この作品は甘悪夢から生還した後日談に過去シーンを織り交ぜたスペシャルエピソードとなります。



「新、手が冷たいぞ。・・・風呂に入るか?」



夏の蝉しぐれで疲弊した耳に心地よい、リーリーと軽やかに庭のあちらこちらで集く虫の音に耳を澄ませ、深まる秋の気配をひしひしと感じながら窓辺に座り煌々と輝く月を愛でていた新は、背後から抱きしめる壱哉の温もりに誘われるまま、庭の片隅に植わった金木犀の甘い香りを惜しみながらそっと窓を閉めると、頷きかえした。



「・・・・ん・・・そうする」



朝のコーヒーから始まった久々の休日を二人きりでゆったりと過ごし、満たされた一日の終わりに壱哉と仲睦まじく湯に浸かりながら、こうして感無量のまま優しく波打つ水面をぼんやりと見つめていた新の脳裏に、懐かしい記憶が呼び起こされていた。



(・・・・あ、そういやあ)



恋人として初めて壱哉と過ごした夜のこと・・その数時間前の出来事をふと新は思い出したのだ。



『・・・新、一緒に風呂に入らないか?』





夕飯の片付けを終え、共に居間で寛いでいた新に今夜と同じく壱哉がさりげなく提案したのだった。





『・・・・え?』





壱哉の言葉の意味を理解した途端、呆けたようにまじまじと壱哉を見返した新の頬に朱が差した。





壱哉は辛抱強く新の返答を待ちながら、やはりどこか緊張しているのか不安げな面持ちだった。





もちろん壱哉と一緒に風呂に入るのは初めてではなかったし、すでに一線を越えた仲ではあったが、衝撃のあの夜の出来事を思い起こした新の胸中は複雑なものだった。





初めて壱哉の真実を知り、心が繋がった大切な夜であったと同時に裏切られる悲しみを知った夜でもあったからだ。





(考えてみりゃあ・・あん時から俺達・・・まだ一度も抱き合ってねえんだよなあ・・・)





本性を隠して近づいてきた壱哉の人となりを考えれば、そろそろ壱哉の忍耐が限界に達し、なんらかのリアクションがあってもいい頃合いだったが、新はあえて考えないようにしていたことだった。




―――でもビックリマーク




壱哉の恋人になることを受け入れたのは他でもない新自身の決断だった。


実はあの後、どうしても気になった新は壱哉に尋ねたことがあった。





『・・黒崎さん、もし・・・もしさ、俺が嫌だって言ったら・・・どうしてた?』





あの夜の壱哉自身心の内で善と悪が葛藤していたようだった。どちらに振り切るか壱哉自身あの瞬間までわからなかったに違いない。自分の決断に一切の迷いのない人間などそうはいないだろうからだ。




新自身、壱哉への返答をした時も、それ以降もずっと葛藤はあった。


初めて壱哉という男が垣間見え、希望を見出せたとはいえ本当に信じていいものかどうか不安が消えたわけではなかったからだ。傷つけられた直後だけに尚更だった。


しかし恐怖からくる不信感で壱哉が必死に差し伸べた手をふいにしようとする弱い己を叱咤する強い自分が顔を出した。




―――俺、もっかい黒崎さんのこと・・・信じたい!!




『・・・・・いいよ』





敏感な素肌を刺激する冷たいシャワーに打たれ、抱きしめてくれる壱哉の温もりに必死に縋りつき、力強く脈打つ互いの鼓動を感じながら勇気を振り絞ってたった今自分が下した決断を後悔すまいと誓ったあの時の想いを新がこれからも忘れることはないだろう。




果たしてあの時の決断は間違っていなかったのか・・・ずっと気にかかっていた新の素朴な疑問に、壱哉は一拍の間の後、真摯に答えてくれた。




『・・・・それがお前の決断ならしかたないと思った。罪滅ぼしになるかわからないが、せめてお前の選択は尊重しようと・・』





新に問われた壱哉は、己の仕打ちに傷つき放心状態のまま虚ろな瞳から涙を溢れさせた新を目にした時こみ上げた罪悪感と、焦燥感、そして再び輝きを取り戻した新の大きな双眸を覗き込んだ時に感じた身を震わせるほどの安堵を思い出した。





『・・・・・・・・そっか』





その言葉を聞いた時、新が心から安堵したことは確かだった。





そして言葉通り壱哉は変わった。不慣れなための手さぐり状態ではあったが、こうやって折につけ意思を確かめ尊重してくれるようになった。





それがなんだか妙に嬉しかったから、新は頬を染めたまま真っ直ぐ壱哉の眼を見つめ返しながら、小さく頷きかえした。






『・・・・いいよ。一緒に入ろ?』





応えた瞬間、壱哉の顔に浮かんだ喜びと安堵が入り混じった表情がひどく印象に残った。





チャポーン





本宅の広いバスルームに相応しい大理石の浴槽に並んで浸かりながら、新は久々に

壱哉の前で肌を晒した気恥ずかしさを噛みしめていた。





(・・・・やっぱなんか緊張すんな汗





自宅だからか広い浴槽の縁に両腕をかけ優美に脚を伸ばしゆったりと寛いだ様子の壱哉と比べ、新は肩までしっかりと浸かったまま緊張で身を固くしながら、高級感漂うだだっ広いバスルームに圧倒されていたのだった。





