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樋口との間に艶めいた話はもとよりなく共通の話題がないため、とりとめもない世間話をしながら料理を待っていると、やがて厨房から温かな湯気を立てた料理を新が運んで来てくれた。
他に客の姿もないため、壱哉の誘いでエプロンを外した新も席につくことになったのだが・・・樋口の存在など壱哉がもとより気にかけるはずもなかった。
「・・・あ~~ん
」
ひと匙一匙掬ったオムライスを、親密な距離に腰かけた猫耳姿の新に食べさせてもらう壱哉の顔は始終緩みっぱなしだった。
「ほら、お前も食べていいぞ、新・・・遠慮しなくていい」
一つのオムライスを仲良く二人で分け合う恋人たちを前に、茫然とする樋口を尻目にさらに機嫌よく勧める壱哉に新が言った。
「いいって・・・俺、さっきここでラーメン食べたとこだし・・・黒崎さん食べてよ」
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「
・・・・ここ、ラーメンもやってたんだ・・・恐るべき看板猫パワーだなあ」
新の言葉を聞きつけた樋口が呆れたようにひとりごちた時だった。
ガラリッ
突然戸が開いたかと思うと、濡れ鼠のごとく有様の男性客が遠慮がちな面持ちで暖簾の合間から顔を覗かせた。
「いや~参っちゃった。急に雨に降られてすっかり冷えちゃったから、大将・・熱燗・・・・つけて・・・」
調子よく大将に声をかけていた客の視線が、壱哉と寄り添った猫耳姿の新へと止まった瞬間凍り付いた。
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最近この店に通い出した新参者の彼の脳裏にその時駆け巡ったのは、常連さん達から聞かされた魔王と看板猫の登場する都市伝説だったことなど壱哉が知る由もなかった。
おりしも外は雷雨だった・・噂では毎度特殊な渦巻き雲が出るのではなかったか・・?との差異など、壱哉の姿に慄き思考が停止した彼にはもはや些細なことにすぎなかった。
和食屋の店内で殊更異彩を放つソファにふんぞり返り、恋人と思しき猫耳少年を膝に乗せ、オムライスを頬張る壱哉の姿は、彼の眼には光臨した魔王とその寵愛を受けし看板猫にしか見えなかったのは無理もなかった。
「ま、・・・魔王様光臨!?激レアだよ~~どうしよっ・・遭遇したら悪運アップするって噂・・ホントかな!?ひっ・・・ごめんなさいっ!!・・・ど、どぞ・・・ごゆっくり~~っ
」
一人興奮する男性客を煩わしそうに壱哉が一瞥した途端、臆したのか彼は逃げるように立ち去ってしまった。
「・・・なんだったんだ?」
脱兎のごとく消えた男に対する興味などあるはずもなくぼやく壱哉に、樋口がさりげなく言った。
「
・・・お客さん・・・だろ?」
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樋口が指摘した瞬間、今度は新が目を剥き壱哉に詰め寄った。
「
黒崎さんっ・・・客、追い返すなんて酷ぇよっ・・・せっかく雨ん中この店に来てくれたのに・・・」
信じて留守を任せてくれた大将に合わす顔がないとばかりに拗ねる新をギョッと見やった壱哉が力なく言った。
「・・・俺が悪い・・のか?」
新と食事を楽しんでいただけの壱哉としては、こちらに落ち度などあるはずがなく全くもって心外でしかなかったが、気負っていた新が目に見えて落ち込むのがへたった猫耳や表情でわかるだけに、怒る気にもなれなず、むしろ慰めてやりたいと思った。
だからどさくさにまぎれて合槌をうつ樋口を眼差しだけで後悔させ溜飲を下げた壱哉は、改めて膝に乗っけた新に向き合ったまま優しく告げた。
「・・・すまなかったな、新。・・・あの客に誤解を与えてしまった俺が悪かった・・・・。
まあ、酔客の相手はお前にはまだ早いだろう?だから・・・大目に見てくれないか?」
謝罪の言葉を紡ぐ壱哉の真摯な眼差しを受け止めたのか、新が小さく頷きかえしてくれた。
