モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳 -38ページ目

モータージャーナリスト・中村コージンのネタ帳

モータージャーナリスト中村コージンが、日々乗ったクルマ、出会った人、趣味の世界を披露します。

ここからスタート。

昨年は月2回はブログを更新すると言っておいて、ついに12月はゼロ回。守れない約束はしないことにする。

で、昨年暮れ、書けなかった理由の一つは大いに落ち込んだこと。理由は、生涯の趣味の一つにしていたスロットカーが、過去最大の危機に瀕したことだ。これまでスロットカー文化を支えてきたバンプロというメーカーが倒産した。これまで使ってきたすべてのパーツの供給が断たれることになった。

思えばスロットカーは小学5年生から始めた。で、中学2年で一旦中止。そして大人になって今からちょうど四半世紀ほど前に復活した。すべてはここから始まった。↓

東京は世田谷の等々力にあった、レーシングパラダイス世田谷である。写真の中央に写るのは、ここでよくレースを一緒にしたミヒャエル・クルム氏である。他にもたくさんの芸能人、有名人がここを訪れた。

私が主として遊んでいたのは1/24スケール。サイズは違うが1/32スケール用の超大型サーキット、スロットカーズ・ヨコハマが誕生したのは2007年。これでスロットカーが再び勃興するかと思い来や、僅か数年で、閉鎖。ここからしばらくは流浪の状況が続く。

港北区センター北にあったスロットカーズ・横浜

はっきりとは覚えていないがコースは7つぐらいあった。過去最大のスロットカー施設だと思う。

流浪の後、落ち着いたのが、北新横浜に出来たバンプロ・サーキットだ。↓

 

完成当初、これで安心と思ったものだ。一方、スロットカーズ・横浜が閉鎖されるとすぐに、かつて世田谷にあったレーシングパラダイスは場所を町田に移し、その名もRPMB(レーシング・パラダイス・マチダ・ベース)として復活。私にとって、1/24の営業サーキットが近隣に2つもある恵まれた状況になった。

開店当時のRPMB。

 

しかし、北新横浜のバンプロ・サーキットは2年ほど前に閉鎖。コースはそのままRPBMに移設され、バンプロでレースをしていた私にとっては、単にコースが町田に移っただけだったので、あまり気にせずに遊んでいた。ところが、コースやパーツを製造するバンプロが倒産すると、そのパーツを使って車を作り、スロットカーを走らせている1/24の営業サーキットは大打撃。実は今年に入ってすぐに、RPBMも設備の故障という名目で休業している。このまま、閉鎖になってしまう可能性が高い。

そんなこともあって、ここ2年ほど私は遠征と称し、まだ営業をしている中京地区のサーキットに2か月に1度ペースで通っている。こうなると遊びの域を超えているかもしれないし、コース自体は小さくて、しかも古い。でも素敵な仲間に支えられて、300km近くを走って遊びに行くモチベーションを保っている。夜の宴会は最高だ。

場所は、愛知県の半田市にあった。でもそこも閉鎖となり、コースは安城に移設されて再び営業しているので、今はそちらに行っている。↑は半田時代のコース。

安城に移設された半田のコース。少し短くなった。

 

私は正直言って往生際がすこぶる悪いので、営業コースが存在する限りはスロットカーで遊び続けるつもりだが、残念ながら日本のスロットカー文化は今や風前の灯火である。