「・・君も知ってのとおり、俺は商店街で花屋をやってるんだけどさ・・昔、そうだなあ・・もう10年も前になるけど俺が黒崎と出会ったころはまだうちの親父も元気でさ、自分ちで薔薇の栽培をしてたんだよね」
壱哉の名にピクリと反応したものの、それがあの場所とどうつながるのかまったくわからず困惑する新に樋口はどこか追憶にふけるように続けた。
「・・薔薇の栽培って考えてる以上に大変でさ。ましてや新種の開発なんて知識だけじゃなくて技術も経験もいるし・・・もちろんお金だっていっぱいかかるし、栽培に適した土壌も不可欠なんだ。・・努力が必ずしも実を結ぶわけじゃないしね・・運もいる。・・だけど二年前に親父が死んだ時、俺はその全てを受け継ぐことができなかったんだ」
!
父の死を告げた時だけ、ハッとしたように顔を上げた新の様子を気にかけながら、樋口は自虐的に言った。
「・・・そうやって手放してしまった土地に、今やモールが建とうとしてるって思ったらさ・・・親父の遺志を守れなかった自分が情けなくてね」
!!
ここにきて新にも樋口と壱哉の微妙な関係性が見えた気がした。
なぜなら樋口が未練を残す土地の所有権は壱哉、無論個人の所有ではなく※黒崎グループの所有なのであろうが・・にあるということだからだ。
「・・・黒崎さんは・・そのこと・・知ってんのか?」
壱哉がどういうつもりなのか確かめたくて、思わず尋ねた新に樋口はゆっくりと頷きかえした。
「・・・知ってるだろうね」
昼間会った時の壱哉の反応を思い返しながら頷く樋口に対し、半ば予測していたもののあっさりと樋口に肯定された新の顔に動揺が走った。
「・・俺は知らなかったんだ・・あいつも何も言わなかったし。・・でもさ、昼間・・君の話を聞いて黒崎が関係者なんだってわかったんだ」
!!
突然の樋口の登場に動揺して、壱哉を取られてしまう予感に怯えていつになくむきになってしまった自覚はあった。
樋口に壱哉との微妙な関係を説明しながら、あまりの接点の弱さに情けなくなり言わなくて良いことも口走ってしまった気がしていた。けれど、なにげなく言ったその一言が、二人の友情を壊してしまったのだとしたら
・・と後悔する新を安堵させるように樋口が微笑んだ。
「・・・いいんだ。君が悪いわけじゃないからさ・・気にしなくていいよ。もちろん、黒崎が悪いわけでもない」
「・・・樋口さん・・・でもっ」
なんとなく納得できなくて、けれどかける言葉を思いつかなくて混乱する新に樋口は落ち着いた眼差しで言った。
「・・・確かに、あの場所を手放した直後だったら気持ちの整理がつかなくて、もしかしたら黒崎に八つ当たりしたかったかもしれない。・・俺もそこまで人間できてないからね。・・でも黒崎はたとえ友達でも公私混同はしない奴だと思うんだ。むしろ『そんな甘えたことぬかすな』って一括したんじゃないかな」
樋口の語る冷徹な壱哉像は新には想像もつかなかったが、職場の先輩から聞いた壱哉像とは重なるものであり、肯定も否定もできなかった。
「・・・そんな、黒崎さんが・・そんなことっ」
それでもやはり優しい壱哉を否定されるのは悔しくて、いまだ動揺がおさまらない新を優しく見つめながら樋口は口を開いた。
「・・・信じられない?・・でもさ、君はそれでいいと思うんだ。だってさ、黒崎も君には酷い奴だって思われたくないんじゃないかなあ。・・なんかさ、昼間仲良くお弁当を食べてる君と黒崎見てたら、そう感じたんだ」
「・・・・」
二面性は予感していたものの、知らなかった壱哉の一面をまた一つ知り、衝撃を受けて黙り込む新に樋口が内緒話をするように言った。
「・・・それにさ・・黒崎はビジネスにはシビアなヤツだけど、優しいところもあるんだって俺もそう思う。」
「・・・ほんとに?」
頷きかえす樋口の笑顔を見つめながら、新は自分の知る『ぽんぽこぴー』で優しい壱哉の姿を思い浮かべた。
「・・実は俺、中学の時さ、孤高の黒崎少年に憧れてたんだ。・・・でもたんなるクラスメイトでそれ以上でもそれ以下でもなくてさあ。だからなんとかしてお近づきになりたいって思っても、声かけるきっかけがつかめなくって・・恥ずかしながら恋する乙女みたく悶々としてたんだ・・情けないだろう?」
「・・・え?」
わざわざ壱哉から会いに行ったのだからてっきり二人は親友だったのだろう、と思い込んでいた新は驚いたように樋口をみつめた。
「・・・だけどさ、ある雨の日に待ちに待ったチャンスがやってきた。・・捨てられた仔犬拾った黒崎と出会ったんだ。・・・飼うことはできないけど放ってはおけなかったんだろうね」
樋口の言葉を聞いた新はなんとなくその仔犬と自分の姿が重なってしまい複雑な心地がした。
「・・さっきも言ったけど俺んちは花屋だったからさ、『犬飼うなんてダメだーって』家族の反対は目に見えてたんだけど・・・仔犬抱きしめて途方に暮れてる黒崎見てたら、なんか力になってやりたかったっていうか・・まあ今思えば憧れの子の気を引きたかっただけかもしれないけど、『俺んちで飼ってやる!』って申し出ちゃったんだよなあ」
『新!?・・・どこ行ってたんだ?・・・探したぞ?』
新の脳裏に河原で垣間見た、まるで迷子のように途方に暮れた様子で佇む壱哉の姿が浮かんだ。
あの時は壱哉の剣幕に驚かされたが、自分の手を握り返した壱哉の手の温もりを思い返した新は不安な心が凪いでいくのを感じた。
大人の壱哉に甘えられるたびに、ムッとしながらもその実、必要とされているのだと実感できて嬉しかったことも・・。
※作中に出てくる団体名は架空のものです!