六日目/朝
トントントントントンッ
「・・・・・ん?・・・」
リズミカルに包丁を繰る音と鼻腔をくすぐるスパイシーな香りに誘われ、うっすらと目を開いた壱哉の視界に映り込んだのはいつもと変わらない朝の光景だった。
!
ゴソゴソと億劫そうに布団の中で身を起こした壱哉は寝ぼけ眼のまま愛しい者の姿を追った。
「ふんふんふ~ん」
なんとなく聞き覚えのある曲を機嫌よく鼻歌で歌いながら、新はかいがいしくキッチンで立ち働いているようだった。
(・・・この香り・・・ああ、そうか・・)
食欲をそそる香りをききながら壱哉はひとりごちた。
「・・・カレーか」
(・・・そういえば前回は俺がキッチンを焦がしたせいで食べ損ねたんだったな・・新のやつ、覚えていたのか)
健気な新の姿をぼんやりと見ていると、フタを手にグツグツと煮えている鍋を覗き込みながらおたまでかき混ぜているようだった。
「・・・よしっと。できたかな~・・・あ、そうだ・・今朝はゴミの日だったな・・出してこよっと」
ひとりごちた新は、火を消し止めると忙しない動作でまとめてあったゴミ袋を手にバタバタと玄関から外へ飛び出して行った。
一人暮らしの習性か、感心なことにきっちりと戸締りする音を聞きながら見送った壱哉が習慣に従い腕時計を確認すると、そろそろ朝食の時間だった。
(目も覚めてしまったことだし・・しかたないさっさと起きるか)
昨夜の新の寂しそうな様子が気にかかっていたのと、なんとなくもう僅かしか時間が残されていないかのような焦燥感にかられたからだった。
起きて身支度をしていると、ゴミ出しに行っていた新が戻ってきた。
「おはよう、新」
声をかけると新は笑顔で挨拶を返してくれた。
「お、今朝は起こされなくても起きれたじゃん・・・いっつもこうだったらいいんだけどさあ・・」
手を洗いながらからかうように言う、新の顔からは昨夜見た陰りは消えていて、ひとまず安心した壱哉も機嫌よく軽口で返した。
「俺としてはお前に起こしてもらう方が、朝の目覚めが格段にいいんだがな」
すると新は呆れたようにムッと口を引き結んだ。
「甘えんなっての・・起きたなら、メシにしよう?・・・今朝はカレーだぜ?」
すでに部屋中に充満した香りでわかってはいたが、やはり期待は否応なく高まった。
「それは楽しみだ。・・・けど、弁当作りも同時じゃ・・大変だな。・・やっぱり新はすごいな」(+300,000)
ゆで卵すら満足に作れない壱哉からすれば、まさに神業に等しい所業に思えた。
すると新は満更でもない様子で言った。
「慣れだって、…と言っても今日は特別。まだ確定じゃないけどさ、もしかしたら今夜はいつもより遅くなるかもしれないし・・・だから朝のうちに夕飯作っておこうと思ってさ。いいだろ?朝晩カレーでもさ?」
(・・・そう言えば・・一人だと食べきれないからなかなか作れないと言っていたんだったな)
以前、新が言っていた言葉を思い返しながら壱哉はあっさりと頷きかえした。
「ああ、俺は別にかまわない」
「ん、じゃあ食べよ?」
準備は新に任せて大人しく先に席について待っていると、すぐに出来立てのカレーライスとみず菜と大根の和風サラダが運ばれてきた。
「じゃあ、いただきま~す」
並んで挨拶を交わした壱哉は、さっそく待ちに待ったカレーをひと匙食べてみた。
(・・・ビーフカレーなのか。・・・マイルドで素朴な味だな。・・・なんというか新の人柄がにじみ出ているような俺好みの味わい深いカレーだ)
高級なものは何一つ入ってはいなかったが、これまで食べたカレーの中で一番の味だと壱哉は思った。
「ど?・・黒崎さん」
なんとなく期待感をにじませながら問う新に、壱哉は満足そうに答えてやった。
「ああ・・・美味い。辛さもちょうどいい・・これなら何杯でもいけそうだ」(+300,000)
食にエネルギーを費やす方ではなかったが、新がわざわざ早起きして自分のために作ってくれたものだと思うと、やはりもう少し味わいたいと思ってしまうのは自然なことだった。
「早起きして作ったかいあったぜ・・まだいっぱいあるからさ、よかったら食べてよ。・・・俺もたまにはおかわりしよっかなあ」
珍しく新も普段に比べ食が進んでいるようで、より壱哉を安堵させた。
結局二皿ずつ完食した後、朝食はお開きとなった。
手際よく食後の片付けを終え、バイトに行く身支度をすっかり整えた新は、何か期待したような面持ちで壱哉を振り返った。
「じゃあ俺バイト行くからさ・・・昼に公園でな?」
――昼?
さて、なんて応えたものかな
★弁当を楽しみにしてる(+300,000)
もちろん新と交わした『大切な約束』を壱哉が忘れるはずもなく、淀みなく答えてやると新はホッとしたように頷いた。
「ん、・・・じゃ、行ってきますっ」
元気よく出かけた新を見送った壱哉は、幸せなカレーの香りと共に部屋に残された。