気を取り直した壱哉は、再び周囲の様子を慎重に伺いながら歩き始めた。
やがて阻むように立ち込めていた霧が晴れ、少しずつ周囲の様子がわかるようになった途端、壱哉は見覚えのある風景に愕然とすることとなったのだった。
「ここはっ!?・・・・もしかして・・そうなのか?」
来たのは一度きりだったが、間違いなかった。
それは今の壱哉にとって最愛の存在、『清水新』がかつて住んでいた場所、
記憶を辿るように、確かめるように進む壱哉の前に現れたのは心細く感じるほど頼りなく薄暗い街灯の明かりに浮かび上がった古びたアパートだった。
「・・・×××アパート。やはりここは・・・まさか・・ここに新がいるというのか!?」
恋人になった後、新は2年間住んでいたここを引き払い、東京にある壱哉の本宅で共に暮らし始めたのだが、親身になってくれていた大家とは未だ懇意にしており、四季折々の便りを交わしているようだった。
築30年の歴史を感じさせるとでも言おうか・・長年風雨にさらされ薄汚れたアパートを見上げため息をついた壱哉は、覚悟を決めるとぎしぎしと嫌な音を立てて軋む金属製の外階段を一歩一歩確かめるかのように上った。
「・・・確か、ここだな」
狭い外廊下に面したすりガラス越しに中から人の気配がしていて、換気口からは食欲をそそる香りが漂っていたが、今一度確認のために顔を上げ表札を確認した壱哉の目にその名前は飛び込んできた。
――清水新
ドクン・・ドクン・・ドクン
そこに当たり前のように新の名前を発見した壱哉は心臓が早鐘を打つのを感じた。
反射的に呼び鈴に伸ばした指が、まるで躊躇するかのように寸止まり壱哉は自分が迷っているのだと感じた。
疑念が確証に変わり薄い扉を隔てた向う側に最愛のものがいるというのに何を迷うというのか・・・
しかし壱哉は自分が何を恐れているのか気づいてしまったのだ。
・・・・暑い
まるで蒸し風呂の中に放り込まれでもしたかのような蒸し暑さから今や周囲の状況が疑いようもなく、この場所が『夏』であることを指示していた。
しかし壱哉が新と出会ったのは、確かに薔薇の咲き誇る季節だった。
ここがネピリムの作った世界である以上、この扉の向こうに新が居たとしても自分のよく知る新とは別人かもしれず、連鎖的に最悪な出会いを思い出すに至って、躊躇を感じてしまったのは当然かもしれなかった。
今でも時々ふと思うことがあった。壱哉にとって新との出会いは奇跡に近いものであったが、果たして新にとって自分との出会いが良かったのかどうかと・・・そんな自虐的な思いがあった。
(もし・・俺に出会いさえしなければ・・あいつにはもっと違う人生があったかもしれない)
さて、どうするかな
★俺には新が必要だ(+1,000,000)
ほんの僅かな躊躇いの後、壱哉は迷いを吹っ切るかのように勢いよく呼び鈴を押した。
「・・・・ん・・誰か来たのか?こんな時間に誰だよ・・・は~い・・」
すると中で慌ただしい気配がしたかと思うと、ガチャリとドアが開き住人である新が顔を覗かせた。