やがて狭い室内に香ばしい食欲をそそる香りが立ち込め、夕飯の時間になった。



「いただきます」



揃って挨拶を交わし、壱哉は不揃いの食器に盛られた料理をまじまじと見つめた。



「ほう?・・・今夜はウナギか・・・美味そうだな」



ウナ丼にすったとろろ、ワカメのすまし汁に漬物のたくあん

食卓に並べられた料理を眺める壱哉に、新が得意げに言った。



「へへ・・今夜はちょっと奮発してみたんだ。実をいうと・・・特売品なんだけどさ・・・料理酒をふってコンロで温めなおせば結構いけるんだぜ?」



生まれてこの方国産天然ウナギしか口にしたことのない壱哉には、安価なウナギを口にするのは初めての経験だった。美味そうにウナギを食す新の姿を励みに、壱哉は恐る恐る口に運んだ。



「・・・価格破壊だな。・・・だが、なかなか美味い」(+100,000)



新の告げた価格に驚きを隠せなかったが、味が金額に比例するものではあれ新の気持ちは嬉しく壱哉に文句のあるはずもなかった。



(しかし・・・それにしても)



壱哉は食卓に並んだ料理を見て、内心嘆息した。



(ウナ丼にとろろか・・確かに夏バテには効果的だが・・俺に精をつけてどうする気だ・・・新?)



壱哉の思惑も知らず、すっかり旺盛な食欲を取り戻した新は丼に残った飯を掻き込むと満足そうにため息をついた。



「ふう~ごちそうさん」



先に食事を終え食後の麦茶を飲みながら、文句も言わずにゆっくりと自分の手料理を食べる壱哉の姿をチラリと見やった新は、改めて壱哉がそこにいる状況に喜びを感じていることに気づき、胸の内に温かなものが満ちるのが自分でもわかった。



「・・・なんだ?」



視線を感じたのか、壱哉が箸を止めこちらを見た。



「ううん、なんでもない。・・そういえば、今日仕事は?」



新としては着の身着のまま自分の部屋に転がり込んできた壱哉が一日をどう過ごしていたのか気になっていたのだ。



すると、壱哉はどこか重そうな口調で口を開いた。



「いや、・・・俺は今休暇中だ」



壱哉は吉岡と電話で取り決めたことを思い出しながら慎重に言った。これが現実ではなく仮想空間である以上、現実的な心配を持ち込むのは詮無きことだった。



壱哉は先ほど体験したことを思い返し、微かに眉をしかめた。

実は、強烈な訪問販売員が立ち去った後、後を追うべくアパートを出たのだが・・・



!!



(なんだこれは!?・・・見えない壁でもあるというのか!?)(-300,000)



階段を下り、最初に降り立ったゴミ置き場まではなんとか辿りつけたものの、その先・・・アパートを中心とした四方を囲むように透明な障壁があり先に進むことができなかったのだ。靄がかかったように壁の向こうは見えず指で辛うじて触れることはできたが、強引に破ろうとすると警告音と共に静電気のような軽い衝撃が走り弾き返されてしまった。



その不快な体験を思い起こしながら、壱哉は新に言った。



「・・・・もともとここは俺の故郷なんでな、休暇を利用してしばらく滞在する予定だ。・・・新にはすっかり世話になってしまって申しわけないが」



自分でも苦しい説明だと思ったが、新は納得してくれたようだった。それどころか同郷だということに興味をもったのか、好奇心に大きな瞳を輝かせながら身を乗り出してきた。



「へえ?黒崎さんってこっちの人だったんだ?なんか意外だぜ・・・だって垢抜けてるしさ?」



実質壱哉がこの土地で暮らしたのは中学時代までの15年間だった。この地、なによりも父親の影響下から逃れるように高校も大学も、たびたび海外に留学して過ごし、社会人になってからは東京に居を移したこともあり、まさに10年ぶりに故郷の地を踏んだのである。



(久しぶりの帰郷で俺は感傷的になっていた。・・・そこで新・・お前に出会ったんだ)



「じゃあ・・・実家もこっちにあんだ?」






何気ない新の問いかけに壱哉は一瞬言葉を失ったが、すぐに気を取り直すと答えてやった。今自分の身に起きてる信じがたい体験は別にして新に隠し事をしたくなかったし、自分の身の上話をすることで新の反応をみたかったからだ。



「いや・・・実家はもうない。父とは絶縁状態だし、母はすでに故人だ」



告げた途端、新は複雑な面持ちで躊躇いがちに頷いた。



「・・・そっか、どこも大変なんだな。でもさ・・・いつか親父さんと仲直りできればいいな?」






反発を感じなかったといえば嘘になるし、新以外の別の誰かの言葉だったらきっと聞き流せなかった一言だった。


しかし、そう言った新の寂しそうな顔を見たら、壱哉はただ頷くことしかできなかった。



「・・・ああ、そうだな」



お互い親の話はアキレス腱のようだった。食事を終えた壱哉は、しんみりした場の空気を消し去るように告げた。



「・・ごちそうさま、今夜も美味かった」



言葉通り食器は全て空になっていて新は、嬉しそうに頷き返したのだった。