(・・・それにしたって広いよなあ・・・掃除しがいがあるって~か。しかも自動で風呂溜まるって・・・はあ~~絶対床下浸水なんてしねえよなあ)





壱哉から寄せられる熱い秋波に緊張を紛らわせる新の脳裏に、しょっちゅう床下浸水騒ぎを起こして青ざめさせた以前住んでいたアパートの浴室が過った。





(・・・ま、犯人は黒崎さんだったみてえだけど・・・ったく、ぽんぽこぴー・・吉岡さんにまでなにさせてんだか)





壱哉の命ならばどんな無茶ブリでも断れない生真面目な吉岡の顔を思い浮かべた新が一つため息を漏らした時、同じタイミングで隣で寛いでいたはずの壱哉がやはりため息をもらした。


DASH!


『・・・なに?黒崎さん』





胡乱な眼差しを向けると、壱哉が拗ねたように言った。





『・・・・俺を意識してくれるのは嬉しいが、もう少しかまってくれたって・・・』





―――!!





(・・・・子供か!?)





8つも年上のくせして、時折意外なほど幼稚な一面を見せる壱哉に脱力しながら、内心突っ込みを入れた新だったが、考えてみればこんなふうに親密な相手と風呂に入るのは新自身まだ2度目であるだけに壱哉の言い分ももっともなのかもしれないと思い直すと、躊躇いがちに問い返した。





『・・・かまうって・・・たとえば?』





明らかに経験値の違う壱哉の答えを聞くのが怖いのか身構える新の様子を伺った壱哉は、ただじっと新を見つめ返した。





―――黒崎さんはてなマーク





壱哉から注がれる眼差しの優しさに、緊張を解いた新はごく自然に目を閉じていた。


瞼が閉ざされる瞬間、壱哉の顔が近づいてくる気配を感じて鼓動がはねた。




チュッドキドキ




―――あ、俺・・・黒崎さんとキスしてんだキラキラ





そっと重なった唇はどこまでも優しくて、温かくて新の心を解してくれるものだった。





やがて名残惜しげに唇が離れるころには、新の身も心も火照らせていた。それはその後訪れた初めての甘い夜へのプレリュードだった。



(な~~んてこと・・・あったよなあ)



甘酸っぱい追憶に浸っていた新は、背後から海綿でせっせと素肌を流してくれる壱哉へと悪戯な眼差しを向けた。



「・・・新?・・・痛かったか?」



水分をたっぷりと含んだ海綿はくすぐったさこそあっても痛いはずがない。壱哉自身奇跡の生還を果たしたばかりでまだ調子が戻っていないのかもしれない。



壱哉同様、この手に取り戻した幸福を噛みしめていた新は、だから不意打ちを仕掛けることにした。



(黒崎さんが無事戻ってきてくれて・・・俺がどんなに嬉しかったか・・・少しでも伝えてぇからさ・・こんなんじゃ足りねえかもしんねえけどっ・・・・!!)



―――大好きドキドキ



チュッドキドキ



唇が重なった瞬間、恋人からの思いがけないサプライズに動揺した壱哉の手から海綿がポチャンと音を立てて湯の中に落ちたが、新はもちろん壱哉も互いの温もりだけを感じていたので気にすることはなかった。



深く唇が重なり互いの空白を埋めるように貪り合った後、乱れた吐息をこぼしながら唇を離した新は、上気した顔に自信を漲らせたはにかんだ面持ちで壱哉を見やった。



壱哉の顔にも幸せそうな笑みが浮かんでいた。そのことにホッとしながら、これからも喜びも苦しみも分かち合い、共に歩んでいける存在になりたいと思いながら、壱哉の秋の夜空のように柔らかな煌めきを内包した濡れた漆黒の双眸をじっと見つめたまま新は言葉を紡いだ。



「あのさ・・・・俺のこと・・・また選んでくれてありがと。・・・俺、本当に嬉しかった」



ビックリマーク



言葉と共に自然と和む眼差しを見つめながら以前よりもっと壱哉が情緒豊かになったことを新は嬉しく思った。




赤薔薇姫-俺下 俺も大好きだぜ・・・黒崎さん ラブラブ


「黒崎さん、これからもずっと・・・・(だ~い)好きだからなドキドキ



想いを伝えた瞬間、壱哉の双眸が潤むのがわかった。



「・・・・・新・・・・ああ、俺も・・・・・」



――――愛してるドキドキ



(・・・・黒崎さんっ)



新の甘い告白がもたらしたものは、さらに熱のこもった甘い抱擁だった。




めでたしめでたしラブラブ