
甘い口づけをかわす。ふと私しか知らない彼女の唇に別の男が触れるのかと思えばかすかに心が疼いた。
私の目前で抱擁を交わす妻と自分であって自分ではない過去の残影。
かつて私も体験したことだった。初めての経験に翻弄されて熱に浮かされるように過ぎ去った甘い記憶がよみがえる。
だが同時に私は存外嫉妬深い男だったのだと気づく。妻に触れる若かりし頃の自分すら疎ましく、激情に駆られるままに振り払ってしまいたくなる衝動をこらえねばならなかった。
それでも思いとどまれたのは私を見つめるシリーンの眼差しに愛を感じたからだ。
彼女にとって私もルトも同じ存在であるのだろう。そう思えば競うことすら野暮に思えた。「初めて」のルトに彼女を充分に満足させられないならその分は私が補えばいいのだから。やんわりと彼を諌め手ほどきはしつつも私は補佐に徹した。
私の気持ちを知ってか知らずか、試すように挑発的に奔放にルトを翻弄するシリーンは美しかった。
かつてはあれほど私を誘惑したシリーンだったが私の正体が「初恋のルト」だと知ってからは妖艶さは陰をひそめ、従順でしおらしい貞淑な妻になった。
もちろんそれは私への深い愛ゆえだが健気に振る舞うシリーンを愛おしく想う反面、私の知らない彼女の一面を満喫できなかったのが少しだけ残念だと思った。
今まで誰にも身体も唇も許さなかったとはいえ密偵として、彼女に群がる幾多の男どもを骨抜きにしてきた手管をぜひとも私も味わってみたかった。
だがそれは同時に彼女に触れた見ず知らずの男たちへの憎悪と嫉妬も内包していた。
だから「誘惑者」である彼女を見るのは今宵限りで見納めだ。今私が体験しているのはあくまでも甘美に過ぎ去った過去の幻影でしかない。
これからの全ての夜(時間)は私が身も心も捧げた愛する我妻とだけ過ごすことになるだろう。
私の心を奪った唯一無二の女。
より深く惚れたのは私の方だ。
惚れた方が負けだというが私は圧倒的勝者となったシリーンを妻に娶りその甘美なまでの敗北を受け入れた身だ。
こんな幸せがわが身に起きるなどとは思ってなかった。
国のために生涯をささげると決めた私の心に献身的に寄り添い支えとなってくれるシリーンを心から愛している。
だからその笑みが絶えることのないように私もまた彼女の愛情に応えていく。
これはそんな私たち夫婦に起きた一夜の夢物語だ。
