一方、久し振りにゆったりとした時間を自宅で過ごしていた壱哉だったが、急な来客の対応に追われていた。
広々とした贅沢な居間に相応しい皮張りのソファにゆったりと腰掛けながら、壱哉は目の前の人物をじっくりと観察した。
彼の名前は東堂亘(とうどうこう)、この度黒崎グループの顧問弁護士に就任した男だった。経歴も実績も申し分なく彼の評判を知り強引に引きぬかせたのは壱哉だったが、辣腕ぶりもさることながら、特筆すべきはその美貌だった。基本的に仕事相手とは寝ない主義ではあったが、東堂の自分を見つめる双眸にも同様の輝きを見出した壱哉がどうすべきか逡巡していた矢先のことだった。自室に控えていた秘書の吉岡が、遠慮がちに姿を現したのを見た壱哉の眉がかすかにひそめられた。
「・・・・壱哉様に会いたいと言う者が見えたのですが・・いかがしましょう?」
いつになく歯切れの悪い吉岡の態度に不審を感じながらも、壱哉は流し目を送る東堂を意識しながら尋ねた。
「・・・・客?・・・誰だ」
すると一拍おいた後、意外な人物の名が告げられた。
「・・・・清水さんです」
――――!!
虚をつかれた壱哉は咄嗟に言葉につまった。それと同時に動悸が早くなり、落ちつかない心地になった。
「・・・・まさか・・・新か?」
あれから一年経つと言うのに、自分でも驚くほどすんなりと名前が口をついて出た。あの街を出た時、ターゲットに選んだ彼らの資料は全て吉岡に命じて破棄させた。新も例外ではなかったが、それでもこうして覚えていたことが自分でも不思議でしかたなかった。
その瞬間、壱哉の脳裏にあの街で過ごした記憶が鮮やかによみがえってきた。その全てに汚れた作業着姿の少年がいた。怒った顔、曇り無く笑った顔、少し困った顔・・そしてとりわけ心に残るのは、垣間見えた弱さとその泣き顔だった。
(・・・・新が・・・俺に会いに?)
呆然とした壱哉の視界でカバンを手にした東堂が立ちあがるのが見えた。
「さてと・・そろそろお暇しなくてはね」
今夜のお楽しみに引き止めるならば今しかなかったし、東堂も口とは裏腹な思わせぶりな眼差しを投げかけていたが、結局壱哉が彼を引きとめる事はなかった。
「・・・・っ」
突然のことだった。ガラス張りのテーブル越しに身を乗り出した東堂が壱哉の唇を奪った。肉食獣のような眼差しで壱哉を見据えながらねっとりと口腔を堪能した東堂は己の唇を優美に親指で拭いながら満足そうに囁いた。
「ふっ・・・・合格」
「・・・・・・」
この一年、禁欲の鬱憤を仕事をすることで発散させていた壱哉にとって、久し振りに欲望を揺さぶるものであったが、だがそれだけだった。何も感じない・・少なくともそれは壱哉の求めているものではなく、落胆しかもたらさなかった。
「・・・・黒崎さん、今日は就任のご挨拶に伺っただけなので、もう失礼しますよ」
動揺すらしない壱哉の態度に溜息をつきながらも、計算高くビジネスライクに徹することのできる東堂はさっさと気持ちを切り替えて帰っていった。
「・・・それでどうされますか?壱哉様」
すれ違いざま東堂に目礼した吉岡に問われ、我に返った壱哉は、しばしの逡巡の後新を通すよう告げた。
やがて吉岡に案内されて小さな影が居間に姿を現した。一年ぶりに見た新は記憶の中の少年と寸分も違わなかったが、さすがにあの作業着姿ではなく、地味な私服姿だった。
また少し痩せただろうか・・?残念ながら身長は伸びなかったようだが、精悍さは多少増したものの顔立ちにはまだあどけなさが残っていた。相変わらずどことなく気後れした様子ではあったが、以前は感じられなかったそこはかとない自信が根ざしていて新が望んでいた成功を勝ち得たことが壱哉には見て取れた。
壱哉は自分が奇妙なほど昂揚すると同時に緊張しているのを感じていた。新も同様だったらしく、かつて一ヶ月という僅かな期間過ごしていたマンションとは比べようもないくらい立派な室内の様相に気圧されているかのように不安な面持ちだった。
先に気を取り直したのは壱哉だった。吉岡に飲み物を用意するよう頼むと、呆けている新に席を勧めた。
「・・・・久し振りだな、元気そうでなによりだ」
こうして馴染んだ空間に新がいることが未だ信じられず、幻を見ているような違和感を覚えたが、意を決した新と目が合った途端、それは現実のものへと一瞬で様変わりした。
「・・・ご無沙汰してますっ・・黒崎さん。急に押しかけちゃって・・・すみませんでした」
声は以前と同様、少年らしい甘さを含んだひどく懐かしいものだったが、以前よりまた大人になったらしいその姿に壱哉は子供の成長の早さを改めて実感することとなった。
「・・・ああ、まさかもう一度お前に会えるとは思わなかったから驚いたぞ?・・でも良くここがわかったな?」
当然ながら自宅の場所は公開していなかった。情報収集力に長けた自分ならともかく新が知る方法など限られていた。見当をつけながら壱哉は新に問うた。
「・・・・吉岡さんに聞いたんだ。・・・以前名刺貰ったから・・黒崎さんに面会したいって言ったら、ここの住所教えてもらえた」
吉岡が門前払いせずに自宅の場所まで新に教えたことはかなり意外だったが、おそらく吉岡なりに気を使った結果、新と出会った経緯が特殊なだけに公の場ではなくプライベートで処理する方が最善だと判断したのだろう。