安堵した顔で眠る小さな肩を抱いた魔王が不埒な手に力を込めた瞬間、新が切ない声で寝言をもらした。
「・・・・黒崎さん」
夢の中では全てのしがらみから解放される。己で定めた制約もしかりだった。ましてや夢の中に魂の一部を通じて取り込まれた新にとっては夢の中のできごとは現実に直結しているに違いなかった。
(この世界のネピリムの仕業か・・・奴め相変わらずくだらぬことをする・・だがまあいい・・・余興としては面白いからな)
もっともこの夢の創造者でもある別次元の自分ほどの力のない新は目覚めた瞬間、取り戻した記憶をまたを失ってしまうのだろうが
――――それでもお前は俺を呼ぶのか!
無意識の新の呼びかけは、魔王の邪な心を留めるのに充分な威力を発するものだった。
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(俺はなにをやってるんだ!!・・・同じ過ちを犯すなんて絶対にあってはならないのにっ)
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静かな顔で己の境遇を受け入れながら美しい涙を流した新を目にした瞬間、感じた後味の悪さを忘れることなどできるはずもなく、もう二度と従魔を作らないと己の心と彼に立てた誓いを破ったことはなかった。
そもそも魔王となってしまった今の自分に、このいとけない笑顔を壊さずに守ることなどできるはずもないことだった。
――――それに、俺にはアイツがいてくれる!!
従魔になった後、葛藤を乗り越え傍にいると誓ってくれた大切な少年の姿が脳裏を過った。
闘争にあけくれ、世界中を飛び回る中においてさえ常に途切れることのない絆を感じる彼の愛しい猫は、使い魔となった三匹を連れ現在里帰りの真っ最中だった。
正直なところ、想い人の突然の出奔は魔王の心を充分にかき乱すものだったが、抱き合うたびに己の眼差しに潜む隠しきれない贖罪の重さが息苦しかったのかもしれないと思えば責めることは躊躇われた。
それでも追わずにはいられなくて、縋るような想いで彼の前に立ち、その瞳を覗き込んだとき魔王の揺らぎは凪ぎ再び穏やかさを取り戻すことができたのだ。
利発そうな彼の大きな瞳のどこにも裏切りの気配はなく、不安と寂しさと魔王への溢れる想いに揺れていたからだ。そして視線を交わした時魔王を歓喜させたものが、互いの瞳に浮かぶ温かな感情であったことは確かだった。
―――こんな俺を許してくれて、一心同体の存在になりたいと言ってくれたお前を、俺は・・・
愛など語れる身分ではとうになくなったが、それでも残された人の心で真実愛を感じるただ一人の少年を想わずにはいられなかった。
『俺、一日一善って決めたからさ、できたら黒崎さんにもやって欲しいんだけどなあ・・・』
―――魔王の俺が、一日一善・・・だと?
可愛い顔でおねだりした新の決意に苦笑しながらも、なんとなく心の片隅にありながらも魔王としての立場上、なかなか実現できずにいたのだった。
まさにそんな矢先のできごとだった。強敵を打ち負かしたものの魔力を大幅に消耗してしまったこともあり、束の間の安らぎを求めて恋人に会うために先を急いでいた魔王がその気配を追いワームホールを出ると、思わぬ場所に辿りついたのである。
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それはなんだか無性に記憶を喚起する満員電車の車内だった。
(ふっ・・・あの時の新のあの顔・・懐かしいな)
頬を緩ませながらも、なぜこんな場所に出たのかわけもわからず戸惑っていた魔王の目線の先に懐かしい後姿が飛び込んできたのはすぐのことだった。
―――新!?
従魔ではない新の姿を目にした瞬間、彼はなぜこの場所に引き寄せられたのか理解した。魔力を使い立ち位置を調節して無防備な新の背後へと近づいた彼の心に溢れた感情はとても一言では言い表せなかった。
その小さな体は触れることを躊躇うほどに黒崎壱哉への純粋な愛情に満ち溢れていたからだ。
そして腕の中に抱きとめたこの少年の『大切なもの』が仕舞い込まれた記憶の扉を解放できる、もう一人の自分に魔王は思い馳せた。
(俺と違い、己の弱さを認める勇気を持てたお前なら、きっともう一度奇跡を起こせるはずだ!・・だが、もし愛を裏切りコイツを泣かせるなら今度は俺が相手だ!)
――――その時は容赦しないぞ、黒崎壱哉!!
光の加減で紫色に怪しく煌めく双眸に決意を漲らせた魔王だったが、今度は一転して目じりを下げ口元をほころばせると温かな少年の頬をそっと撫で下ろしながら改めて誓った。
―――俺はもうお前から何一つ奪うことはできない!
愛ゆえにこみ上げる悔恨の念に耐え、抱きしめた腕の中で眠る少年から放出されるエナジーが荒んだ己の心を温かく満たすのを感じた魔王は満足そうな深い溜息をもらした。
―――いいか、黒崎さん!一日一善だぜ?
余裕を取り戻した魔王の脳裏に健気な従魔の声が響き渡った。
―――ああ、そうだったな・・・どれ
約束を思い出した魔王は充電させてくれた礼とばかりに、抱きしめた少年の額に手をかざし暑気あたりで疲弊した心身を癒してやると、そっと穏やかな笑みを浮かべた。
―――これでいいか?新
『え、次は××駅~』
車内に停車駅を告げるアナウンスが鳴り響き、魔王の姿が真の恋人の気配を追うように忽然と車内から姿が掻き消えた瞬間、うたた寝をしていた新は目を覚ました。
「・・・・・ん?」
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電車が停車する振動でよろけながらもすばやく体制を立て直した新は、周囲の乗客に寝顔を見られてしまった一抹の気恥ずかしさを覚えながらも、照れた面持ちで開いたドアからそそくさと下りると、仮眠で思いの外疲れがとれたことに満足しながら深呼吸を一つもらすと小さく気合いを入れた。
「やっぱ外はあっちぃ~なあ。・・・よしっ!今日も頑張ろうっと」
(・・・あ、そういやあ・・・さっきの夢)
雑踏に押されるように出口へと向かいながら、たった今見たばかりの夢の相手が壱哉だったことを思い出した新は頬を火照らせると、夢うつつの中で冷えた素肌に感じた体温の心地よさになんだか鮮烈な既視感を覚え戸惑うことになったのだった。
おしまい
