※新の流す涙の質が変わったことや壱哉の心境の変化を吉岡さんの心境で綴ったやや無糖な作品です
「・・・・心配かけてすまなかったな、吉岡。今夜は新とこちらに泊まるから、明日戻ってから今後のことを話し合おう」
穏やかな壱哉の声に耳を傾けながら、深く嘆息した吉岡は張り詰めていた心が解れて行くのを感じていた。
――――良かった。
一時は最悪の展開も考えていた吉岡だったが、どうやら無事和解できたらしいことに安堵を覚えていた。
・・・少し前
静まりかえり、明かりを抑えた自室で壱哉からの連絡を待つ間、吉岡は清水新との出会いを回想していた。
最悪の出会いの後、弁償させるべく壱哉の愛車を破損させた清水新を探し出し、壱哉の元に連れて行ったのは吉岡自身だった。急な呼び出しから20分後、書斎から出てきた新の服装は乱れ、歯を食い縛り悔し涙を流す少年を宥めながら服装を整えさせ、差し出したハンカチを拒まれたことを吉岡は思い出し溜息をついた。
それからなんとか落ちついた少年を自宅近くまで送って行ったのも吉岡だった。
バックミラー越しに見た、蒼褪め、意気消沈しながらも、何かを堪えるかのように窓の外を睨みつけた少年の双眸を濡らす涙が印象に残った。
『・・・・ここで降ろしてもらえますか?』
派手な車体でアパートに乗りつけ好奇の視線にさらされることを避けたいのだろうと、納得した吉岡は車を止め、無言で降りる新の背に声をかけた。
『なにかあればまたこちらから連絡します。・・・それからわかっていると思いますが、今日のことは他言無用でお願いします、清水新さん』
慇懃無礼な吉岡の態度に苛立ったのだろう。
『
・・・・言われなくてもッ』
怒気を孕んだ声で言い捨てた新は、些か乱暴にドアを閉め走り去って行った。
マンションに戻り、その旨を報告した吉岡に、壱哉は清水新のアルバイトの継続や監視の続行と併行して、部下を総動員させて彼に罠をし掛けるよう命じたのだった。
書斎での戯れで気が済んだのだろうと思っていた吉岡にとって、それはとても意外な申し出だった。
しかし吉岡は一切の疑問を差し挟まず部下に指示を飛ばし、清水新を監視させると同時に様々な趣向をこらした罠をしかけさせ、結果を逐一壱哉に報告した。
連鎖的に海で罠をしかけたことを思い出した吉岡の顔が微かに強張った。![]()
((・・・あの時は大変でした・・・罰が当たったのかもしれません))
海での一仕事終えた後、立ち寄った地元の商店街で災禍に見まわれた衝撃を思い出し冷や汗を垂らしながら、吉岡はさらに追憶に耽った。
報告に満足しながらも、一度も少年に会いに行く様子もなかった壱哉だったが、清水新が何者かに襲撃されたと、吉岡の部下から緊急報告が入った途端、様相が一変した。
『全くっ・・・どこのどいつだッ、アイツは俺の獲物だぞ、誰にも渡すものかッ!!吉岡!車を出せっ』
―――!!
((・・・壱哉様?))
予想外の執着ぶりに呆然としつつも、吉岡は壱哉の意に添った。
廃工場から無事逃げおおせた新が、家に戻ったという情報を掴んだ吉岡は血相を変えた壱哉を乗せ、清水新の住居まで案内した。冷静さを欠いた壱哉が少年にしたあの夜の仕打ちを思い出だした吉岡の顔が再び曇った。
ここに連れて来られてからも、度々吉岡は少年の流す涙を目にした。
よく泣く少年だと思いながらも、その理由を考える度、吉岡は深く重い溜息をつくことになった。なにか慰めの言葉をかけてやりたかったが、その理由を知りながら黙殺するしかできない自分に、偽善に塗れた言葉をかけられたとしてもあの少年にはなんの慰めにもならなかっただろう。
しかし、それからしばらくしてその涙の理由に変化が訪れたのを、偶然居合わせた吉岡は目撃することになったのだった。
買出しに行った商店街でのことだ。新を伴い車で偶然通りかかった吉岡は、壱哉が昔の男と一緒のところを発見したのだが、恐らく恋する者の成せるわざで何がしかを察したのか、新の双眸から溢れ出た涙は日の光に反射してとても綺麗だった。
((あんなに酷い目にあったというのに・・・まさか、彼が壱哉様を受け入れるとは・・思いませんでした))
少年の態度の変化は壱哉にも深く影響を及ぼすものだった。強烈な光りに抗えず、焦がれ、引き寄せられてゆく蛾のように、傍で見ていてもわかるほど急速に壱哉は新に惹かれていった。そのことは些かの苦しみを吉岡にもたらすものだったが、壱哉の変化を受け入れることで生じるであろう可能性の方が吉岡にとっては肝要なことだった。
『・・・吉岡、お前は来なくていいぞ』
だから葛藤を抱えた壱哉が、東京の本宅に新を連れて行くと言い出した時、見送ることしかできなかったのは辛かったが、吉岡は壱哉を信じてその帰りを待つことにしたのだ。
本宅の地下で何があったのか、壱哉が多くを語らない以上詳しくはわからなかったが、話し合った末恋人同士になったとの報告を受けた時、これまで壱哉と出会ってからずっと一人で果たしてきた役割をあの少年に引き渡すことになったことを理解した吉岡の胸に去来した様々な感情は、とても言葉に尽くせるものではなかったが決して不快ではなかった。
壱哉の心に巣くっていた深い闇を払った少年に思いを馳せながら、吉岡は口を開いた。
「・・・良かったですね、壱哉様。清水さんにもよろしくお伝え下さい。では明日のお戻りをお待ちしています。・・・はい、おやすみなさいませ、壱哉様」
電話を終えた吉岡は、携帯を置くとかわりにサイドテーブルに乗ったウィスキーのグラス取り一口含み、喉を湿らせた。
「・・・今夜は良く眠れそうです。明日も早いからもう休みましょうか・・」
憂い事がまた一つ減り、ベッドに潜り込んだ吉岡はそっと目を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのはまだ出会った当時の、あどけなさの残った少年の頃の壱哉の姿だった。それから10年という歳月を経てずっと成長を見守ってきた壱哉の姿が目まぐるしく脳裏に過るうち、いつしか吉岡は穏やかな深い眠りに落ちていったのだった。
おしまい
2012年7月
&
・・くすくす