渡辺サイド


私が少年A君を食事に誘ったのはまあいわば成り行きだった。基本的に従業員のプライベートに口を出すことはなかったが、逸樹のことは個人的に私も気にかかっていたからだ。つい3週間ほど前、私達はそれまであった惰性で続いていた肉体関係を解消した。「好きな相手が出来たから別れたい」のだと逸樹は私にそう報告した。元より不毛な関係だったし、逸樹が真由子の死から立ち直り前を向いていけるのであれば、例えその相手が私ではなくとも構わなかったから身を引いた。


しかし別れてから久し振りに会った逸樹の様子は明らかにおかしかった。公私混同するような男ではなかったはずだが、大事な打合せだというのに、始終上の空で身が入っていないのは誰の目にも明らかだった。逸樹だけではなく高見沢君も動揺しているようだった。私は誰が逸樹の恋人かは知らされていなかったが、恐らくギャルソンの高見沢司君ではないかと思った。


倦怠期には早過ぎるし、二人の間に何があったか私には皆目見当がつかなかったが、仕事人間だと言っても過言ではない逸樹をああまで動揺させるなにかがあったのだろう。私はなんとなく嫌な予感がした。


そこに登場したのが、件の『少年A』君だった。


少年A君は以前からの常連客だった。逸樹からも紹介されたことのある作家志望の青年だった。少年Aなど、ペンネームにしては妙だと思ったが、少年A君も特に異は唱えなかったので、私の中でこの青年は少年Aだと脳内の顧客名簿にインプットされていた。


打合せを早めに切り上げ裏口から外に出た後、気持ちを切り替えるために煙草を吸っていた私の前に突然、少年A君が現れた時は驚いた。少年A君は桐野に会いたいのだと言った。一目で訳ありだと感じたが、これでも客商売をしているので人を見る目には自信があった。彼の目は澄んでいて悪意は感じられなかったので、私は彼を桐野に会わせることにした。


道すがら、事情を尋ねると少年A君は一瞬気まずげに顔を伏せた。やはり訳ありらしい・・はたして喫茶店のマスターと20以上も年の離れたこの青年の間にどんな繋がりがあるのか・・・あえて答えは急がずに、私は彼の様子を伺った。


しばらくして顔を上げた少年A君の顔に先ほど浮かんだ曇りはなく、私の迷いを絶ちきるものだった。


礼を述べたいのだと彼は言った。それだけではないのだろうと感じたがあえて追求は避けた。なぜならこの少年A君を見た時、欠けたパズルのピースを発見したような心地になったからだ。


先程の高見沢君は逸樹の様子に私同様困惑している様子だった。もし逸樹の不調の原因が高見沢君には預かり知らぬことなのであれば説明がつく気がした。しかしそれらは全て桐野逸樹という男を長年に渡り見てきた私の私見であり、根拠のないものだった。


少年A君を待たせ先程まで居た事務所の様子を伺った私が目にしたものは、抱き合う二人の姿だった。やはり私の想像通り、逸樹の恋人は高見沢君だったようだ。声をかけるタイミングを計っていると、都合悪いことに痺れを切らした少年A君が向こうからやってきてしまった。


さて・・どうしたものか・・と思い悩む暇もなかった。


抱き合った二人の姿を目にした途端、少年A君はまさに脱兎のごとく逃げ出してしまったからだ。私は迷わず彼を追いかけながら、逸樹と少年A君の間に生じた関係に思いを馳せた。


裏口から外に飛び出した少年A君は泣いていた。その涙の意味することはすぐに察しがついた。どうやら逸樹はこの少年A君とも何がしかの関係を持っていたようだ。そして逸樹は高見沢君を選び、少年A君とは別れたのだろう・・私と同じだ。とはいえ・・身体の相性がいいから続いていた逸樹を手放すのは惜しかったが、私はいつかそんな日が来ることを・・彼がまた心から誰かを愛する日がくることを友人として望んでいたので、悲しくはなかったから少年A君とは事情が異なるのだが・・


私の前で体裁も取り繕うこともできずにただただ泣くことしかできない少年A君の傷心は深いようだった。ということはまだ彼の中に逸樹への情があるのだろう・・そして恐らく逸樹も・・・


あの男はああ見えて器用貧乏というのだろうか・・?妙に義理堅く、相手の都合を優先させてしまうところがある。


先程見た高見沢君はどこか思い詰めているような雰囲気があるように見受けられた。心が離れそうな恋人を身体で繋ぎとめようとするのは良くある話しだ。

逸樹の方はそれに対して義務で応えようとしているようだった。少なくとも付き合ってすぐの恋人に対しての情熱を先程の逸樹から私は感じなかった。私も逸樹もお互いにそれなりに経験は豊富だから、恋愛感情がなくとも誰かとベッドを共にすることはできる。しかし相手が恋人であるなら互いのために良くないだろうし、仕事に持ちこんでもらうのはなおのこと経営者としては困る事態だった。


逸樹の態度はそれほど重症だった。その原因がもしこの少年A君にあるのであれば・・私は彼を放置できないと思った。


有能なマスターを取り戻すために、まずは少年A君を食事に誘うことにしたのだった。



私が少年A君を連れて行ったのは、贔屓にしている全室個室の懐石料理屋だった。ここなら人に聞かれたくない話しをしやすいだろう・・との考えからだった。出迎えた店員に金を握らせ、人払いをしてもらうと私は少年A君に向き合った。逸樹との関係を考えればさほど意外ではなかったが、少年A君はこの店に来たことがあるのだと言った。少年A君の経済力で来られるような店ではなかったが、やはり逸樹に連れて来られたようだった。


少年A君はすっかり落ちつきを取り戻していたが、今度は萎縮してしまったかのように黙り込んでしまった。肉付きから見てもそうだが、元々食も細いのだろう・・並んだ料理はほとんど手付かずのままだった。


緊張からか、性格ゆえか、初対面とさほどかわりない私を前に少年A君も気まずげな様子で黙り込んでいた。口が重いのでは連れ出した意味がない。そこで私は手っ取り早い奥の手に出ることにした。童顔の上、呼び名が『少年A』と言っても、一応二十歳を過ぎている青年なのだから問題はないはずだった。


・・・・・・


数分後、


不覚だった。作戦は完全に裏目に出たようだ。私の前には酔いつぶれ、机に突っ伏した少年A君の姿があった。


「・・・君、しっかりしたまえ」


彼が口にしたのは私が勧めた冷酒をお猪口に2,3杯といったところだった。緊張を解したかったのかもしれないし、自棄酒の気分だったのかもしれないがいくらなんでも弱すぎだった。


「・・・・うにゃ・・・なんだよ・・・エロ大魔神の・・くせに・・・」


どうやら弱いだけでなく酒グセも良くないようだ。明らかに私ではない誰かに対しての悪態をついている様子に私は溜息をついた。しかも少年A君はコテッと甘えるように私の胸に身をもたせたままスースーと気持ち良さそうに寝息までたてる始末だ。


「・・・・・・・まいったな。まさかこの年で子守をするはめになるとは・・」


食事に誘ったのは私だし、下戸とは知らず酒を飲ませたのも私である以上少年A君をこのまま放置するわけにもいかず、考えた末私は時々利用している24時間チェックインできるホテルへと向かうことにした。