苛立ち、キョロキョロと周囲を警戒する内に靄のせいですっかり方向感覚を見失ってしまった時だ、突然背後から聞き覚えのあるのんびりとした声に呼びとめられたのは。



「あれ?・・・黒崎?」(+1000,000)






気づいたら振り向いた先に前回同様ラフな姿の樋口が佇んでいた。さすがに休日なためかトレードマークのエプロン姿ではなかったが。



「樋口!ちょうど良かった、お前を探していたんだ。・・・せっかく再会したことだし久しぶりに旧交でも温めようかとでも思ってな」



ついこの間そっけなくしたばかりの相手に、そんな歯の浮いたセリフをいうのも気が引けたが、案の定樋口も驚いたように瞠目したもののすぐに苦笑顔で頷いてくれた。



「相変わらず気まぐれだなあ黒崎は。・・でも俺も久しぶりにお前と話したかったし・・・よろこんで」



とりあえず樋口の了解が得られホッと胸を撫で下ろした途端、壱哉の腹が再び催促するように凶悪な音を発した。



~~~きゅるるっ



!!



すると耳ざとく聞きつけた樋口が我慢できない様子で肩を震わせながら噴出した。



ブッ・・くくくっ・・・やっぱいいなあ、黒崎って・・お前そんなだったっけ?しばらく会わないうちにまた(・・)面白くなったんじゃないのか?」



!!



再会してからというもの、樋口には笑われてばかりなことになんとなく腑に落ちないものを感じながら、微かに頬を染めながら憮然とした面持ちで壱哉は言った。



「『また』とはなんだっ・・・失敬だな」



しかし元来おおらかな樋口は悪びれた様子もなく肩を竦めると、気を取り直したかのように言った。



「いいって。・・腹が減ってるんだろう?・・・ちょうどよかった、俺もこれから昼飯なんだ。付き合えよ黒崎、俺のオゴり」






「・・・付き合ってやろうか」



『奢り』という言葉に心惹かれたわけでは断じてなかったが、予定通りの展開に満足しながら壱哉はとりあえず樋口についていくことにしたのであった。





樋口に案内されたのは商店街の一角にあるこぢんまりとした和食屋だった。

長身ならではの苦労で頭を僅かに傾け窮屈そうに暖簾と引き戸をくぐりぬけると、威勢の良い店員の声と共に心落ち着く出汁と醤油の入り混じった匂いに出迎えられた。



店内は手狭だったが、想像していたよりも掃除も行き届いており、カウンター席と窓際に面したテーブル席があり数人の客の姿があった。客の寛いでいる様子からもおそらく常連なのだろう。



先に店内に入った樋口は愛想の良い大将と慣れ親しんだ様子で挨拶を交わすと壱哉の意向を伺うかのように尋ねた。



「黒崎どうする?・・俺はいつも一人の時はカウンターなんだけど・・」



半ば答えを予測しながら問う樋口に案の上、壱哉はぼそりと「テーブル」と答えたのだった。



(やっぱ・・相変わらず人見知りなんだなあ・・黒崎って。俗に言うところの『ツンデレ』だったのかと思うと笑える)



これ以上噴出して、ますますご機嫌斜めになられては対処に困るので、賢明にも樋口は口を閉ざした。



混雑していないためか希望通りに窓際の席に落ち着いた途端、樋口は常連ぶりを発揮してメニューも見ずに定番の『豚カツ御膳』を選ぶと、真剣な面持ちでメニューを睨みつけながら考え込む壱哉の様子を伺った。



「俺はもう決めてあるんだ。・・・黒崎はなんにする?」



同い年のくせにどこか面白がるような保護者面した樋口をジロリと睨んだ黒崎は、意趣返しとばかりに樋口の頼んだ『豚カツ御膳』より値の張る『和食御膳』を選ぶと不敵な笑みで言った。



「確か、お前の奢り・・だったな?」



樋口の笑顔がいささか引き攣ったのに溜飲を下げると壱哉は、澄まし顔で店員の運んできた焙じ茶で喉を潤したのだった。



(やっぱりコイツ『ツンデレ属性』決定~~)



と、樋口がいささかマニアックな感覚で内心絶叫したのは言うまでもない。



やがて料理が運ばれてきて、待ちかねたように壱哉は箸をつけた。


別にさほどの味ではなかったが、どうせ樋口の奢りだからと不謹慎なことを考えながら壱哉は目の前で美味そうに豚カツを頬張る樋口を見やった。


・・とくに油でてかてかと艶やめく形の良い張りのある唇をさりげなく観察しながら己の内を探ったが、期待したような興奮はやはり訪れなかった。


新と僅かばかりでも触れ合えたことで飛躍的に心が満たされたせいだろうか。



(ホッとするべきなんだろうな)



今更樋口を欲望の対象にするつもりはなかった。以前はともかく今、彼に感じるのは少々の罪悪感と穏やかな友情だけだ。


忘れたい過去を知る樋口を友人として迎え入れることができたのは、少なからず自分が新と出会ったことで成長できたからなのだと思う。


そんな壱哉の気も知らず、未だ樋口はセピア色の追憶に浸っているようだった。



(・・・まったく面倒な奴だ)



現実世界の樋口相手に乗り越えたことをまたここでも繰り返さねばならないのだとすると、些か手間に思えるのは致し方ないことだった。



「・・・樋口、・・・・太るぞ」



だからメインのトンカツはもちろんのこと、大盛りのご飯に特盛の千切りキャベツやみそ汁に至るまでペロリと完食した樋口に嫌味を言うくらいの意趣返しは許されるはずだと思った。



「大丈夫だって・・・花屋は一応肉体労働だからな。・・ってそういうお前は残すなよ~人のオゴりだと思って汗



呑気な顔で呆れかえる樋口を鼻で笑い茶を啜っていると、常連へのサービスのためか、カウンターの中にいた大将が出てきて自ら冷えた茶を振る舞ってくれた。