桐野サイド
司君を食事に誘ったのは・・時間稼ぎだった。恋人としての勤めを果たそうと決めたはずなのに・・私はまだ迷っていた。二股など珍しくもないことだったが、今回はこれまでの遊びとは事情が違った。仮にも司君は私の正式な恋人であるし、不実な私はそんな司君を心で裏切り、私が捨てた少年Aを想っていた。
どちらを選んでも誰かを傷つけてしまうだろう・・。私も司君も・・そしてこんなどうしようもない私に一方的に想いを寄せられた少年Aも・・・そう思うといくら私が恥知らずでもやはり心苦しかった。そもそも真剣な恋愛を成就させようと言うのならば、上手く立ち回ろうなどという打算や体面を優先するのが間違っているのだろうが・・・私は卑怯で臆病な男だった。なんの非も無い司君との仲をきっぱりと清算して、受け入れてくれる可能性が限りなく低い・・私が金でその身を抱き貶めた少年Aの元へはせ参じる覚悟が私にはなかった。
こうして食事をしている間にも司君が臆して、やはり今日はやめようと言ってくれないものか・・・そんな甘い期待を抱いている。
私は向かい合った席で静かに食事を摂る司君の様子を伺った。彼もまたどことなく浮かない顔で、私同様暗い顔をしていた。少なくとも今夜、これから恋人に抱かれる顔ではないな・・と思いながら、私は密かに溜息をついた。
「・・・桐野さん・・?」
そう言えば二人きりの時は「逸樹さん」と名前で呼んでいてくれたのに・・また他人行儀な呼び名に戻ってしまったことが、私達の間に生じた距離を知らしめていた。司君のことだから決して計算などではなく、恐らく私の余所余所しい態度が無意識に彼にそう言わしめているのだろうが・・・
そう全ては私が自分で蒔いた種だった。自縄自縛とでも言おうか・・・
店でも話題が出たほど巷で話題の美味しいと評判のレストランだと言うのに、味など全くわかるはずもなく綺麗に皿に盛られた料理をただ機械的に口に運ぶうちにメインディッシュが済み、食後のコーヒーとデザートが運ばれてきた。
コーヒーの芳ばしい香りが鼻孔を刺激して、私は再び追憶へと思い馳せた。
『・・・美味しいです』
微笑んで、美味しそうに私のいれたコーヒーを飲んでくれた少年Aの笑顔。
私に組み敷かれ小さな身体を羞恥で染め上げ、華奢な肩を震わせながら屈辱の涙を浮かべたその泣き顔・・
その全てが愛しく感じられて・・たまらなかった。
――いけない!!
先程から呼ばれていたのに、応じない私に対し不審げにこちらを見ている司君の責めるような眼差しに気づいた私は、取り繕うような笑みを顔に貼り付けた。
「・・すみません、酔ってしまったのかもしれません。・・ちょっと顔を洗ってきます」
二人でハーフボトル開けたくらいで酔うはずもなかったが、私は司君の返事も聞かずに、席をサッと立つとレストルームへと逃げ込んだ。さすがに一流レストランだけに隅々まで清掃が行き届いているレストルームには、幸い誰の姿もなかった。
携帯を取り出した私は緊張で胸を高鳴らせながら、登録された少年Aの番号を呼び出した。しかしお決まりの音声案内が流れ、少年Aが電話に出ることはなかった。
数回切ってはコールし直したが、やはり繋がらなかった。
私だとわかって着信を拒否されたのか・・たまたま電源が入っていなかっただけなのか・・・
躊躇いながらも、なにか言葉を伝えたくて・・・
私は留守録にメッセージを残した。
少年Aは私の残した伝言を聞いてくれるだろうか・・?拒絶され、聞かないまま削除されてしまうかもしれない・・
そう冷静に思いながらも、今の私にできることはとても限られていて・・・
会いたくても、彼が今どこにいるかもわからない情けない有様だった。
例え拒絶の言葉でもいいから・・少年Aの声を聞きたかったが、それも叶わなかった。
心残りを残したまま時間切れになり、席に戻るとすでに支払いが済まされていた。私が席を立った間に司君が先手を打っていた。どうやら煮えきらない私に焦れた司君にしてやられてしまったようだが、支払いで揉めるのもみっともないので、私は引き下がるしかなかった。・・というより、そんなことまで気が回らなかったと言った方がより正しい。
店を出てホテルに向かう途中、意を決したのか司君が私の腕に腕を絡ませてきた。
――!
一度芽生えた情熱の片鱗は未だ私の中で燻っていたが、その腕を振り切るだけの力も最早失せ逃げ道のない私は苦笑するしかなかった。
そうして通い慣れたホテルの直ぐ傍まで来た時、大通りを挟んだ、丁度ホテル前の通りに見知った顔を見つけて私は一瞬足を止めた。
「・・・隆之さん?」
それは紛れもなく隆之さんの長身だった。私の声に顔を上げた司君もそちらに目を遣った。
司君は知らないことだが、このホテルで何度か隆之さんに抱かれたことがあったから・・隆之さんにとっても定宿だと言えた。もしかすると、隆之さんにも同伴者がいるかもしれない。さすがの私でも隆之さんのプライベートでの交流までは知らなかった。元より詮索する気もなかったが、私のような相手にも隆之さんは気を使って、他の相手のことは悟らせないようにスマートに振舞っていた。ここからでは隆之さんの影になっているのか相手の姿は見えなかった。
礼儀としてここは見て見ぬ振りをすべきだろうか・・と逡巡していると隆之さんの影から小柄で華奢な影が飛び出した。
―――!!!!
その時の私の衝撃は・・とても言い表せない。それは狂おしいほどに私が焦がれていた、少年Aだった。