「言われてみりゃあ・・・そ~だな。・・・黒崎さんの言うとおり俺、酒の種類なんてわかんねえもん・・・だから今回は良しとすっか!・・こんなカッコだけどさ・・俺にはアイツみたいな集客パワーなんてないんだよな。・・今日だって結局来てくれたの、黒崎さんと兄ちゃんとさっきの客だけだったし・・・・・・だからさ・・・俺もごめんな?」
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―――萌にゃんっ![]()
憂いが消えた新が微笑んだ瞬間、元気を取り戻した猫耳がぴんと伸び、壱哉の煩悩が増したことは言うまでもなかった。
「それにしてもさ、ダーク黒崎と会ったら悪運上がるって噂まであるんだなあ・・」
しみじみという樋口に苦笑を返しながら、壱哉はかつて我が身が全ての不幸の元凶なのだと信じていた苦さから解放された瞬間のことを思い出した。
『・・・ぽんぽこぴー!ま~だそんなこと言ってんのかよ?自信満々のくせに変なとこ謙虚だよな
黒崎さん、俺あんたと出会って色々あったけどさ・・今すげ~幸せだから・・・忘れんなよ!』
そう言ってほほ笑んでくれた新の笑顔にどれだけ救われたことだろう。
そんな壱哉の脳裏に、急きょこの店に変更した時のことが思い出された。
(本当は、樋口と友人になった記念を祝して美味い酒を出すレストランを予約してたんだがな・・)
店に向かう途中、ふと新の顔が浮かんでしまった壱哉は、次の瞬間にはこの店へと足を向けていたのだ。
(・・・吉岡の奴、ひどく恐縮してたが今頃例のお気に入りと息抜きしてる頃かな
・・ま、結局、結果オーライだったわけか。)
なんと樋口は相変わらずの普段着姿だったので、ドレスコードを考えれば入店できなかったかもしれなかった。もっともその肩肘張らないところが彼の美徳なのだろう。
さっさと気を取り直し、平和な顔で美味そうにキャベツをかきこむ樋口を見やった壱哉は、やはり気を取り直した新の掬ってくれた最後の一さじを味わいながら、猫耳姿で尚普段通りの倹しい恋人を慕わずにいられなかった。
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(そうだ、今回の埋め合わせに新に似合うスーツをプレゼントすれば、あの店でランチデートができるな)
普段は新が安心して寛げるリーズナブルな店ばかりチョイスしていたが、たまには少しの背伸びも伸びやかな彼の好奇心を満たしてくれることだろうと思えば、我ながら悪くないアイデアに思えたが・・・
(もっとも堅実な新のことだ・・かえって困らせることになるかもしれんが)
それはともかく、この店に来た時、出迎えてくれたのが新だったことに壱哉は改めて絆を痛感したのだ。
「・・・お前の吸引力に俺は抗えないんだがな。・・・それじゃ、ダメか?」
すると新は嬉しそうに首を振った。
「・・・ううん。・・・それなりに効果あったんだこのカッコ。へへ・・・そっか・・・・大将もわかってたんかな」
「・・・さあな」
飄々とした大将の思惑など知る由もなかったが、確信が持てたことはあった。
―― 一目で俺の愛したお前だとわかった
移し鏡の向こうの彼と同じだけれど同じではない。秘めた想いも熱さもやはり同じではない。
(新、俺が愛を捧げたいのはこんな俺のために美味い飯を作ってくれて、
想ってくれる温かいお前だけだ・・・)
「・・・新、ケチャップ・・・ついてるぞ?」
「・・・・へ?・・・あっ・・・んん
」
チュッ![]()
甘いケチャップを味わうように、余すところなく吐息を乱す新の柔らかな唇を堪能した壱哉は満足げに呟いた。
「・・・ごちそうさまでした。・・・オムライス、本当に美味かった・・・ありがとう、新」
想いを伝えるように、新の腰を抱き寄せると、すっかり空になった皿を満足そうに卓上に戻した新が、はにかんだ笑みを浮かべたままそっと身を寄せてきて、壱哉の心は再び平穏に包まれたのだった。
樋口
「・・・俺、・・・も、帰っていい?ってか大将!早く帰ってきて~~
!!」![]()
おしまい![]()
