少年Aサイド
「・・・そうか。・・では別れてから初めて桐野に会おうと思ったんだね?」
そう言って、渡辺氏は考えこんでしまった。もしかしたらもう二度と来ないでくれと言われるかもしれない。そう思ったらやはり辛かった。今はまだ顔を出す勇気はなかったけど、出禁にでもなってしまったら、俺は憩いの場所を半永久的に失うことになる。
少なくともオーナーの渡辺氏にはその権限はあるだろう。
「・・まったく逸樹もなにをやってるんだか・・」
不安な面持ちで注目する俺の耳に、ブツブツとぼやく渡辺氏の声が聞こえて来た。俺に言ったのではなくどうやら独り言らしかった。
―――渡辺さん・・桐野のこと逸樹って呼んでるんだ
学生時代からの友人なのであれば、当たり前かもしれなかったが俺の知らない桐野を知っているということが、俺は少し羨ましかった。
「・・・渡辺さん・・桐野さんのこと名前で呼んでるんですね」
すると渡辺氏が微かに笑った気配がした。
「まあ・・学生時代からの腐れ縁だからな。・・逸樹はね、私の妹の恋人だったんだよ」
――え?
突然の告白に反射的に身を起こした俺を頭痛が襲ったが、今はそれどころじゃなかった。
「・・もう昔の話だが・・二人は道ならぬ恋をしてね、情熱に身を任せて駆け落ちしたんだが、その途中不幸にも妹とまだ幼い甥は共に事故で命を落してしまったんだ。・・それが逸樹のトラウマになった」
道ならぬ恋とは不倫のことだろうか?女と普通に交際があったことも驚きだったが、あの桐野にそんな重い過去があったなんて衝撃だった。まるでメロドラマのようだと思ったが、妹を失った渡部氏に言うことは憚られた。
「・・・逸樹の本気は重いんだ。本人もその自覚があるんだろうが・・それ以降、私が知る限り本気の恋をしたことはないはずだ」
あの桐野がそんな情熱を秘めているなんて・・俄かには信じられない話しだった。でも俺なんかより桐野と付き合いも長く、ましてや当事者の一人である渡辺氏の言葉を疑う理由はなかった。
「・・・そうだったんですか」
俺を見る桐野の目はいつも冷めていた。その眼差しの無情さが無性に悲しくて悔しかったことを俺は思い出した。
―――アイツの本気・・ちょっと見たいな
情熱的な眼差しが俺なんかに向けられるはずなんかなかったが、好奇心には勝てなかった。そんな俺の気持ちを見透かしたように、渡辺氏が言った。
「逸樹の本気を受けとめるだけの覚悟が君にはあるかな?・・少年A君」
―――!!!
「・・どうして俺に言うんです?・・俺なんか・・無理ですよ!!・・それに桐野・・さんには恋人だって・・」
俺は言い訳するように必死に言葉を紡いだ。見当外れなことを言う渡辺氏に腹を立ててもいた。
「私が聞きたいのは君の覚悟だよ。・・それとも君にはもう告白する度胸もないのかな?」
一度は勇気を振り絞った。でももう無理だった。あんな場面を見てしまった後で、今更俺にどうしろと言うのだろうか?
「無茶言わないでくださいよ!!渡辺さんだって見たでしょ?・・あの人は今頃司さんとッ・・・」
それ以上言葉に出すことはできなかった。俺は再び溢れ出した涙を拭いながら嗚咽を殺すように唇を噛み締めた。
「・・・それはどうかな」
ぼそりと呟いた渡辺氏の言葉を問いただす前に彼は最後通牒のように断言した。
「・・君はまだ桐野に言っていないことがあるのだろう?・・もし君が諦めて逃げ出すのであればそれでもいい。だが私は納得できないからね、オーナーの権限で金輪際カフェ・リンドバーグへの出入り禁止にさせてもらおう」
――!!!!
怖れていたことが現実になる恐怖に俺は震えた。悔しいけれど俺には言い返す術がなかった。
「・・・今日の逸樹は様子がおかしかったよ。恋人の司君が目の前にいるというのに・・上の空でね。なにか他に気にかかることがあるような様子だった。」
「・・・・え?」
仕事中にボウッとする桐野の姿なんて俺には全く想像できなかった。だからそう言った。
「・・・そんな桐野さん・・俺・・想像できません」
すると同意するようにくすりと渡辺氏は笑った。
「・・・私もだ。・・だがね少年A君。・・・私はその原因が君にあるのではないかと考えているのだがね。」
―――!!!
今度こそ俺は絶句した。そんなはずはないと思うのに・・・期待してしまう俺はバカなのかもしれない。それでも・・もし俺が後少し勇気を出せば・・少なくとも桐野の気持ちを知る事ができるのだろうか?
「・・・私としても大切なお客様を失いたくないのだがね。・・まあ前向きに検討してくれたまえ」
すっかりオーナーの顔で渡辺氏は言うと、「・・さて」と言いながら立ちあがった。
「・・・そろそろ酔いも冷めただろう。私も一応男なんでね・・デキ心を起こさないうちにここを出ようか?」
―――!!!
まだ酔いが完全に抜けたわけではなかったが、渡辺氏が紳士なことに感謝しながら俺はコクコクと頷いたのだった。