一方、現実世界では突然倒れ昏睡状態に陥った壱哉を心配する人々が病室にて一堂に会し、眠る壱哉をベッドの傍らから見守っていた。
その面々はというと、壱哉の恋人である新をはじめ、家族であり腹心でもある秘書の吉岡、そして真打登場とばかりに友の一大事に駆け付けた樋口の姿もあった。
遡ること数時間前、身体的にはどこも異常はないはずなのに眠り続ける壱哉の様子からネピリムの仕業ではと看破した吉岡の指摘に、心当たりのあった新はかつて我が身と壱哉の身に起きた奇跡がもう一度起こりはしないかと万感の想いを込めながら、意識の戻らない壱哉の握りしめた温かな手に涙に濡れた頬を寄せ枕辺に跪いていたのだった。
しかしそこへ吉岡からの伝言を聞き、はせ参じた樋口の登場により場の空気が一変することとなった。
壱哉が友と認めた樋口に対し礼節を重んじて友好的に振る舞いながらも、内心穏やかではない吉岡と、その登場が壱哉への想いの発露からだと知るゆえに劣等感や嫉妬心を感じる新ではあったが同じ男を愛する者同士、想いは等しく価値があるのだと葛藤を乗り越えた紳士協定が結ばれたのだった。
倒れてから7時間、時刻はまもなく零時になろうという頃合いだった、憔悴を浮かべた三人がいよいよ激しくなる眼球運動を繰り返す壱哉の寝顔を見守る中、張りつめた空気を破るように昏睡状態だった壱哉が突然、なんの前触れもなく声を発したのだ。
一同の顔に緊張が走る中、壱哉のもっとも近くで寄り添い一言ももらすまいと身を乗り出し耳をそばだてていた新の耳に、そのすかな囁き声は届いたのだった。
「・・・・あ・・ら・・た」
「・・・黒崎さん?・・今、確かに黒崎さんが俺んこと呼んでくれたっ」
壱哉の吐息は他の二人には聞こえなかったものの、昏睡状態だった壱哉の初めての反応に、三者三様の感動が伺えたのだった。
壱哉の手を必死に両手で包み込み慕うように名を呼びながら、最愛の者が見舞われた不条理な悪魔の罠に憤り、喪失への不安は尽きず、恐怖に震える己の弱さに挫けそうになりながらも、それでも気丈に振る舞い壱哉への信頼と愛情を損なわずに最後には想いが報われた新。
とうの昔に失恋を悟り、友の無事を心から喜びながらも、かつて慕った男が他者を無意識下で求めたことに感じた僅かばかりの落胆や葛藤を飲み込み、それでも壱哉の望む良き友であろうとする樋口。
そして壱哉自身の強運と生還を一瞬たりとも疑うこともなく、黙して待ち続けた吉岡の顔にやっと浮かんだ安堵の笑み。
「・・・ほら、清水君、呪いを解くのは愛する人の口づけだよ?」
「清水さん、壱哉様をお願いします」
樋口と吉岡に促された新は静かに頷きかえすと見守る二人の視線を背中に感じながら、それでも迷うことなく先ほど自分の名を呼んでくれた壱哉の熱い唇に思いのたけを込めそっと口づけたのだった。
(戻ってこいよっ黒崎さん!・・)
――――俺の大好きな人!
チュッ
新の壱哉への溢れる想いが重なった温かな唇を通じて、力を出し切り四肢を投げ出したまま渦を巻く深淵の淵へと浮かんでいた壱哉の魂へと、力漲る生命の息吹を注ぎ込んだ。
ふっと唇が離れた瞬間虚空の世界で意識を取り戻し、間近に迫り触手を伸ばす闇の鞭を危機一髪でかわした壱哉の急速に浮上する意識と共に見開いた眼前に見えたのは、光輝をまとった最愛の者の姿だった。
★新の名を呼ぶ
―――こっちだぜ、黒崎さん
「・・・新?・・・待ってくれ」
新へと手を差し伸べた瞬間、深い眠りから目覚めた壱哉の目に映ったのは、病室を背に枕元で泣き笑いの表情を浮かべた新の姿だった。
幻ではないことを確かめようと空いた手で新の柔らかく温かな濡れた頬を撫でると、涙で指先が濡れてしまい、壱哉を困惑させた。
―――新、泣いているのか?
慰めようと咄嗟に伸ばした手を新の手がしっかりと包みこみ、握り返してくれた。
その掌の確かな温もりと感触に、壱哉の目が安逸にすがめられた。
「・・・お帰り、黒崎さん」
新に迎えられた瞬間、解放感に魅了されたかのように肉体から離れようとしていた壱哉の魂は完全に肉体の中に納まり、二つの世界の記憶は完全に同調したのだった。
「ずっとお前の夢を見ていた気がする・・もう一度こうしてお前に会えて良かった・・・新」
「・・・・うん、俺もわかる気がする」
不思議なことに壱哉を見つめる新自身もう一つの世界での出来事が矛盾なく夢をみたあとの名残のようにその温かな胸の内に残されたていたのだ。